限界の向こうは無限大

 去年の今頃……よりはちょっと前になるかな。不可思議短編集の発刊に向けた準備をしはじめる、少し前のことだけど。

 それまでのだいたい10年くらいの期間、創作をほぼ完全にひとりでやり続けていたんだよね。特に誰かに直接的なアドバイスを求めることもなければ身近な人に読んでもらおうともせず、そこそこの勉強や読書で得たであろう知識や技術だけを頼りに賞に応募して、音沙汰もなく落選して、という繰り返し。web媒体だからといって読者もつかず、プロフェッショナルを目指すならコミュニケーションツールとしての作品づくりなんてもってのほか、とさえ思ってた。

 で、その時を迎えるあたりで気付きはじめるわけだ。
 一人では限界がある、ということに。
 単純に作品のための技術向上はもとより、人間的な成長さえも、一人だけでは難しいな、と感じるようになりつつあった。ちょっと想像してみればわかるんじゃないかと思うけど、プライベートでどこ行くにも何してもだいたいにおいて一人となると、例えば映画見たりゴハン食べたりしても『ここがこのように面白かった、感動した』とか『これが以前のアレよりおいしかった』など、自分の感性のみからなる感想しか出ないため、ただそれだけで終わる。発展性がない。

 これは小説家というか、幅広い意味でのアーティストを自称する人間にとっては非常に危険なことではないか、と思う。何を書いても作っても独りよがりにしかならないおそれがある、という危険な前兆。
 感性だけでなく、技術というか基礎知識についてもやっぱり似たようなもので、本づくりを通して編集者の方や校正の方から指摘を受けるまで全然気づかなかったクセやミスのなんと多かったことか。やはり自分の目だけでなく、誰かとのかかわりあいの中でないと気づけないものはたくさんあるんだな、と痛感した。

 本ができた後もしばらくその状態は続いていたけれど、noteを毎日更新するようになってからにわかに新しい方々とのコミュニケーションが増えている。それこそ二十年近くの昔、買ったばかりのPCでインターネットに飛び込み、好きなゲームなんかの交流サイトで日夜いろいろと意見を交わし合ったりした、あの時に近い感覚。話題は全然違うけれど。

 たぶんこれも自己成長のきざしというか、ちょっとだけ新しいステージがはじまったんだろう、と思う。こういう機会、ここ最近はほとんどなかった。自分一人では開けられなかったドアを、バーンと開いてくれた人たちがいる。
 生徒の準備ができた時に教師が現れる、なんて言うけれど、たぶんどちらもが生徒であるし、どちらもが教師にもなりうるんだろう。これから何がどう繋がっていくか想像すると……ま、ちょっと未来の希望の数がふえるね。
 新たに関わり合ってくれている方々に、そっと感謝を。

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