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フリーランス3年目の記録

2021年1月末で新卒入社した会社を退職してフリーランスになりました。
私は大学では音楽専攻をしていた経歴もあり、ピアニストに転身しました。

最近「学生時代の友人より音楽の道に戻ってきたい」という連絡も増えてきたことから、2年間の変化を一度振り返ってみたいと思います。

1年目:長年の夢を叶えた先に…現実

将来の夢だったピアノ講師になる

小学校の時から「Q.将来の夢は?」という質問があれば「ピアノの先生」と答えていました。
ご縁を頂き、私がピアノと出会った場所で講師として働くことになりました。夢が叶った。

しかし最初のレッスンで「弾くことと教えることは別物」「子供に伝えるための言語化難しい…」という壁にすぐにぶつかりました。

ドレミファソ…の順番がわからない、言えない。
そもそもドって何?場所はどこ?
家にピアノはありません。 ・・・ん?

音楽用語も何となくの感覚も仲間内の共通語になっていたことも気付いた。
きちんと言葉にしないと子供たちには伝わらない。

「こんな感じで」「もっとキラキラした音にしよう」
こんなのまーったく伝わりません。

理想(想像)を現実のギャップの溝を埋めていくことに精一杯でした。

ライバー復活

収入は会社員時代の3分の1。
不安しかなかった私は学生時代から続けていたライバーとしての活動を再スタート。

9:00~12:00 ライブ配信
14:00~19:00 ピアノ講師
21:00~00:00 ライブ配信

ライブ配信は時間の変動はありましたが、ほぼ毎日2時間〜4時間配信していました。
稼ぐことが目的というより、ファンを増やして何かに繋がればという想いで毎日戦っていました。


3ヶ月目くらいでピアノ講師としての収入を超えました。
(前提として講師業の収入が超低いです)

この経験より大手教室の収入の低さを実感。

私の今までの努力の対価はこれなの…?と更に不安になりました。
この不安は今も変わらないので5年目を迎えるまでには脱出したいと思っています。


私はピアニストになるためにフリーランスになった…?

社会人1年目は1日立ち仕事で万歩計は1.5万歩を日々更新する販売員でした。
重たい厚手の洋服を複数持つことで鍛えられた別の筋肉。
たった1年でしたが、明らかに筋力の変化がありました。
感覚戻すことに必死でした。

学生時代のご縁を手放さず、いくつかの演奏会に挑戦しました。

ステージ復帰すると同時に学生時代とは違う壁に当たりました。
それは、社会人になり、プロとして演奏していくこと

学生時代は経験を積むためにボランティア活動の一環として演奏会に参加していましたが、社会人になるとボランティアだけではもちろん生活できません。演奏して対価として報酬をいただくのですが、自信が持てませんでした。

それは、過去のコンクールなどの本番に対するトラウマがあるから。
「私なんて全然上手じゃないのに…どうしてお世辞を言うの?」と演奏依頼していただいた方に本気で思っていました。素直に喜べば良いのにね(笑)

そして、「そもそも私ピアニストになるために会社辞めたんだっけ…?こんな孤独なステージに立つために練習しないといけない?」と悩むことも。
ピアニストって孤独です…ステージの上に一人ぼっち。

講師になるにも自己研磨が必要ですが、講師とピアニストは練習方法が違うことも学びました。

今振り返ると、講師でもピアニストでも両方自分が楽しめていれば、わざわざ肩書きを変える必要無いな〜と思えるように成長しました。
相手や場所に応じて肩書変えています。

2年目 とりあえずやってみようか

2021年は夢を叶え、現実を知った1年。さぁ、2022年どうしよう?

日々子供たちと接し、地元で音楽活動を行う中で色んな経験や考えが構築されてきていました。
やはり収入の不安は拭えず、過去と同じように自信を無くしたくないと新年を迎えました。

そこで2022年1月4日に今までに一番高額な自己投資をしました。

SHElikes(キャリアスクール)へ入会

ここから沢山の変化が起きていきました。

これはまた別の機会に。
(きっとここに別記事のリンクが貼られているはず…)


色々と割愛して…ピアニストの話に戻ります。

もう1度実力勝負してみよう

コンクールやオーディションにトラウマがあった私ですが、もう1度挑戦してみようと2023年の2月オーディションを受けました。

結果は見事玉砕。
やっぱり本番に弱い私、練習方法とメンタル改善を痛感しました。
朝9時に一発目に当たったので、朝が弱い人にとっては地獄でした…^^;

「あ〜、やっぱり私はピアニストは向いていないのか〜。そっか〜」
と意外と冷静。
と言うより、自分の自信のなさから「どうせ…」との気持ちが玉砕の原因です。

2月にトラウマが復活した私でしたが、ピアノ講師の収入が悔しくグレード試験に挑戦。
高校時代にコードの試験で赤点だった経験を持つ私は、試験科目の伴奏付に苦労しました。

結果は2回落ちました!やっぱり無理だった!
伴奏付はピアノ演奏の試験内容の一部だったので、専門のはずのピアノ演奏の試験が受からないのはプライドがズタズタになりました…。
全てはコードで伴奏弾けないこと…。セブンスまでしか知りません!

講師になってからのギャップの1つはポップス知識も知らないといけなかった。3回目にして合格したので、もうこのことは流します。
(苦手意識があった和声学は、まさかの満点だったので新しい気づきも得られた出来事でした)

SNSからの演奏依頼

キャリアスクールで学んだことを活かしながらSNS更新をしていました。
元々SNSを通じてイベントを開催していたこともあり、苦ではありませんでした。

すると、テレビCMで使用するピアノ演奏の依頼をInstagramより頂きました。

言わないと誰もわからない演奏ですが、家族は喜んでくれました。
「あ、これ私が弾いたやつ」と事後報告でしたが…笑

音楽仲間が身近にいない…

地元で演奏活動を始めた私でしたが、同じように演奏活動をしている同世代がいないことも知りました。
演奏活動だけではなく、指導者としても同世代がいません。
◯◯門下というコミュニティに入ったことがなかったので単純に知らないだけかも知れませんが…。

「なぜだろう?」と地域の音楽性を考えるところまで思考が広がりました。
そこで感じたのは、身近に音楽がないこと。習い事で終わっていること。

音楽がアイデンティティになっている私にとっては窮屈で…
「だったら私が広めていけばいい」と思うようになりました。

大好きな地元に音楽を

地元でもっと音楽に触れて欲しいという気持ちが芽生え、色々と応募してみました。

友人からの紹介で、市政が開催している若者の対象としたプロジェクトに参加。
正直、地元に関心を持ち始めたのは社会人になってからだったので何も知らない状態で参加してしまい、焦りました。
この経験から少しは地元の取り組みもアンテナ貼れるようになってきていると思います。


アウトリーチ活動をするために、オーディションに挑戦しました。
来年度から本格的に活動が始まるので新しい挑戦にワクワクしています。


地方の現実と可能性に向き合った年でもありました。

地方在住だからこそ伝えたい

2年目の冒頭にSHElikesに入会したことに触れましたが、年末ごろにSHElikesのスタッフとしてキャリアプランナーの仕事も始めました。

上京した友人と話していると「地方のしがらみが嫌で上京したくなった。窮屈で息苦しいの」と話を聞いたことが衝撃でした。
確かに、家族や子供時代を過ごした親しみのある土地での居心地さがある反面にコミュニティの狭さ、単純に遊ぶところがない…色々ある。
それでも、私は地元を選んだ。

地方でしか生活したことない私はSHElikesを通じていろんな価値観に触れた。世界が広がりました。
そんなサービスをもっと広げてみたい、地方だからと諦めないで欲しいと思い、SHElikesのプランナーに挑戦しています。

SHEのイベントでの1枚。
受講開始した直前(2022年4月)だったので、この時は考えてもいなかった。

まとめ

お気付きでしょうが、私には輝かしい経歴や飛び抜けた才能はありません。
ただ、応援してくれる人がいてくれたから、単純に音楽が好きだから何度も挑戦できて今があると思います。

ピアニストと名乗っておきながらも演奏会はまだ苦手です。
でも、「私しか表現できない音楽はある」と思えるようになってきました。
周りにどんな評価をされても自分の信念がブレないければ周りを巻き込んで少しでも理想としているところに辿り着けると信じています。

20代後半という枠組みに入ってくる年齢を迎えるのですが、どこか生き急いでいる気がします。「あ、もう社会人4年になるのか」と。
学生時代は1年ごとに学年が変わる区切りがあったのですが、社会に出ると学年という区切りは無くなって計画する期間も変わるのですよね。
でも、私はまだ学年の区切りの感覚が抜けていないような気がして早く結果を出したいな〜と焦って色々と手を出している気がします。

フリーランス3年目は自分が心からときめいたことに素直に行動してみようと思います。
キャリアのための挑戦も時には大切ですが、2年間種を蒔いたところを大切に育てながら、一旦整理したいと思います。

整理したいと言いながらも、新しいスキルを武器に更に挑戦はしたいです!
めちゃくちゃ矛盾しています(笑)

さぁ、3年目どんな年になるか…。

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