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気がつきすぎて疲れてしまう私が思う、「鈍感な人」に不足していること

今までは自分が普通、もしくは人より処理能力が少し高い程度かなと思っていたのだが、最近になってどうも、わたしは「よく気が付くタイプかもしれない」と思うようになった。

というのも周りに、わたしにとってあまりに不可解な行動をとる人が多いと感じたからだ。

家の中では旦那に「よく気が付くね」なんて褒められたこともないし、逆に「おせっかい」「余計なお世話」と言われていたし、息子にもよくうざがられるので、自分のマイナスポイントかと思っていたが、パートを始めてから接客をするようになり「よく気が付く」とほめてもらえるようになった。なのでもしかして、自分の利点なのではないかと思い、少し見方を変えて自分を見るようになってきた。

そして、周りの人が気の利かない行動をとるとき、なぜそんなことができるのか不思議に思う自分は、気が付きすぎるからなのかな、と思うようになった。

自分以外に、私並みに気が付くなと思う人があまりおらず、比較のしようがないのだが、もしかして、これを読んで、わたしもそう思う!という人がいるかもしれないので、こんなシーンの、こういう人の、こんな行動が理解できない、というパターンをあげてみる。


謎その1.なんで聴こえる場所にいるか確認しないで話すか

我が家はマンション住まいなので、戸建てよりは狭いと思うが、それでもいちおう4LDKだ。うちの旦那は、わたしがどこにいるか確認することなく、自分が家のどの場所にいても同じ音量で話す。

わたしが料理中でジュージュー肉を焼いているときに、北側のクローゼットで「??*:??★なの?」みたいな小さな声が聞こえるが、それが私に向けられたものかどうかも分からないままいると、もう一度「??*:??★なの?」という声がする。自分に向けられているのかもしれないと思って「え??何??聞こえない!!!!」と大声で叫ぶと、やっとこちらに来て要件を話す。といった感じだ。

ちなみにうちの旦那の声はかなり籠っていて、音量も小さい。そもそもなぜ、自分の小さな声が、扉を何枚か隔てたキッチンで肉を焼く私に聞こえると思って発言しているのか謎だ。

わたしなら、聞こえる場所で、聞いているか確認してから話しかける。そしてこういうことがかれこれ15年ほど繰り返されているのだが、なぜ「ここから話すと聞こえないんだな」と気づかないのかも不思議だ。


謎その2:なぜ私が忙しいかどうかみないで話すか

息子は、わたしがドタバタ忙しいかどうかなど関係なく、思ったその瞬間んにしたいことを要求してくる。ちなみに中学二年生だ。

30分くらいで3品料理を一気に作ろうと集中しているときに、いきなり「欲しいものがある」としつこく欲しいものの話をしてきたりする。

「母さんは今料理をしていて忙しそうだな」とか、そういうのが全くなしである。

だから「みて分からない?今それどころじゃないんだけど」と言うのだが、そこはガキんちょなので、否定されたと思ってすねたりする。面倒くさい。

せめて「今話しかけてよい?」とか聞いてくれ、と毎回言っているのだが、こちらもあまり改善が見られない。


 
謎その3:なぜ他人が自分と同じくらい暇だと思うか


趣味で参加しているサークルに、定年退職してヒマになった男性が参加している。彼は退職後でもダラダラすることなく、毎日のルーティンを決めて、きっちり外れなくトレーニングだの勉強だのをしているらしい。そして自分を「主夫」と名乗る。

なぜか趣味のサークルや地域の集まりに必ず一人はいるのだが、女性ばかりのなかにたった1人でも平気な定年退職おじさん。

きっと24時間働けるリゲイン世代で、家も顧みずに仕事、仕事でめでたく退職を迎えたのだろう、と想像される言動が目について、ついイライラしてしまう。

というのも、「主夫」と名乗っているのは本人の自由だが、困ったことにわたしたち「主婦」も同じくくりだと思っていて、いつでもどこでも参上して、どうでもいい打ち合わせに時間をかけられると思っているフシがあるところだ。

そして「自治会の会長」をやっているので、とんでもなく忙しい、と言っている。

詳しく聞いたことはないが、自称「主夫」の1日のスケジュールは、朝5時に起きて花の水やり、自治会の仕事で必要なメールを打ってから朝ごはん、9時から語学の勉強を昼まで2時間やり、昼ごはん、午後はジムに行ってトレーニングをして晩ごはん。ということらしい。

しかし彼にも奥さんがいるのだが、そのスケジュール内の「朝ごはん」「昼ごはん」「夜ご飯」は「主夫」の彼の仕事ではないようだ。

誇らしげにいつも話してくれるので、自分はものすごくしっかりやっているつもりだろうし、「主夫」であることに疑いもないようなのだが、ちょっと待て、と思ってしまう。

彼の家はすでに子どもたちは独立しているそうで、育児に手はかからない。そしてごはんや掃除洗濯は主夫である彼の仕事ではなく、どうも奥さまの仕事だ。

わたしのような主婦は、まだ育児もしていて、ごはん、掃除洗濯、さらにパートをしているのだが、そんなことは全く見えていない言動が目について、ついついイラっとしてしまう。

この人はきっと、今までも、奥さまがずっとやってきた家事育児の大変さに気づいてないな、と思って怒りがこみ上げるのだ。

そして「自分は忙しいから」と言って、自治会の仕事と合わせて、朝の6時くらいにサークル運営についてのピントの外れた長文LINEを送ってきたりして、さらに返信が遅いと催促が来たりしてが非常に迷惑だ。忙しさの感覚はひとそれぞれだが、他の人がどんな生活をしているのか、考えもしないのだろうか。いちおう育児家事仕事もあると伝えてあるが、お構いなしだ。


謎その4:なぜ他人は自分と同じくらい理解能力があるという前提で話すか
 

勉強でも仕事でも「教える」という立場に立った時に、一番必要なことは、分からない人に、わかる言葉で、その人に分かるように伝える、ということだと思う。

けれど、たとえばパートに入りたてなのに「ボトハン」取ってとか用語を使って分からないと「なんで分からないの?」と怒られたり、技術を教わるのに、基礎を教えずにいきなり応用を教えて、教わる側が「???」となっていると、「こんなに簡単なのに、なんで分からないの?」と不思議そうに言ったりするのは、わたしからすると変だなと思う。

分からないから教えるのだから、どこで分からないのか、何が分からないのかをこちらが把握して、そこの目線に合わせて分かるように教えるというのが必要なのではないかと思うが、分からないほうが悪い、かのような態度で接してくる人に結構出会うので、やはりこれも謎なのだ。


謎その5:なぜサービス業なのに愛想が悪いのか

日本は特にサービス業の愛想が良いことで知られるし、海外に行くと接客についてはあまりのやる気のなさに引くこともある。

とりあえず海外の話は置いといて、日本にいる私としては、接客はなるべくお互い気持ちよくやれたらいいなと思っているのだが、驚くことに、マニュアル棒読みで相手の感情無視、というサービス業の人に結構出会う。

今日もたまたま、近所のガソリンスタンドでそういう人に遭ってしまった。近所のガソリンスタンドで、洗車プリペイドカードを薦められ、あまり洗車しないので必要ないと言ったのに、1回お得になるし、本来なら半年以内に使い切るはずのものを無期限で使えるからと勧められ、いつも車検でお世話になっているし、こすった車を旦那にバレないように持ち込んで相談したりとお世話になったので、それならのんびり使い切ろうと購入した。

けれど息子の中学受験が終わってから車に乗る機会が減り、当然洗車の機会も減って、洗車プリペイドカードがほとんど使っていないまま、その近所のガソリンスタンドが今月末で閉鎖になるとお知らせがあった。

残額4000円ある。月に1度も洗車しないのに、これは困ったとスタンドに行って事情を説明したら、出てきたスタッフが最悪だった。

「返金できないのでできるだけ使ってください」

以上、だ。

返金できなくても、他の何かに代替できないか、ほかの店舗に振替できないか聞いても「無理です」の一言。

別にこちらになんの共感もしている様子はなく、「できません」の一点張り。

洗車は1回1000円だ。残額4000円。あと3週間で、汚れてもいない車を4回洗えというのもすごくひどい話だと思うし、そもそも永久に使えますからと頼まれて購入したプリペイドカードだ。閉店の予測はできなかったにせよ、今まで利用してきたお客さんにできるだけのことをしようという気がみじんも感じられず、ブチっと切れてしまった。

このスタンドは普段はものすごく愛想が良くて丁寧なスタッフばかりがいるので、気を抜いた私も悪かったのだろうが、見たことがないスタッフにこんなに無下な扱いを受け、早く帰れとばかりに面倒くさそうに対応するのを見て、引き下がれなくなった。

4000円ドブに捨ててね、決まりだから。
と言ったきり、誰か権限のある人に確認できませんかと聞いても「知りませんね、無理ですね」と却下。

挙句の果てに「それなら自分は権限がないので昼間にもう一度電話してくれ」とのこと。

電話をするなら「誰あてに」電話をすればいいのか?と聞いたが、それも答えない。電話したってお前が出たら同じ答えじゃないか。まともな回答ができる人の名前を出せと言ったが「昼間にいるんで」とズッコケな解答だ。

まあ、昼間にいつもお世話になっているスタッフさんの顔はわかるし、その方たちはみな誠意ある対応をしてくださるので、グッとこらえて出直すことにしたが、それにしてもこういう、まったくお客に共感しない、調べることもしない、ただ「知りません」で終わろうとするサービス業の人には本当にがっかりする。

残念な人に圧倒的に不足しているものとは?


こうして私は、結構「なんでこれに気づかないの?」と思ってしまうことが多いのだが、それは「わたしがそれに気づいてしまう」ことの裏返しであるのかもしれない、とやっと最近になって気づいた。

息子はまだ発展途上だとしても、他の人は、よくこれで、人生やってこれましたねと思ってしまうくらい気が利かないなと思う。

そして私が気が利きすぎて逆におせっかいというのもなんだかガッカリなのだが、結局それもこれもわたしが「気が付いてしまう側」の人だからかなと思う。

そしてこの気が付かない人に圧倒的に不足しているものは何かと考えたとき、出てくる答えは「想像力」だ。

「鈍感力」とでもいうのだろうか。

想像力なんて、誰にでもあるだろうし、身につくものだと思っていたが、標準装備が違うのか、はたまた環境がそう育てなかったのか、相手がどういう状況なんだろう?とおもんばかる機能がついていない、もしくは低い人というのがかなり多い、特に男性に多いなと思う。

男女の優劣について語るつもりはないが、女性は母性という「察する能力」がついている人が多いので、言葉で話さずノンバーバルな環境でも「空気を読んで察する」「相手の顔で言いたいことを察する」などができる人が多いと思うのだが、こと男性に関しては「おい、いい加減にしろよ」と思うくらい何も見てない、いや見えない人に出会ってしまう。

気づきすぎるのは疲れるものだ

気づかない人は、見ないふりをしているのではなく「見えない」のだから、こればかりはどうしようもないのだが、気づく方も、気づきたくなくても気づいてしまう、察してしまうので、非常に疲れる。

自分の感受性のアンテナのようなものがさまざまなものを拾ってしまうのだ。意識的に止めることもできないので、常にあれこれ情報を取り込んで疲れてしまう。

鈍感で、もっとアンテナをモッサリとさせたいと思うこともある。考えなくていいってラクだなと思うけど、考えてしまうのだからシンドイ。

HSP(Highly Sensitive Person)なんて言葉も聞かれ、繊細な人というのが世の中に一定数いるというのも認知されてきた今日この頃だが、なんだか自分が「HSPでーす」とアピールするのもキモチワルイ。

繊細だからなんでも疲れます、という感じで言い訳っぽく使ってる人がいる感じもしなくもないし、そういうのとも望んでいることは違うし、繊細も千差万別で、ひとくくりに「HSPでーす」とは言いたくない。

が、やはり相手の想像力の欠如から起こるモヤモヤは疲れてしまうので、旦那や息子など近い人にはいちいち、「これこれこういうことで大変だから疲れています、大変です」と説明をするようにしている。

たいしてかかわりのない、自称「主夫」さんなんかには説明するのも面倒だし、わかってもらえるとも思わないが一応、オーバー目に「こんな毎日を過ごして忙しいので配慮お願いします」と、あまり期待せずに説明している。

とりあえず、理解してもらう努力だけはしてみる

「想像力がない」「鈍感力」と言って、相手を気が利かないとディスって文句を言うだけなら簡単だが、それでは進展がない。

だから、とりあえず自分なりに理解してもらえるよう言葉を尽くして伝えてみるようにしている。

それでも生きる土俵や方向性が違うのだから、理解してもらえるとは思っていないが、うっすら「そうなんだね」と感じてもらえたり、わたしはわたしで、鈍感な部分を補って何か少しでも歩み寄れたらいいな、と思って過ごしている。

人生は思ったより短いのだから、少しでも進歩のある行動をしていきたい、と思っている今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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