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彼はいかにして「化石ハンター」になったのか?国立科学博物館「化石ハンター展」で人生の面白さを知る

つくづく、人生は思い通りにならないものだなぁ、と思う。

上野の国立科学博物館特別展「化石ハンター展」で、ゴビ砂漠での化石ハンター第一人者として名を挙げた、ロイ・アンドリュース・チャップマンの人生を知っての感想だ。

でも、自分が思わぬ方向に行ってしまうことこそ、人生の醍醐味でもあるなぁと思う。

1.ハズレなし、国立科学博物館の特別展


息子が小学校低学年の頃から、毎年夏休みには上野にある、国立科学博物館の特別展に行っている。

幼稚園の頃から恐竜が大好きで、昆虫や爬虫類などにも興味があったので、知らない場所が苦手な息子も、国立科学博物館だけは毎回連れて行ってくれとせがんだ。

だからって科目としての理科が得意か?と聞かれると、ぜーーんぜんそんなことはない。

残念過ぎることに、興味のある分野が教科書に載っていない。恐竜や古生物のような太古の話や深海の話、毒のある生物などは、教科書範囲外だ。残念。

だけどそれは間違いなく「科学」なわけで、しかも日本で最新の研究を誇る国立科学博物館が総力を挙げて臨む、中身の濃い企画展。興味がない分野でも、かなり面白くて、まさに「ハズレなし」だ。

ちなみに今回は「化石ハンター展」

いままでは昆虫や恐竜など「生きものそのもの」にスポットを当てていた企画だったのだが、今回は「化石ハンター」として知られるロイ・チャップマン・アンドリュースの足跡を追う企画

人にスポットを当てた企画は珍しいかも。

去年は、息子よりもわたしが興奮した「植物」

その前が「昆虫」で、けっこう大きなジャンルの特集だったので、若干テーマが地味??と思ったのだが、息子はぜひ行きたいとのことで、参戦。

比較的小規模ではあったが、人生について考えさせられる興味深い企画展だった。

2.そもそも恐竜の化石を追っているわけではなかったのに。


このアンドリュースという人が、モンゴルのゴビ砂漠で恐竜の化石を見つけ、化石ハンターとして有名になるまで、けっこう紆余曲折あった。

っていうか、そもそも恐竜が好きだったわけじゃない、という経歴が面白い。

生きものが好きで仕方なかったアンドリュース青年は、ニューヨークのアメリカ自然史博物館に突撃して、床磨きでもよいからと頼み込んで、はく製部門の研究員として職を得た。

その後、クジラなど哺乳類の研究などで世界をまわり、哺乳類の起源をゴビ砂漠に求めてキャラバンを組んだそうだ。

クジラ研究時代の骨格模型。

当時はゴビ砂漠なんて、サイの歯の化石ひとつしか見つかってなかったので、「そんなとこ行ってどーすんだよ」状態だったらしい。

そして、哺乳類の起源を見つけたくてゴビ砂漠に行ったというのに、その何もないはずのゴビ砂漠で、うっかり恐竜の卵やら、恐竜の化石をザクザク見つけてしまった。

これがアンドリュースを有名にしてしまった。


いまでは「ジュラシック・ワールド」のメイン恐竜”ブルー”として有名なヴェロキラプトルの化石も見つけてしまっているので、そりゃ恐竜で名を挙げた化石ハンターだと思われるよね。

たくさん見つけちゃったもので、何度も探検キャラバンを組む。けれど繊細な発掘作業は苦手らしく、こんなエピソードもあってほほえましい。

恐竜の化石発掘隊として行っても、アンドリュースの真の目的は「哺乳類の起源を探ること」。小さな哺乳類の化石も持ち帰って研究していたそう。

そんな彼が、ゴビ砂漠の恐竜、およびゴビ砂漠で太古に生息していた動物の化石発掘の第一人者になったわけだ。

哺乳類の起源を見つけたかったアンドリュースだが、その意思を果たせぬまま探検は終わってしまう。

3.遺志を継ぐ化石ハンター、現る


その後、第二次世界大戦を経て、化石発掘調査は60年ほどの期間が空いてしまった。

それでも、彼の遺志を引き継ぐ者たちがふたたびゴビ砂漠に向かう。
次なる化石ハンターの登場だ。

けれど、アンドリュースが生きていた頃には、岩と砂だらけのゴビ砂漠のしっかりした目印を示すことができなかったようだ。彼らなりに測量し、発見した場所を書き記したが、60年も経つと、もうそれがどこだかわからなくなってしまっていた。

そしてアンドリュース没後に、新たな学者たちが、遺された写真をもとに、化石がじゃんじゃん出る場所を探し当てる。

アンドリュースの時代に比べて、さまざまな科学技術も進歩していて、さらに大発見が相次ぐゴビ砂漠。

いまではゴビ砂漠は「化石銀座」みたいになっているようだ。


4.実は北極圏の動物も、チベットが起源じゃね?説


そうこうしているうちに、さらに新たな発見があった。

北極圏など寒冷地に住んでいるようなユキヒョウとかも、実はチベット高原が起源で、そこの寒さに慣れてから北極圏に移住したんじゃね?みたいな説が出てきたそうで。

それを「アウト・オブ・チベット説」と呼ぶそうな。

よくわかってないので、引用で。

鮮新世(約533万年~約258万年前)には北極より寒冷だったチベット高原。ここは哺乳類が寒冷環境に適応するための訓練の場となり、氷河時代になって各地に放散したとするのが「アウト・オブ・チベット」説です。
王暁鳴博士らは、チベット高原の鮮新世の地層からチベットケサイの頭骨を発見。「アウト・オブ・チベット」説を後押しする、重要な発見です。

化石ハンター展レポート

その研究の大発見が「チベットケサイ」「毛」の「サイ」だ。

シベリアで発見された「ケブカサイ」よりも原始的な種で、チベット起源説を後押しする大発見なんだそうだ。

博物館キモ入りの、骨格標本からの再現は、迫力満点!

このケサイの骨格からの標本を作るのは相当な熱の入れようだったようで、今回の特別展グッズの目玉は、ケサイ親子だった。

かわいすぎて、うっかり親子で購入。

たぶん、息子と出会わなければ「ケサイ」の存在なんて知らないまま人生を終えていただろう。

わたしは科学なんて「別に。」なタイプなので、まったく未知のジャンルに導いてくれる息子とともに、自分が全然興味ないことを知るのが結構たのしい。

5.恐竜研究している人たちって、どんな人?


息子が中学生になったあたりから、科学博物館の特別展を監修した人もチェックしている。もし生物学者とか、恐竜学に興味を持ったとき、どこにアクセスすればよいのかをチェックしておくためだ。

勉強が嫌いで、毎日ノー勉だけど、知的好奇心が旺盛な息子が、何かしらに興味を持った瞬間がきたら、ぜひその専門的な学びができる場所にアクセスさせてやりたい。

と思うのだが、だいたい生物系の大学は北海道大学をはじめ、東京大学、九州大学など国立大学ばっかり。

これやりたーいとボンヤリ希望したところで、その大学に入るの超難関だよね。

ということで、そこは参考までにして、その恐竜学者さんの生い立ちだったり、恐竜学者になったきっかけだったり、も参考にするようにしている。

ここに出ている木村由莉さんは、生物学者になるためのいきさつが本になっている。

息子が通う塾から借りてきて、ちょっと読んだが、本当に生物好きなんだなぁと感心する。

そしてもうひとり、恐竜といえばこの人、という小林快次さん。

ほぼ日のインタビューにも出ているけど、化石がザクザクある福井生まれで、ひたすら化石を集めていたことから、化石ハンターに。

でも別に研究心が旺盛だったわけじゃなく、化石集めるのがひたすら好き。ってだけだったみたい。

勉強はしなかったと書いてあるけど、国立の附属中行ってるあたり、ご家庭が熱心だったり、環境的に知的好奇心が刺激される家庭だったのかな?とは思わなくもない。


そんなこんなで、化石ハンターになりたいかどうかは置いといて。

6.人生は、思わぬ方向に転がるからこそ面白い。


今回の特別展は小粒といえば小粒だったけど、化石ハンターの第一人者と呼ばれるアンドリュースの足跡を追えたのは、なかなか楽しい経験だった。

哺乳類の起源を探りたくて探検をはじめたアンドリュースが、うっかり恐竜の大発見をしてしまい、一躍化石ハンターとして有名になってしまった。

意図してないのに、違うジャンルで成功してしまう。そういうことってある。逆に、これをやりたい!といって鼻息荒く突進したのに、意外とつまらなくてあっさり撤退することもある。

どれにも共通するのは「やってみなければわからない」ということだ。

先に出た小林快次さんも、ほぼ日のインタビューで、
「恐竜はきっかけ、入り口でいい」というようなことを言っている。

恐竜を研究したい!と鼻息荒く小林さんの研究室にやってくる学生が、「やっぱ違う」っていなくなることも多々あるらしいけど、それはそれでいいって言ってるのが、すごい嬉しかった。

何ごとも、これと決めたから変えちゃいけないわけじゃなくって、いろいろ試してみて、まあこれなら続けられそうかな。みたいなのがぼんやり出てくる。

ほとんどの人って、そんなもんだと思うから。

わたしも昔、ハリウッドスターとお近づきになりたくて、字幕翻訳家の戸田奈津子さんに憧れて英語を勉強して、ふつーの社会人になったけど翻訳家の夢をあきらめきれず、探しに探して、BS放送の字幕を下請けしている会社に突撃し、勉強として下訳をさせてもらったことがあった。

会社員だったので、会社が終わってから家で翻訳作業。寝る間もない状態で頑張ったので半年くらいで限界が来た。

そして実際に字幕翻訳というものをやってみて「わたしには無理」とあっさり手を引いた。仕事は、外から見るのと中に入るのとでは全然違う。そういう体験をしたから、いまはまったく後悔はない。やってみたから後悔がないのだ。

その後、好きだった映画に関わる仕事をしていた時期、トム・クルーズの映画の記者会見を取材する機会に恵まれた。

大きな会場だったので遠くから写真を撮るだけだったが、トム・クルーズを観られた喜びと同じくらい、あれだけ憧れた「生・戸田奈津子さん」が見られたことに震えた。

なんだかんだ、やりたいと思ったことが叶わなくても、「なんか好き」を持っていればなんとなくそっちの方向に転がって、思わぬところでそういう出会いがあったりもする。思わぬ方向に転がって、意外な展開になるのは面白い。

いまの教育って、「やりたいことを見つける」が先に来てしまって、やりたいことを見つけてからじゃないとやってはいけない雰囲気がある。そして、やり始めたら、途中で違うと思っても、やめてはいけない空気感がある。


だけど、ちょっとやりたいことを手当たり次第にやってみて、生き残ったことが「やりたい、かつ、やれること」なんだと思う。それでいいと思う。

「やりたくないこと」の中にも、「面白いこと」は見いだせるし、「やりたいこと」の中にも、「やりたくないこと、苦手なこと」は必ずある。

そこのバランスがちょうどいいところが「まぁ好きで、続けられること」の落としどころで、いろんなことをやってたどり着く場所なのかもしれない。

だから息子も焦らずに、いろいろチャレンジしてほしいなぁと思う今日この頃だ。

パジャマ、安定の裏だけどね。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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