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必死になってみても

 本当に人生ってやつを変えていきたいなら、いっそひと月かふた月後に死が訪れるぐらいのつもりで、ひたすら多く書き連ねていかなければならないだろうか、などと考えていたのが1月の中旬あたりのことだった。小説でないものも含めて、なるべく多く遺していけるように実際に取り組んでもみた。しかし結果としては結局体の方がついていかずに、職場に迷惑をかけることになってしまったのでひとまず更新ペースをほぼ元に戻して、今に至る。

 何か成果が上がればここに書き留めるつもりでいたが、例のワニと切り口が似てしまったり、あれよあれよという間に病気の話題で持ちきりになってしまったりなどして、創作物として目新しいものが生まれたり、ということはないままだった。もうすぐ死ぬとしたらどう生きるだろう。そう考えながら3か月弱を過ごして、得た結論はつまるところ『普通に過ごす』だった。

 とりあえず今現在無職でないことに感謝しつつ、本も出すことができ国会図書館に収蔵されたはずなので、舞台の隅の隅でありながらもいち作家として死んでいける。そう考えればまあ、ここまでの道程もそう悪いものじゃあなかったのかもしれない、などと考えていた。この辺の捉え方は人それぞれあるだろうが、来たるべき時が来てもじたばたしない、という心の在り方はひとつの目標として定められたかもしれない。

 生み出すということはつまり生きることであるから、死ぬ気でとか命を削ってとかやっても、大したものは出てこないのだろう。私の場合は、たぶん。そういうわけでこの4月からは、気持ち新たに生活を噛みしめていこうかと思っている。

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