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監視社会とか、マスコミの原理とか。映画「トゥルーマン・ショー」で見せつけられる人間の薄気味悪さ

「はじめてのおつかい」
という番組をご存じだろうか?

幼い子が、ひとりでお使いをするミッションに挑戦する番組。

お母さんをはじめ、道中で出会う人々や、お店のおばちゃん、みんなが事情を知っていて、その子どもがおつかいを頼まれて、帰ってくるまで、出会うものはすべて「仕込み」。

危険がないように、番組スタッフがエキストラとなり、なんとかおつかいミッションを完了させるのを見て「ほのぼの」する番組だ。

この映画「トゥルーマン・ショー」は、その大人版。
本人だけは知らないが、実は彼、トゥルーマンが生まれたときからずっと、彼の人生は、ライブで全世界に配信されている。というストーリー。


この作品、1998年の映画で、実に20年以上前の作品。
当時、ヒットしているのは知っていたが、なんとなくジム・キャリーが苦手で観なかった。

それがネットフリックスでたまたま見かけ、
ずっと気になっていたので鑑賞。


なんとも、薄気味悪いものを見てしまった。


いたるところに監視カメラが仕込まれている某国をほうふつさせる「リアル」も然り、

熱愛だの不倫だの、他人の生活を追いかけまわすマスコミの日常も然り、
それを見て感情移入し、ああだこうだと楽しむわたしたちも然り。

広い檻に閉じ込めて、「ほら、広い世界を自由に楽しんで」と放牧されているような気になるわたしたちの世界も然り。

ちょっと、人間不信になりそうだ。

なんというか、このコロナ禍でこういう作品を観てしまうと、まじめに「陰謀論」とか考えてしまいそうだ。

自分以外の他人は、全員演者で、すべてがスケジューリングされていて、すべてが予定調和。なにか大きなものに操作されているような気持ち悪さ。

「孫悟空」のように、冒険していたのは、実は釈迦の手のひらの中だった、とか、「猿の惑星」みたいに、異世界だと思ってたら、実は地球だった、とか、「マトリックス」みたいに、実は人口知能が支配してる異次元がどうのこうの、とか、そんな感じなんだけど、もっと人工的な、作為的な薄気味悪さを感じる作品だった。

そして、「なんとなく苦手」なジム・キャリーは、そもそもの嘘くさい感じの笑顔が、嘘で固められた世界の設定にマッチして、めちゃくちゃベストキャスティング。

「マスク」などのコメディ作品は見ていないのだが、いまいち苦手だったジム・キャリーの演技力に今さら脱帽した。遅いけど。

見るべきか、見ないほうが良いかと問われれば、「絶対観たほうがいい」と断言できる。

もしかしたら、この映画を「キモチワルイ」と思えているうちは、感覚がマトモなのかもしれない。

そして、いままで「はじめてのおつかい」をほのぼのと見ていた自分は、ちょっとヤバかったのかもしれないと思った。

大きな意味でいえば、わたしたちも地球、宇宙と言う作られた世界に生かされている。けれど、こんな風に誰かのオモチャになりたくない。

ただ、誰かのおもちゃが生まれるのは、それを見て喜ぶ人がいるから、という現実も受け止めなくてはならない。

人って、優しくもあるけど、下世話な生き物だなぁというのを見せつけられる。そんな清濁併せもった自分、そして人間の社会で、「幸せ」というぼんやりしたテーマの答えを見つけるのは、結構難しいんじゃないかと思った。

そんな薄気味悪い「トゥルーマン・ショー」だったが、

それでもこの世に生を受けた以上、自分があとの人生、いかに楽しく充実した人生を送れるか、工夫しながらやってみようじゃないか、と思えるラストが印象的だった。

20年前の作品だが、いまだからこそグッとくる部分があるので、ぜひ観てみていただきたい。

2022年2月9日、ネットフリックスで鑑賞

今日もお読みくださりありがとうございました!


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