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やり残しのない人生を。「最高の人生の見つけ方」に学ぶ、限りある人生を楽しむ方法

5年前に乳がんが見つかり、右胸全摘手術を受け、抗がん剤治療をした。

まさか自分が「がん」になるだなんて、想像もしていなかった。

きっと、「ガン」になった人のほとんどが、自分が「ガン」になるなんて、予想もしていなかっただろうと思う。

人生なんて、予想がつかないものだ。

そして、人は生まれたら必ず死ぬことは、みんな頭では分かっているはずなのに、人生には限りがあることを実感として持っている人は少ないと思う。

わたしはたまたま、40代にガンになったことで、死を身近に感じるようになった。ふと、胸のしこりに気づいて病院に行ったら、その場でガン宣言。

ということは、なんだか不調だなと思って病院に行ったら「余命3か月宣言」てこともあるということだ。ありえる話だ。

義母だって、めちゃくちゃ元気だったのに、めまいを訴えて病院に行き、精密検査をしたら、肺がんから脳に転移して、末期がん。あと1年の命だと言われて、宣告どおり1年で亡くなった。

そんな経験をしているだけに、人生は有限で、割といきなり終わることもある、と身をもって感じている。

だからこそ、常に人生は有限だと思っているし、その時間でやりたいことをやり切ろうという思いが強いのかもしれない。

そんな「いつ人生が終わってもおかしくない」と身に染みているわたしは、映画「最高の人生の見つけ方」に出てくる2人の女性のように、人生の終わりまで楽しみ切りたいな、と思う。

「最高の人生の見つけ方」は、末期がんと宣告された女性ふたりが、ある少女が残した「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行する話。

平凡な主婦として、家庭のためだけに生きてきた女性と、バリバリ会社経営をしてきた女性。一見真逆のふたりが、末期がんという共通項で一緒に行動し、余命僅かでありながらも、新たな出会いや新たな発見に遭遇する話だ。

余命宣告されたって、人生終わりじゃない。最後の最後まで楽しめるんだな、と思うと、よっしゃわたしもまだまだこれからだ。と元気が出る。

まあ、映画の中の話なので、余命宣告されてるのに、こんなに元気なのか?とか、じゃんじゃんお金を使って大丈夫なのか?とか、いろいろ現実味がない部分はある。

だけど味わいたいのは、お金をじゃぶじゃぶ使うことではなく、今まで後回しにしてきたことを、余命僅かだから思い切ってやってしまおう!という勢いの良さ、痛快さだ。

別に余命を宣告されてなくたって、人生が有限なことは変わりない。だから、やりたいことはできるだけやって死にたいと思う。

ただでさえ、思い立ったが吉日、のせっかちなわたし。

乳がんの治療を終えてからは、やりたいことをやる速度がめちゃくちゃ早くなった。だっていつ死ぬかわかんないし。やっておこうよ。楽しんでおこうよ。

あたりまえのことだが、死んだら終わりだ。
毎日の生活は、生きているうちしか経験できないことだらけだ。

死んじゃったら、美味しいものも食べられない、旅行にも行けない、泣けない、笑えない、感動できない。

何ごとも、生きてるうちにしか味わえないことだらけなのだ。

それが分かってからは、特別じゃない毎日だってじっくり味わうようになった。自分の我を通して余計ないざこざを起こすよりも、家族で平穏に過ごすことを選びたくなった。息子が全然勉強しなくたって、キーキー怒るよりも、息子を愛でていたくなった。

それでもイザコザもトラブルもイライラもあるけれど、それも含めて人生の醍醐味だ。いつ途切れても「それなりに楽しかったな」と思えるように生きている。

そういう毎日の過ごし方が、人生のしまい方にも影響してくる気がするのだ。

昨日もそんな記事を書いた。

コロナ禍に、戦争に、震災。
自分ではどうにもしようがないことの連続だ。

別に病気じゃなくても、明日が来ないかもしれない。今のような生活が、当たり前に続くわけじゃないかもしれない。

そんな中で毎日を生きて行くことは、不安なことではあるが、逆に人生を濃く生きてやろうという原動力にもならないだろうか。

わたしはこの有限な時間をしっかり堪能して、生きていきたいなぁと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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