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紫がたり 令和源氏物語 第百三十三話 澪標(一)

 澪標(一)

京に戻った源氏の生活は、それはめまぐるしく動き始めました。
長い無沙汰を詫びに方々を訪れたい気持ちは山々ですが、都の惨状があまりにもひどく、執政官としての仕事に追われているのです。
短期間で国がここまで荒廃するものかと驚くほどで、なかでも長雨による治水の問題は一番最初に解決しなければならない課題なのでした。
このままにしておけば不衛生から疫病が発生するかもしれません。
民が斃れることはすなわち国の根幹が揺るがされること。
そう今の源氏は知っております。
幸い天変は収まりましたので、復興を促す為には大幅な人員の配置換えが必要なのでした。
機能していない寮司の役人を切り、有能な人材を登用する。
その選別だけでも膨大な作業です。
源氏は太政大臣や大后に取り入って成り上がった者達でも真面目に職務を全うしている者はそのまま厚遇に処し、昔からその職にあっても相応の働きをしない者は容赦なく切り捨てました。
その迅速で公平な判断はやはり他の者には振るえない大鉈なのでしょう。
見事な手腕に、もはや宮廷ではその存在は揺るがないものとなっておりました。


遠く須磨、明石から思いを馳せていた春宮は十歳になられました。
もうすぐ成人というのに相応しく、立居振舞も実に立派です。
春宮は背も高く、同じ年頃の少年と比べるとぐっと大人びておられます。
何よりそのご尊顔は源氏の君に瓜二つで、お二人が並ばれると藤壺の入道はやはり生きた心地がしないものの、並びなき姿に人知れず涙をこぼさずにはいられないのでした。
葵の上の忘れ形見である夕霧は童殿上を務めるようになっておりました。
以前のように「お父さま」とまつわりつくことはありませんでしたが、源氏の顔を見ると嬉しそうに顔を輝かせます。
そんな時には、源氏は夕霧を側に呼んで優しく声をかけるのです。
今は大切な者達がすぐそこにあるというありがたさが身に染みて、昔のような傲慢さはすっかり影を潜めているようです。

源氏には都に戻ったらまず一番にしなければならないと思っていることがありました。
それは自分を案じて目の前に立たれた亡き父院の為に法会を営むことです。
弘徽殿大后をいたわる気持ちが持てたのも、今こうして宮中にあるのもすべて父院の導きによるものです。
苦悩の黄泉路に沈んでおられる御霊をなんとかお救いしたいと、罪業を滅する追善供養を奉げることにしたのです。
そして念入りに準備をして十月に法華御八講を開きました。
この法会はもちろん帝の思し召しにも叶っていることですし、源氏の心映えの素晴らしいことと多くの者が賛同して亡き院の為に祈りました。

父上、このように都に戻ることが出来ましたのも、父上のおかげです。
これから私は国の為に力を尽くしていきたいと思いますので、天から見守っていてください。
どうか御心安らかにあられますように。
源氏は心をこめて祈りました。

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オシリスとダイヤ


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