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なるべくエッセイスト

 noteを再開してからというもの、日々こうしてエッセイ『』なものを書いている。はっきりきっぱり『エッセイ』と言わずにあくまで『エッセイ的』と表現するのは、エッセイ、つまり随筆というものを、深く勉強したことがないからだ。基本となる形式、作法、あるいは技術といったもの、要は『これがエッセイを真にエッセイたらしめるモノである!』みたいな確たるモノがないままに、最初から最後まで気の向くままに書き連ねている。

 れほど勉強したことがない、というのも考えてみれば当然で、もともとは物語が書きたい人なのだから読んで調べてメモ取って、というのを繰り返していた創作物は全てフィクション、誰かの作った物語に対してだ。そこにノンフィクションである随筆作品は含まれていなかった。
 なるほど今までほぼ触れずにいたのならここらで一冊、参考がてらに読んでみてもいいのかもしれない。買い物ついでに本屋に立ち寄る、それ自体も中々に久々だ。平日の正午前、客もまばらな店内を軽く歩いて新刊などチェックしながらエッセイの棚に向かい、目についたタイトルをぱらぱらとめくってみるなどした。ものによる、とはいえ、テーマも身近、一本分の文章量もそれほど多くなく……それ自体はあまり変わらない。が、参考になるものかと問われればなんとも微妙なところだった。なので買うことまではしなかった。

 屋に置かれた書籍の数もあまり多くはなかったものの、その場で見た限りではエッセイストというのは女性の方が……というか、『女性っぽい印象のあるペンネーム』の方が多いようだ。読むの自体にこだわりはないが、今後の参考、ということでいえば同性の男性作家のほうに注目したい。すぐ横にあった『女性向けエッセイ』のコーナーに比べればだいぶ少ないながら、男性作家のエッセイもあるにはあった。しかしだ。
 作家名――森博嗣五木寛之石原裕次郎……以上。いや、読むにはいい。読むには。でもさすがに参考にはできないだろう、偉大過ぎて。いくらなんでも『普通の日常』のレベルが違いすぎる。エッセイ以外の分野でも多大な実績と功績を残した人の、一般人には想像もつかない『身の周りの出来事』なら、そりゃ本の一冊分くらいになっても不思議ではないし、読みたい人も多いはずだ。
 他に、雑誌に寄せられたエッセイを集めて一冊にしたものなどもあったが、やはり雑誌の側に頼まれて書くくらいの人物、何かしらの分野で活躍している著名人の名前がずらりと並び、結局のところそういった人たちのものでないと随筆なんて売れないんだろうな、というのを改めて知らされる結果となってしまった。商品である以上は売れないと困るし、当然といえば当然……とは思いつつ、なかなか世知辛いな、とも思ってしまう。

 のまま書き連ね続けてどうなるものか、私にももちろんわからない。ただ、投げた賽の目がいくつであろうと、なるべくしてエッセイストになった、なんて未来が待っているならそれもまた楽し、などとも思ってみたり。

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