どこまでもプレイヤー

 精神、魂、霊、神などなど……ここ最近はだいたい『スピリチュアル』のひと言で片付けられている気がするそれらが、そんなにキライではない。前にもちょっと書いたかもしれないが、人生に迷っていた時は、それまでの自分になかった考え方や心の在りように大いに救われたし、傾倒していた、とも思う。
 そういった種類の思想に触れていく中で、自分の肉体であるとか、物質世界そのものにすがって生きることが、なんとなく『悪』というか、そこまで言わずとも『愚か』であるとか、本来の自分(たち)は、此処にはない――みたいな言説を目にすることがしばしばあった、ように思う。界隈がアセンションの話題でちょっとざわついていた頃じゃなかったかな。
 その当時はわりと真剣に信じていたりもしたわけだけど、その当時読んでいたブログか何かで『この日にアセンションが起きる!』とされていた日には特に何も起きなかった。あなたはまだその段階に達していないのです、と言われれば反駁の材料はないけど、実証も多分不可能だろうからそれほど気にすることでもないのだろう。以後、人生にそれほど大きく悩むこともなくなってきてからは、自然とスピリチュアルの話題に興味を引かれなくなっていった。

 精神の成熟、魂の錬磨をおろそかにしてはいけない、というのは普通に人生を送るうえでも、まあ一人のオトナとして意識しておきたいところだ。ただ結局のところ今のわたし(たち)はこの地球に肉体をもって生まれ、有り体に言えば三次元の世界を生きているわけだから、目に見えないものに心血を注ぐあまり物質に対してぞんざいな態度をとるのも、そりゃちょっと違うだろう、と思うわけだ。あんまりバランスが崩れるのはいかがなものかと。
 この世は色々なモノであふれている。天然素材や自然物は奇跡の産物神のめぐみ、みたいなところに位置付けるとしても、それらを加工なり精製なりして生み出されたモノは誰かが努力の末に創造し、また他の誰かが日々労力を費やして製造した物品であろう。それなら受け取る側は受け取る側で、めいっぱいモノを活用し、ときにはその物品が手元に届くまでに関わっているであろう人たちのことを想像などもしながら、遊びたおし味わい尽くしするほうが面白くはないだろうか。せっかく『今、ここ』にいるわけだし。

 輪廻転生、前世来世……魂の循環にどのくらいの時間が必要になるかわからないが、この世界、この星の環境も常に変化を続けている。ヘンに来世に期待していたら、二十一世紀とはすっかり状況が変わったどえらい未来に生まれてきた、なんてこともあるかもしれない。その時代にはその時代の楽しみがあろうものの、今はありきたりなアレやソレがきれいさっぱり無くなっている、なんてことも。となれば今世は今世で満喫しておいたほうがよいものだし、たとえばそのためにおカネが必要ならバンバン稼いで納税してと、とにかく人生おもしろがっていた方がソンは少ないんじゃないかなー、とかシンプルに考える今日このごろ。

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