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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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#日記

雪無灑(ゆきなさい)

 季節の巡りは思いのほか早いもので、ずいぶんと暑くなってきました。また、お別れの時が迫ってきたようです。毎年のことと、この時期の定めと分かっていても、やはり淋しさは拭えないものです。  こうして別れと再会を繰り返しながら、お互いにずいぶん長く付き合いが続いているものですね。不思議なものです。きっと、少しの傷みくらいで草臥れたりなどしない、あなたの強さがそうさせてくれるのでしょう。人は弱いものです。凍てつく風に晒されれば、すぐに心まで冷え固まってしまいます。ここまで生きていら

リトルモスキートン‘24

――1:30 Am 蒸し暑さも増してきた初夏の日の夜中、寝ている最中にふと目を覚ました。それ自体はまあ、毎日よくあることだ。一寸ひと息ついてからまた眠ればいい――が、この時は様子が違った。右手の人差し指の先と、左の肘の近くが妙に痒い。痒みに気付いた時点では見た目に異常はなかった。しかし用を足して寝室に帰ってきた時に再び手と腕に目を走らせると、痒みの発生箇所つまり痒心地とその周囲が円形に腫れ、皮膚が盛り上がっているではないか。これは……拙い。  過ぎ去った時とともに存在を忘れ去

なるべくエッセイスト

 noteを再開してからというもの、日々こうしてエッセイ『的』なものを書いている。はっきりきっぱり『エッセイ』と言わずにあくまで『エッセイ的』と表現するのは、エッセイ、つまり随筆というものを、深く勉強したことがないからだ。基本となる形式、作法、あるいは技術といったもの、要は『これがエッセイを真にエッセイたらしめるモノである!』みたいな確たるモノがないままに、最初から最後まで気の向くままに書き連ねている。  それほど勉強したことがない、というのも考えてみれば当然で、もともとは

春眠スリーピング

 起きたら夜が明けている。いや朝なんだからそりゃそうだろうって、少なくとも1カ月くらい前まではそうでもなかったはずなのだ。季節のせいもあるといえ、まだ夜の明けきらない、仄かに暗い時間帯に目を覚ましていた、はずなのだ。  それがここのところ、どうにも起床時間がズレてきている。ムラはあるが普段より20分から30分程度遅い。目覚ましがなくても起きられるのはいい事だと思うし、遅刻になるわけでもないから実生活において支障というほどの支障はない。けれども朝の2,30分、この時間を甘く見て

今度はウルトラリラックス

 ステキに無敵(Take2)……といっても私じゃなくて、ときどきお邪魔するお店の方なんだけども。  3年前(!)に海の見える古書店として紹介したブック&カフェのお店に、久し振りに足を運んだ。だいたいひと月に一度くらいのペースで訪れるようにしていたものの、今年は年明け早々からnote再始動に躍起になっていたり新作&リメイクゲームが目白押しだったりしてなかなか行く機会を捻出できずにいたのだ。  ひとまず勤め人の私は不定休、お店の方も日数少なめ不定期営業ということで意識してタイミン

十年ひとむかし

『アナザーコード リコレクション』を買った。  ニンテンドーDSで発売された『2つの記憶』と、Wiiで発売されたシリーズ2作目『記憶の扉』とを1本にまとめ、リメイクした作品である。  DSでの第1作目発売当時のキャッチコピーは『さわれる推理小説』。深いストーリーと、発売されて間もなかったニンテンドーDSのハード特性を存分に活かした謎解きが用意され、たいへん良質の知的体験を提供してくれる、DS初期の名作であった。  しかしながら2作目は当時バーチャルコンソールとスマブラX

スピード勝負の取捨選択

 やりたいことが多い。しかし残念なことに、1日は24時間しかない。  ショートショートも書き溜めたければ勉強のために読書もしたいし、新作ゲームで遊びながらも現在進行形の『RPGツクール』を、できるだけ早く完成させたい。しかし残念なことに1日は24時間しかなく、さらにその大半は仕事と睡眠に充てられ、わずかな空き時間の中でこうして記事まで書いている。  どう考えても時間も体も足りてない中で、ある程度の優先順位や偏りがでてきてしまうのは仕方がない事だろう。早起きしての朝活も、春から

Re:マインド

 ここ最近流行りっぱなしの例のウイルスに罹患したのが去年(2023)の今頃の話だ。5類に移行するちょっと前だったので、一週間の自宅療養期間といくつかの薬とが得られた。幸い軽症で療養が終わる頃には元の生活に戻れていて、後遺症というほどのものもない。少々、咳が長引いたくらいだ。  では何の変化もなかったのか、といえば、そういうわけでもない。  最初は右手親指の『爪』だった。いつの間にかはわからないが、横にひとつふたつ筋だかシワだかみたいなものが入り、少しばかり変形していたのだ。

行き先未定のマイウェイ

 いつもは年末に買っているゲッターズ飯田さんの占い本を、今回のは年が明けてから購入した。購入が遅かった理由はシンプルで、数年分買ってみて『見ても見なくても一緒かなあ』と、思い始めていたから。そういうわけでしばらくのあいだ手に取らずいて、それでもやっぱり気にはなるので本屋でパラっとめくることわずか2ページ。そしたら。 『12年間で最高の運気の年』  中表紙にいきなりそんな一文が。うん、買う。  いい事は積極的に信じていった方が、日々をよりポジティブに過ごしやすくなると思わな

必死になってみても

 本当に人生ってやつを変えていきたいなら、いっそひと月かふた月後に死が訪れるぐらいのつもりで、ひたすら多く書き連ねていかなければならないだろうか、などと考えていたのが1月の中旬あたりのことだった。小説でないものも含めて、なるべく多く遺していけるように実際に取り組んでもみた。しかし結果としては結局体の方がついていかずに、職場に迷惑をかけることになってしまったのでひとまず更新ペースをほぼ元に戻して、今に至る。  何か成果が上がればここに書き留めるつもりでいたが、例のワニと切り口

らしくいきましょ

 これは自分でもたいへん意外だったことなのだけれど……。  毎日更新、どういうわけか続いている。まだ十日とはいえ。  確か前回チャレンジを試みた時は四、五日で体調を崩してそのまま断念してしまったので、とりあえず続いているこの十日ちょっとは自分にとっては奇跡的とさえ言える。こんなに簡単に調子悪くなっちゃうんじゃあぜってえ無理だろうなとわりと心から思っていたのだ。それが、何故か、できてる。  ではそれはなんでかなあ、と考えたとき、記事作成に対する気の持ちようというか、やり方、心

お金の話

 昨日さ。●氏のこの記事を読んだんだよね。ちょうど自分の記事と更新時刻が近くって、すぐ下に出てたの。  なんていうか、カンドーして。心動かされたっていうか。  お金とか、それを出してくれた人にめいっぱい感謝したり、嬉しくなったりする、その気持ち。すごいなあって。この記事の内容は今の自分に必要なものだと感じたので、迷わず買っちゃった。  記事の中でも触れられているけど、たいていの娯楽は無料で提供されたり、違法で出回っている世の中であるわけで、欲しいモノ、好きなものに『お金を払

限界の向こうは無限大

 去年の今頃……よりはちょっと前になるかな。不可思議短編集の発刊に向けた準備をしはじめる、少し前のことだけど。  それまでのだいたい10年くらいの期間、創作をほぼ完全にひとりでやり続けていたんだよね。特に誰かに直接的なアドバイスを求めることもなければ身近な人に読んでもらおうともせず、そこそこの勉強や読書で得たであろう知識や技術だけを頼りに賞に応募して、音沙汰もなく落選して、という繰り返し。web媒体だからといって読者もつかず、プロフェッショナルを目指すならコミュニケーション

ありがとうのありがたみ

 これもまた少し昔の話になるけれど、以前は何かにつけ感謝感謝と連呼されるのがちょっとばかり苦手だった。そんな毎回毎回お礼や感謝の言葉が必要なのかナァ、なんて思ってて。  結論から述べると、毎回毎回、間違いなく要る。どんなに小さなことでも、ちょっとしたアイサツ代わりみたいになっても、絶対要る。いまこれを読んでくださってる方々は『そんなの当然だよ!』と思われるかもしれないけど。  考えてみれば、ただただ生意気だったんだろう。連発するとありがたみ薄れそうじゃん? とか。  実際