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令和源氏物語 宇治の恋華 第七十八話

 第七十八話  うしなった愛(十一)
 
なんとも気詰まりな沈黙が訪れて、薫は大君への申し訳なさにひたすら頭を下げるしかありませんでした。
御簾のあちら側には中君も同席しておられます。
「薫さまを責めるのも筋が違うとは存じておりますが、やはり宮さまの御心の浅さが恨めしく思われるばかりです」
大君のいらえには棘が含まれて、それは致し方ないと謙る薫です。
「宮さまは御心を宇治へ置いてゆく、と私に言伝てを頼まれました」
大君にはそんなものは口先ばかりと思えてなりませんが、中君には真実の言葉のように響きました。
そこはそれ、夫婦の絆というものが匂宮と中君には築かれつつあるのです。
薫君が気の毒というのもあったのでしょうが。
「承りました、と宮さまへお伝えください」
さらりとした中君の御声に薫は好感を覚えずにはいられません。
出逢ったばかりの恋人というものは情熱と愛に目を塞がれて互いの欠点などは見えぬものです。
こうした辛い状況にあってこそその人の本性が表われるのでしょう。
薫は鷹揚に構える中君が思慮深く、宮の北の方としての資質を備えているのだと直感しました。
「ときに昨日のお文の返事を頂けなかったことを宮さまは気に病んでおいででしたが」
「大勢の貴公子たちが集まるところですもの。もしも手紙が他の方々の目に触れるようなことがあってはならないと控えさせていただきました」
「そうでしたか、それは賢明なご判断です。では私が使者となりますのでお手紙をしたためられては如何でしょう?宮さまはきっと喜ばれますよ」
「それでは少しお待ちくださいませ」
僅かな衣ずれにふわりと漂う香は中君を表しているように優しく穏やかなものでした。
「実は近頃匂宮さまが次の東宮に立たれるというお話は現実味を増しているのです。何より優れた御方ですし、お主上の寵愛も深いですからねぇ。ちょっとした外出も東宮なみに重々しくという御意向なのですよ。むしろ外出は好ましくないということで内裏に軟禁状態なのです」
それはこれから先もこちらへ足が遠のくということへの伏線か、と大君は警戒して返事をしませんでした。
「中君さまは匂宮さまの為に宮仕えをなさるお気持ちはおありですか?」
「なんと、宮家の姫たる中君に宮仕えをせよ、と仰せですか?」
薫の突然の提案に大君は驚き、中君もすぐには答えられませんでした。
「大変失礼なことを申し上げているのは承知しております。しかし身分柄宮さまが宇治にお通いになるのは難しいと思われるのですよ。中君さまが内裏にお入りくださるのであればこれほどのことはないと思われるのですが」
「たしかに一理ありますが・・・」
大君は中君と別れて暮らすなど考えたこともありませんでしたが、結婚するということは姉妹よりも夫が一番となるということなのです。
いつまでも妹を自分の生きる希望になどと、甘いことを言ってはいられないのです。
「匂宮さまも中君さまの宮仕えについてはよい顔をなさいませんでした。北の方としてお迎えしたい、という御心があるからでしょう」
「まぁ」
中君は宮がそこまで自分を想ってくれているとは考えておりませんでしたので、宮の苦衷を察すると感激に胸が震えるようです。
「それでは・・・。大君さま、中君さま、そろって私の持ち物である三条の邸にお移りになるというのは如何ですか?」
せめて同じ京内であれば宮さまも通いやすくなるというものです。
「そこまで薫さまにご迷惑はかけられませんわ」
「私がお二人の後見であることをお忘れですか?縁を結んだのは私ですし、宮さまと中君さまが幸せになってくださるならばいくらでもお世話させていただきます」
「少し考えさせてくださいまし」
大君は妹とよく相談して決めようと考えましたが、今更京へ移るなど囲われ者と世の物笑いにならぬかと心配なのでした。

次のお話はこちら・・・


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