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「嬉しかった」を使わない!甘い文章から脱却する方法

文章力養成コーチの松嶋です。今日も文章術を1つ紹介します。これも小学生に課している課題なのですが、嬉しかったことを「嬉しかったです」という言葉を使わないで書く方法です。

そう言うと、大人は単純に「『嬉しかった』の類義語を探せばいい」と考えちゃうんですが、そう思ったあなたは、もう少し手遅れかもしれません(笑)

今日は、ピアノの発表会でした。お父さんもお母さんも、おばあちゃんも、そしてお友達も見に来てくれました。毎日頑張って練習してきたので、みんなが見てくれて嬉しかったです。

生徒の作文より

小さい子がこんなふうに表現したら「そう。嬉しかったのね。良かったね」とまずは共感してあげてください。それが普通です。でも、私はその子の国語の先生なので、ちょっと違います。もちろん共感はしますよ。でも、せっかく作文を書いたのだから、もう一歩思考を深める訓練をしたいのです。
その方法が

嬉しかった禁止令

です。「嬉しかったことを作文に書きなさい」と言っているのに「嬉しかった」禁止。変な先生ですよね(笑)

まず、なぜ「みんなが見てくれると嬉しい」のかを考えてもらいます。比較対象としては「みんなに見られてはずかしい」場合と何が違うのか、「誰も来なかった」場合と何が違うのかです。
もちろん答えは1つではありません。人によって異なります。

今日は、ピアノの発表会でした。お父さんもお母さんも、おばあちゃんも、そしてお友達も見に来てくれました。毎日頑張って練習してきました。みんなが遊んでいる時に、遊びたいのを我慢したこともありました。なかなかうまく弾けなくて、泣いてしまった時もありました。でもがんばった結果、いつもより上手に弾くことができました。わたしが頑張ったことは、みんなは知らないけれど、きっとみんなの心の中に見えたのだと思います。わたしも、今までは、ピアノが上手な人を見たときに「いいなー」と思っていただけだったけれど、きっとその人も、見えないところでがんばっていたのだと思います。私はそれが見えるようになりました。だから、「上手だったよ」「がんばったね」という言葉は、私にとって、何よりの「賞」です。

書き直し作文より

この子の場合は「賞」に変わっています。「自信」や「誇り」の話になる子もいます。とにかく「嬉しかった」で済まさず、「なぜ?」を繰り返して自分の心に聞く。

この過程に必要なものは「思考」です。「類義語辞典」じゃないんです。

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