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夏休みの自由研究をしない息子をうっかり手伝いすぎて毎年わたしが本気を出してしまう件


うちの息子は、夏休みの宿題をしなくても焦らない。

どうするの?と聞いたら「うわー」と頭を抱えるが、別に何もしない。
自由研究など「まず何をするか?」から決めなくてはいけないものについても、8月後半になっても手を付けない。

ドリル系とかは多少穴があっても本人に任せているのだが「自由研究」みたいな、やってないのが目立つやつは、根負けしてわたしが手を出す。

1.ついつい息子をプロデュースしたくなる


小学校低学年のときは仕方ないかな、と思ったが、高学年になってもやる気配はなく、わたしがうっかり手を出し続けていた。

それがだんだん面白くなってしまい、結局小学校の6年間、わたしプロデュースの企画で自由研究を乗り切ってしまった。


息子が空想で描いたモンスターの絵が良かったので、装丁を加えて画集にしたり、息子の大好きな恐竜展に行ったときの写真を貼ってレポにしたり、100均が好きな息子と、100均巡りをして比較する企画をやったり、企画出しはすべてわたし。

もはや息子の敏腕プロデューサーである。

ちょうど今日、4年前のFacebookに投稿した、息子の夏休みの自由研究写真が出てきた。息子が6年生のとき、わたしが勇み足で手を出した作品。

息子は純粋な趣味で100均の恐竜をペイントしていたので、これを活かすためにジオラマを作ろうと思った。わたしが。(笑)。

ジオラマの作り方を調べて、100均で箱を買って、恐竜時代っぽい背景を印刷して貼って、ミズゴケと紙粘土と園芸用のウッドチップで土を演出した。

初めてにしては良い出来、とわたしがご満悦。
もはやわたしの世界。ははは。

6年生は特に中学受験で塾に缶詰めだったので、もうわたしがやると割り切っていたため、なおさらわたしが張り切ってしまった。

わたしはもともと要領が良い方だし、読書感想文とか文章を書くのは昔から困ってなかった。だけど絵と習字がへたくそで、提出するのが恥ずかしい。なので、小学校の頃は絵と習字は外注して描いてもらっていた。母も母で文句言わずにせっせと描いてくれていたので、なんだか宿題に手を付けない息子にもあまり偉そうに言えず、ついつい手を出してしまうのかもしれない。

本人の宿題なんだから、出さなかったら本人が叱られればよい、とか言う人もいるんだけど、何も出さないのがわたし的に気持ち悪すぎる。ちなみに息子はいよいよとなったら潔く諦めて怒られに行けるタイプだ。

繊細なくせにこういうところは図太い。要はわたしの負け戦。

わたしのプロデューサー気質もあるのかもしれない。前職はコンテンツのプロデュースをしていて、企画が大好きなので、個性的な息子の得意分野を引っ張って、どうやって手を抜きつつ、かつ面白い企画がやれるか腕試しをしたくなっている自分もいる。

2.うっかり「博士ちゃん」から取材依頼のオファーを受ける


小学校4年生の頃だったか、どうせ今年もやる気がないだろうとわたしが考えた企画した「100均すごいぜ!」の企画は、当時、100均のおもちゃコーナーが大好きで入り浸っていたので、いろんな100均を回って、100均のおもちゃコーナーレビューをさせようと企画したもの。ダイソー、セリア、ワッツ、キャンドゥなど思いつく場所すべてに行って写真を撮り、レポートを書いた。

その自由研究の話を当時やっていたブログに書いたら、息子が100均マニアだと思われたらしく、なんとテレビ東京の「博士ちゃん」から取材依頼が来た。

電話取材で息子が取材を受けたが、残念ながら息子は100均マニアというほどマニアではなく、出演はボツになったが、なんだか自分の企画が通ったような気持ちで嬉しくなった。もはや息子の自由研究というより、わたしの趣味みたいになっている。

そんなこともあるので、ついつい企画の切り口を探すのに勝手に燃えている。

ちなみに息子は自分の宿題なのに、そんな私を見て「へーすごいじゃん」と無関心。てかお前の宿題だぞ。でも積極的に手を出しているのはわたし。負け戦である。

3.そんな息子が中3で成長した?


なぜかわたしが燃えていた小学校時代の自由研究。
中学生にあがると、宿題が少し高度になる。

中1、中2はコロナで休校やオンラインだったため、宿題も少なかったのだが、今年は理科の自由研究を模造紙に書いたり、社会の憲法を写真にとってレポートを書くなどの宿題が出ている。

毎年、夏休み最終日は、例年、何か必要なものを急に言い出したりバタつくので、わたしも仕事を入れずに準備万端。(これが良くないのだろうけど)

今年も自由研究はわたしの助けが必要かと、発表のテーマやら、エッジが聞いた環境問題をググったりしていたが、なんと今年は息子が成長した。

自分で簡単そうなテーマを選んで、なにか適当に書き始めた。いちおう今日終わらせるらしい。わたしはグラフなど使う資料のの印刷係。思わず時間ができたので、この記事を書いている。ほほほ。

と思って1時間くらいして見てみたら、途中で集中が切れて、模造紙の半分も埋まっていなかった。こりゃまた時間かかるな。

やりたくないことをやると不機嫌になって、こちらにとばっちりが来るので、面倒くさい。そうだ、だからつい手伝ってしまうんだった、思い出した。それも原因。

ちなみにもうひとつの社会の宿題は、憲法を写真にとるというもの。これはわたしがまた手を出してしまいそう。息子、夏休みは明日までなのに、まだ手を付けていないんだもの。

写真の印刷などはわたしが頼まれることになるし、夏休み前日にバタバタするのが嫌だなぁと思い、ついついわたしが日本国憲法ってどんな条項があるんだっけ?と気になって調べ始めたらハマってしまい、それっぽい写真を用意してしまった。また自ら負け戦。

4.自由研究は、あくまでひとつのきっかけ


こんなふざけた親はあまりいないようで、適当すぎて周りのママ友にドン引きされたりしていたので、こんなことを書くと「宿題を自分でやらないなんて!」とか、「過保護ね!」とかいろいろ思われるかもしれない。

けれど、夏休みの自由研究の宿題って本来「長い休みでいい機会だから調べものでもしましょうね」という、興味の促進が目的なんじゃないかなぁと思ってて、「宿題=国民の義務」みたいに縛るのも違うんじゃないかなぁと思う。

まあそれが成績とか単位に影響するから「やらなくちゃいけない」になってはいるものの、そもそも興味ないことを一生懸命やるのって結構しんどいし、あんまり意味を感じない。

自由研究が自分の見せ場だと思って頑張る子は張り切ってやればいいし、それなりにグダグダで出す子もいて、それでいいんじゃないかなと。

「教科書以外の何かに興味を持つきっかけ」として投げられているお題なので、ハマればそれでいいし、ハマらなければそれもそれで良し。あくまで個人の感想です。

5.興味が持てることは、自分から動く


まあ、そんな考えを持っているので、できるだけ本人が興味があることを前面に出せるような自由研究ができたらいいよなぁと思ってプロデュースしていた小学校時代。

もともとのプロデュース気質がムラムラと湧いてきて、それはそれで楽しかった気がする。わたしの自己満足。

学校から出される自由研究の宿題って、成果物として何か出さないとわからないからレポートだったりにまとめるのだけど、恐竜好きの息子は恐竜展に行ったり、科学マンガ「Dr.STONE」にハマって、博物館を見たり、教科書とは関係ないけれどそれなりに知的好奇心はある。

宿題のお題にはハマってないけど、夏休みらしい興味の広げ方もできている気がする。


大好きなゲームのことなら、攻略するまで泣きながら戦い続けるし、勝てる方法を調べ倒したり、あれこれ研究する。

確か小学校低学年の頃、ポケモンのゲームを攻略するために、辞書みたいに分厚い攻略本を自分で読みこなし、付箋を貼りまくって攻略していた。そのおかげか、今でもなぜか男子の割に国語が得意だ。

自分が興味があることって、言われなくても勝手に調べるし、そこで得た情報もものすごく吸収する。

どこから得た知識か分からないが、科学系の話が好きな息子は「バイオミメティクス」とか「ブラックホールのしくみ」とか妙なことを知っている。学校で習ってないどこかで得た知識だろう。

いまはそれが勉強に繋がっていなくても、どこかでつながると思っている。

とはいえ、わたしも手探りで育児するひとりの母親だ。息子の将来はもちろん心配で、楽観視したいけど来年高校生だし、学校の成績もなかなかに下の方だし、楽観視もできなくなってきてヤキモキする。

けれどやっぱり、興味があることをどんどんやっていくというのは、きっと将来何かの役に立つのではないかと思っているので、できるだけ好きなことは思い切りやってほしいなと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!



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