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83歳母が「ヘアメイクで大変身」したら、少女のような笑顔がこぼれて思わず泣けてきた件

ひとり暮らしの母に
「ヘアメイクで大変身」できるフォトプランをプレゼントした。

若い頃は美人で周りをうならせた母だが、80を過ぎてめっきり老け込んだ。

私も会うたびに老いる母には、楽しませることよりも、世話をすると言う感覚のほうが強くなり、なんだか会うと消耗するし、母を叱ってばかりでうまくいかないなと思っていたところだった。

母が喜んで元気になってほしい、けれどその方法がわからないとモヤモヤしていた時に、ある記事に出会った。

1.きっかけは「ヘアメイク+写真でシニアを笑顔にしたい」起業家に大共感したこと


はじまりは、12月中旬。たまたまスマホで日経ARIAの記事を読んでいたら、素敵な人の記事が目に留まった。

介護士だった女性が、50歳から起業して、シニアをヘアメイクして写真撮影するサービスを始めた話。

介護士をしながら、子どもを育てながら、美容師の資格を取って、さらにカメラの勉強もした彼女。馬力がとんでもない。

ちょうどパートの転職にチャレンジして落ちまくり、今後の人生を考えていた矢先だったので、心にビンビン響いてきた。

日経ARIA前編

日経ARIA後編

写真を撮ることよりも、「シニア女性がきれいになって喜ぶ姿を見るのが幸せ」という部分に重きを置いているのが好感が持てた。

きれいごとのようだけど、好きを広めたら好きが返ってくる、そんな世の中になるのが理想。

それを本気で体現しようとしている人がいることを知って興奮した。

さらに、彼女はアラフィフ同世代。

ちょうど、60代までに、自分が生きるための「何か」になる土台を作っておきたいと考えていたわたしが、この記事を読んで共感MAXになった。

「自分が60歳になった時のことを考えたんです。当時はプロジェクト運営を行いながら、現場では係長という立場。今後、昇進したとしても、60歳以降は役職が外れ、おそらくまた現場に戻ることになります。でも、50歳の今から写真を始め、10年キャリアを積んだらどうだろう。写真の技術もかなりなものになるだろうし、60歳の時に輝けると気づきました。子どもも独立したことだし、自分のために10年使ったら、10年後、今より絶対良くなるはずだからやってみよう、と12年勤めていた施設をスパッと辞めたんです」

ちょうど、アラフィフ世代はあれこれ大変な上に、今後のことも考えなくてはならない難しい時期だなぁと考えていたところで、どストライクに響いた。

最近書いていた、60までになんとかしたい、というわたしの記事にシンクロ。

彼女の記事を読んで、数分後にはこのサービスを母にプレゼントしよう、と撮影の問い合わせをしていた。

2.なんだかんだいって、女はキレイになると心が華やぐ


ジェンダーレスの時代にこんなこと言うのはなんだが、やっぱり女はキレイになると気分が華やぐ。

それを実感したのは、わたしが乳がんになり、抗がん剤治療で毛が抜けて禿げたとき。

わたし自身は、オシャレは好きだけれどそこまで「美」を追求するタイプではないと思っていた。だから、多少外見がおかしくなっても、ウィッグかぶって繕えばメンタルは保てると思っていた。

けれど、抗がん剤で禿げ散らかし、抗がん剤でいきなり閉経がきたせいか、のメンタルがかなりどん底になった。その当時は化粧をする気にもならず、毛は抜け落ち、禿げ散らかして、さらに毛染めもしてないので生き残った髪は半分白髪。

食欲はなくなるというよりは、「食べるのさえ面倒くさい」「てか生きるのが面倒くせぇ」って感じでどんどん痩せていったので、痩せて顔色が悪く、しかも白髪で禿げている気力のない自分の姿を見ると、ぎょっとした。

身体が弱くて痩せこけていた父の晩年にソックリだった。お婆さんではなく、お爺さんになっている自分にビックリして、さらに落ちこんだ。

その後、抗がん剤治療が終わり、少しずつ髪が生えてきた頃。鏡の中にいる白髪の爺さんみたいな自分に耐え切れなくなり、衝動的にドラッグストアで白髪染めを購入し、生えてきた髪の白髪を自分で染めた。

たったそれだけで、なんだか人間に戻った感じがした。

気にしてないと思っていても、外見が自分に与える影響って大きいんだな、と痛感した出来事だった。

病気をしたことで、お化粧やオシャレしたいと思うことや、美味しいものを食べたいと思う気持ちは「元気だからこそ思えること」だとわかった。

今まではそんな自分が「贅沢でわがまま」だと思っていたが、お化粧、オシャレ、美味しいもの、欲を持てることは、自分が元気な証拠だと確信を持ったから、その欲を否定せずに、できるだけ楽しめるように工夫している。

よく考えたら、オシャレもグルメも、死んだらできない。生きているからこそ楽しめることなのだ。


3.美しく生まれたのに、苦労だらけだった母

母は戦争経験者で、7歳の頃に戦争が終わった。神戸住まいだった母は、空襲にも遭っている。B-29の焼夷弾が落ちてくるのを、ほら穴の中で布団をかぶり、ただ自分に当たらないように祈るだけの日々だったそうだ。空襲が去った後に穴から出ると、隣の家が全滅していたり、黒焦げ死体が転がっていたりと、悲惨な光景を目にしている。

そこから徳島の親戚を頼って疎開し、それはそれで貧乏の極みを経験したそうだ。話を聞いていると、数十年前のこととは思えないほどひどい状況だった。

母の父(わたしの祖父)は、頭は良かったものの、性格は最悪だったそうで、祖母をいじめたおし、妻子に見せびらかしながら自分だけ良いものを食べているような人だったそうだ。祖父は気性も激しく、のん兵衛だったため、肝硬変で早くに亡くなったそうだ。

そんな気性の粗い祖父にいじめられた祖母がかわいそうで、なんとか助けになりたいと願い、母は4人兄妹の中で一番腕っぷしが強く、勝ち気だったこともあり、薪集めやら薪割り、力仕事はなんでも買って出たそうだ。

そんな苦労のせいか、わたしの母は精神年齢がちょうど7歳くらいで止まっているような気になるときがある。

戦争経験者で貧乏の極致を経験した苦労人だ。だが、持って生まれた美貌と、勝ち気で生真面目な性格のおかげで、どこの職場にいっても重宝された。

集団就職して繊維会社で働いて過労で倒れたのち、次に住み込みで働いた先の社長(うちの父)に見初められた。もともと美人の母が、生真面目に働く姿はきっと神々しかったのだろうと思う。

父は母に一目ぼれし、嫌気がさしていた自分の嫁と子どもを放置して、うちの母に色目を使ってめちゃくちゃアプローチしたらしい(母談)。そして母は、あまりにハードな人生を歩んでいたため、優しい言葉に飢えていたようだ。

残念ながら母はお調子者の父に口説き落とされ、そこからまた苦労の道を歩むことになる。

お調子者の父は、わたしが生まれたころは事業の調子が良かったようだが、わたしが3歳ごろに雲行きが怪しくなり、生来の人の好さが災いして借金をかぶった。おかげで私を連れて京都から群馬まで夜逃げすることになり、そこから先はなかなかハードだった。

それでもすごいなと思ったのが、母の美意識。貧乏で働き詰めの毎日でも、顔の手入れもオシャレも怠らなかった。毎日化粧水をつけては「女はオシャレを怠ったら終わりだよ」というのが口癖だった。

父の借金の穴を埋めるために働き詰めだったが、美人で真面目な母はどこの職場に行っても歓迎され、雇い主に重宝がられた。厄介なことに母をねたむ女子社員に嫌がらせをされたり、余計なオマケもついてきた。自分は経験してないけど、美人も大変ね。


4.苦労人の母にサプライズプレゼントをしたい


そんな苦労人の母を見て育ったわたしは、母だけは守らねばという意識で今まで生きてきた。

生真面目だけが取り柄でまっすぐな母。だけど、どことなく幼く、少女のような母がわたしをなんとか育ててくれた。

もともとしっかり者だったわたしは、習い事も自分で決めて通わせてもらったし、その後もほとんどすべてのことを自分で決めて、田舎を出て進学し、就職した。

相談に乗りようがなかったのだろうが、何もかも勝手に決めたわたしを母は全力で応援してくれた。

10年以上前になるが、母が営んでいた小さなお店が火事に遭い、母は路頭に迷った。それを機にわたしが住む神奈川に引っ越してきた母。

けれど、わたしは当時息子が小さく、自分のことで精いっぱい。母の面倒を見るより、育児を手伝ってもらう方が多かった。

息子が大きくなって、おばあちゃん子だった息子も愛想がなくなり、わたしはわたしでパートを始めて忙しくなった。なかなか母の面倒も見られないが、気丈に一人暮らしで頑張ってくれている。

けれど時々、とても寂しそうな顔をするのが気になっていた。

自由で一人で好きに行動したいわたしとは逆で、母は人と一緒にいて、にぎやかにしていたいタイプ。一人暮らしはときどき、とてつもなく寂しくなるようだ。

ときどき母を食事に連れ出したりはするが、耳が遠くて老いた母にあれこれ指図してしまう。もっと母を笑顔にしたいのに、自分がイライラしてしまっていて申し訳ないなと思っていた。

さらに、80代に入って、母はめっきり老け込んだ気がする。今でも実際の年齢よりは若いと言われるが、わたしからすると、かなり歳をとったな、と思うことが増えた。

見た目に厳しい母なので、老いていく自分を見て、少し自信を失っているようにも見えて、元気がないように思う日も増えた。なんとか元気を出してくれたらいいなとは思うけど、その方法が分からなかった。


5.母をとびきりの笑顔にできそうなプランに出会う


そこで見つけたのがこの「ヘアメイクで大変身フォト」プランだ。正式にはシニアビューティープランというのだが、冒頭に書いたとおり、「シニア女性をキレイにして笑顔になってほしい」という願いが込められたサービス。

自分の今後の働き方にも悩んでいたし、母との関係もどうしたものかと考えていたので、このサービスは天啓のように思えた。

記事を読んで問い合わせたときには、来年の2月くらいにできればいいかな、なんて考えていたが、スケジュールを聞いたら直近の12月25日が空いているという。

普段はあまり一緒に行動しないが、今年のクリスマスは母も一緒に夕食を食べようという話になっていた。

問い合わせの際にその話をしたら、「せっかくメイクしたら、そのまま外食に行くのも素敵ですね」と提案があったので、確かにそれは最高そうだと思い、急遽クリスマスに予約を入れた。

昔から美人だ美人だと騒がれていた母。美意識は高いがさすがに83歳。娘の私から見ても、歳よりは若く見えるが、かなり老け込んだなぁと思っていた。

常に鏡を見ている母だし、キレイになるなら絶対に喜んでもらえる確信があった。

ただし、自分が美しくなる写真プランにお金を使うとなると、「わたしはいいよ」となってしまう世代。わたしがヘアメイク付きの写真をプレゼントするから、とにかく25日は空けておいてとだけ伝えて、お金のことは言わずに当日を迎えた。

妙な説明をすると警戒して「やっぱりやめとく」とか言いかねないので、どうせわたしはプレゼントするなら、余計な説明はしないほうが良いと判断したのだ。

善は急げ。

6.いざ、大変身ヘアメイクフォト当日


母にはざっくり概要だけ伝えて、「メイクをしてもらうから、ノーメイクでいてね」と言ったのだけど、わたしが母のアパートに行ったら軽く化粧をしていた。

化粧するのに。と言ったら「だって恥ずかしいじゃない、すっぴんは」と言った。どこまでも私より美意識が高い母。

そうこうしているうちに、山田さんが到着。

にこやかに挨拶をしてくださったあとは、テキパキと準備を始める。

母のアパートの和室は、あっという間にメイク部屋に変身。
色とりどりのメイクグッズを見て、テンション上がる母。

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早速メイク開始。
「わたしも結構意識高くてメイク用品いっぱい持ってるのよ」的なトークを母がぶちかましはじめ、さすが勝ち気な母だなと呆れるわたし。

けれど介護士、ケアマネージャー出身の山田さんはにこやかに応対し、

「そうなんですか~♪意識高い!!」

と母の気分をあげながら素早く、かつ丁寧にヘアメイクを進めてくれる。

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メイクしてもらうのが初体験の母は、緊張しつつも嬉しそう。

楽しくおしゃべりしながらヘアメイク、なんだかんだで、だいたい1時間くらいかかっただろうか。

さてロケーション取りへ。

天気が良かったので屋外の撮影も良いですね、と話していたのだが、母のアパートの借景が素晴らしいので、ここで撮ってみましょうと提案される。

母がこちらに出てくるとき、物件探しを一緒にしたのだが、このアパートの日当たりと、管理人がしっかり手入れをしている植栽が素晴らしくて、わたしがイチ押しして決めた物件だ。

レフ版で日差しの調整や、試し撮りを重ねて、いざ本番。

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自分がヘアメイクをして写真を撮られるなんて、83年の人生で初体験の母。緊張した面持ちで撮影に挑むも、「きれいですよーーー!」という声掛けに徐々に緊張がほぐれ、なんだか楽しくなってくる。

いったん家に入って、カメラチェック。
見違えて美しく撮られた自分に驚く母。

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「華やぐ」というのは、こういう瞬間を言うのだろう。
顔がほころんで、思わず「うわぁ、きれい!!!!」と叫ぶ母。

もう顔、が7歳の少女になっている。

この表情が可愛すぎて、わたしは自分のスマホで動画を撮ったのだが、撮影しながらなんだか泣けてきた。

いつも、母のケアをしようと必死になるばかりに、一緒にいると「周り見ろ」とか「しっかりしろ」とか言ってしまっていつも公開する。

でも今日は、こんなにピュアで、純度100%に喜んでいる母を見ることができてたまらなく嬉しい。

うわぁ、嬉しい、ありがとう!!!!と言って、思わずカメラマンの山田さんに抱きつく母。

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ひとしきり大騒ぎしたあとは、室内撮影もしてみましょう、と提案してもらう。

大量の機材を設置し、母のアパートが本格フォトスタジオに変身。

7.ノリノリで女優度が上がる母


キレイに撮ってもらえて、だんだんノリノリになってきた母。
笑顔もこなれてきている。

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ノリノリになってきた母を見て、タイミングよく

「じゃあ、ちょっとポージングしてみましょうか」と髪を耳にかける仕草を指導してくれる。

まんざらでもない母、また少女に戻る。

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「はい、やってみましょう!」
といって、
ゆっくり髪を耳にかける仕草を練習。

なりきりモデルごっこ。

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なりきりモデルごっこをして、なんか嬉しくなっちゃった母の表情がこれまた最高にピュアで可愛らしい。

こんなプレゼントをする私ってなんて最高なんだろうとまで思う(そこ?)

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ちなみに上半身しか映らないので、下はユニクロのジャージ。

さあ、撮ってみましょう!で、ついに女優モードの母が発動。
「そうそう、すっごいきれいですーーーー!」とアゲアゲの声掛けが嬉しい。

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何百カット取っただろう、あれこれ撮影してもらい、ついでにわたしとの親子カットも撮影してもらい、ワーワーキャーキャーと女子会のような騒ぎで撮影会終了。

終わったときの母の顔ったら、もうまんざらでもない感がすごい。

幸せそうな顔って、こういうこと言うんだろうね。

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このnoteはわたし自身が顔を出さずにやっているので、母の顔もいちおうボカしてはみたのだけど、あまりにボカすと表情が分からなくなるので、分かる程度までのボカしにした。

嬉しい表情って、言葉を尽くすよりも見てもらったほうが伝わると思うし。

普段オクテな母が、初対面のカメラマンさんに抱き着くというのも実はビックリ。よほど嬉しかったのだろう。

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7.申し訳なさの「ありがとう」より、嬉しさからくる「ありがとう」が聞ける喜び


この活動をしている山田さん本人にもとても興味があったので、撮影後、休憩しながら少しおしゃべりさせてもらった。

山田さん曰く、この仕事は体力勝負で大変だけれど、こうやって喜ぶ顔を見るのが幸せ、とのこと。

もともと介護の仕事に従事していたころも、「ありがとう」と言われることがもちろんあったけど、「ありがとう」の種類が違う、という。

介護の現場は、おむつ替えや入浴介助など、自分でできることをお手伝いする仕事がメインだ。

本来なら、自力でトイレに行くのを、介護士さんにオムツを替えてもらう。自力で入るのが難しいから、お風呂に入れてもらう。すると、発されるのは「申し訳ない」と言う意味あいでの「ありがとう」になってしまうという。

そりゃそうだ。
やってもらって当たり前、みたいなご老人もいるだろうし、逆に、本来なら自力でできることを介助してもらうことが申し訳なく思うご老人も多いだろう。昨年亡くなった義父もそんなタイプで、なるべく迷惑をかけたくないと、いつも口にしていた。

一方、メイクをしてキレイになって写真を撮ってあげるときに聞けるのは、喜びからの「ありがとう」だ。

だいたい、キレイにしてもらって怒る人はほとんどいないし、女性は特にキレイになったらだいたいの人は嬉しい。

もう歳だからメイクなんてしなくていい、という人でも、とりあえずちょこっとメイクをしてあげると「もっとして」と言ったり、少し認知症が入っている人でも、うまくメイクをしてあげると、急に元気が出たりするという。

申し訳なさから出る「ありがとう」と喜びから出る「ありがとう」、
この2つは同じようでいて全く違う。

わたしは「マイナスをゼロにする」という言葉を使うことがあるが、介護の仕事はどちらかというと「マイナスをゼロにする」仕事なのかなと思う。

世の中、まわっていくには、「あたりまえを維持する仕事」、つまりインフラとか保守をする人というのはぜったい必要なのだが、

私はマイナスをゼロにする行為があまり喜びを感じられず、ゼロからプラスにすることで誰かが喜ぶのが好き。

人を喜ばせるとか、華やぐとかテンション上がるとか、そういうことに幸せを見出せるし、周りの人がそういう風になるのにも幸せを感じられる。

逆に、そういうことよりも、当たり前を維持することがやりがいにつながる人もいるわけで、だからわたしは今世は、喜びを振りまいて世の中を盛り上げたいと思っている。

と、ここまで熱弁をふるっておいて、肝心の写真は後日になるのだが、母のこんなに華やいだ表情が見られただけで、もう満足だ。

これに見違えて華やいだ母の写真が後日送られてくると思うと、なんだかひと粒で二度おいしい、どこぞのグリコのようなお得感を感じる。

写真が送られてきたら、また改めて記事を書こうと思うが、まずは母の華やぐ姿に泣けたのでここまでをレポートしてみた。

8.必要最低限の介護だけでなく、気持ちが華やぐサービスが必要


今回、こんな素敵なサービスを経験し、主宰の山田さんにお話を伺って思ったことがある。

母のようなシニア世代は元気な人が多いのに、行く場所がなくて元気を持て余しているなと思う。

母の話だと、オシャレをしていく場所がなくて、病院とかデイサービスにオシャレをしてくる人が多いという。

オシャレをしていく場所がないから、オシャレもする気がなくなってしまう人も多いのだろうし、そういう場所がもっとあってもいいのに、と思う。

介護は行政も絡む事案なので、なかなか「ゼロからプラス」ベクトルへのサービスは難しいのかなとは思うが、もっともっとこういう気持ちが華やぐサービスがあれば、シニア世代ももっと楽しくなるし、生きていること自体が楽しめるんじゃないかと思う。

母の変化を見て、このサービスはすごいサービスだと実感したのだが、山田さんによると、やはり介護の現場ではなかなか理解されにくいサービスだそうだ。

でもわたしは、こういうサービスがこれからの時代に必要だと思うし、何より生きる活力を与えてくれると思う。

だから「ヘアメイクで大変身フォト」サービスは、この記事を通じてはもちろん、いろんな人に紹介したり、できればヘアメイク撮影会イベントなどを企画して、たくさんの人にこの楽しさを伝えたい、いろんな人に華やいでもらえたらいいな、と考えている。

途中のレポートなのにめちゃくちゃ長くなってしまったが、最後までお読みくださりありがとうございました!

山田さんのシニアビューティープラン詳細はこちらから

つづく。

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