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紫がたり 令和源氏物語 第百九十七話 少女(六)

 少女(六)
 
雲居雁と夕霧は筒井筒、従姉弟同士でありながら、ともにこの三条邸で育った幼馴染みです。
まるで姉弟のように睦まじく馴れ親しんだ二人にいつしか恋のような感情が芽生えてもなんら不思議はないでしょう。
男女というものは兄妹であっても十歳くらいになると隔てられて暮らすものですが、ここは主人亡きあと女所帯のようになっており、その辺りは忠実には守られておりませんでした。そしてまだ幼い者同士という油断があったのでしょうか。密かにこの二人が恋仲だということは大宮でさえ知らないことなのでした。
夕霧は元服して源氏の二条邸で過ごすことが多くなっておりましたが、恋しい雲居雁に会えないものかと大宮を気遣い見舞う体で三条邸にやって来たのです。
そんなことを露とも知らない右大臣は真面目で美しい甥の夕霧を気に入っていたので、すぐさま近くに呼んで近況などを尋ねます。
「源氏も何も学問ばかりをさせることもないのにねぇ。まぁ、たまには力を抜いて楽でもなさいよ」
そう笛を差し出すと、夕霧はなかなかよい音で吹き鳴らします。
「そうそう、その調子」
内大臣は催馬楽(さいばら=昔から伝わっている民謡などを雅楽風にアレンジした歌)などを口ずさんで大層楽しげにくつろがれております。
雲居雁の様子が想像以上であったのが嬉しくて、酒を含みながら上機嫌に歌い、笑い、夜は更けてゆくのでした。

三条邸の自室に下がった夕霧は雲居雁が早々に退出させられて、琴の音も聞かせてもらえなかったのを残念に思っていました。近頃会うこともままならず、このように意図的に裂かれると却って恋しさが募るばかりです。
愛らしい雲居雁の面影を抱きしめながら、寝返りを繰り返しているのでした。

さて、右大臣には密かに三条邸に愛人にしている女房がおり、酔いを醒ましてから彼女の局へ忍んでいこうと機を窺っていました。
この歳になって女房の元へ忍ぶのも公になるとみっともよいものではありません。足を忍ばせながら局を探っていると、老いた女房の声が聞こえてきました。
「若君だってあんな風に露骨に裂かれれば、余計に恋心に火がつくというものですよねぇ」
「本当にお気の毒ですわ。大殿(内大臣)は雲居雁さまを東宮妃にとお考えのようですよ」
「あら、もうそんな晴れがましい御身ではございませんのに」
「うふふ。知らぬは親ばかりなり、とはよく言ったものですよ」
この会話を盗み聞き、内大臣は冷や水を浴びたように背筋が冷たくなりました。
 
 なんとしたことか。雲居雁とあの夕霧が・・・。
 
沸々と怒りがこみあげてきて、手にした扇がみしりと音をたてます。
「あら?どなたかいらしたかしら?」
「あぶない、あぶない。迂闊なおしゃべりはこのくらいに致しましょう」
そうしてふっと灯りが吹き消されました。
 
内大臣は頭が真っ白になり、足取りもおぼつかなく牛車に乗り込みました。
このまま邸に残っていたら、夕霧や雲居雁を打ち据えてしまいかねないほどの憤怒に支配されていたからです。
内大臣が邸を退出する前駆を聞いた老い女房たちはそこに漂う高雅な残り香はまさか大殿のものではあるまいか、と瞬時に失態を悟り、顔を青くしたのでした。

次のお話はこちら・・・


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