🌻人生を変えたターニングポイント①🌻「摂食障害の克服part1」

人生のターニングポイントの1つである、「摂食障害」の頃のお話を少しづつ綴っていこうと思います。

今回は「摂食障害克服part1✨」

中学生の頃から続けていた水泳を高校でもっとやっていきたいと思った私は、地元の高校を選ばず、市外の高校へ行きました。

市外の高校へ通うには地元のローカル電車(長良川鉄道)しかなく、都会のJRや地下鉄のように安くていつでも電車に乗れるというわけではないので親への負担がかなり大きく、家族会議になったほどの大事でした。

そんなわがままを言ってまで行かせてもらった高校時代の出来事。

高校1年生の夏が終わった頃から、水泳の記録が思ったより伸びなくなりました。

勉強をする時間も、お金も、遊ぶ時間も、恋愛も全て水泳に費やしたはずなのにうまくいかない。

そんなうまくいかない自分が悔しく、普段は普通の顔して生活していましたが、本当は苦しかったのでしょう、

今思えばストレス発散だったようですが、おいしいものを食べるのが唯一の楽しみでした。

その積み重ねで少し太り、より成績も落ち、少し瘦せたほうがいいのでは?と言われるようになりました。

確かに、中学生の頃と比較して体重増加したのは分かっていましたが、それ以上に食べることが好きで最初は気にもしていませんでしたが、

ひょんなことから始めたダイエットが、どんどん加速しました。

「痩せると周囲から褒められる…」

摂食障害でよく聞くお話。まさに私もそうでした。

「食べなければ痩せる✨痩せていることが私の良さ!」という間違った認識。

とにかく「食べない」「動く」だけを過ごして、とうとう157㎝、30㎏…

高校3年生の時でした。

病院へ行けば「これ以上痩せると…」と何度も脅されましたし、もちろん生理も止まり、椅子に座ればお尻が痛いし、人に会えば「大丈夫?」としか言われなくなり、服も痩せすぎて着れるものが少なくなって、高校のスカートは一時期パンパンだったのに、安全ピンなしでは脱げてしまう…

こんな状態でした

家族もこんな私の対応に疲弊し半崩壊、学校でも体育祭や体育は禁止され、進学も難しいだろうと、就職を進められましたし、友達も減っていきました

とても苦しかったです

食べたくないのに、食べないから状況はもっと悪化して

栄養も十分摂れていないので思考回路も停止

何をしても心に光がない

友達といった花火大会で「なんでみんな花火を見て感動できるの?何がきれいなの?」と質問したくらい。

少しは改善してみたいと思い、お弁当は保健室で食べてみたり…

いろいろ試行錯誤していたものの、ほとんどが食べようとしても食べられなくて、トイレに母の作る弁当を捨てながら毎日泣きました。


そんな私を救ったのが、高校3年生の時に生徒会の役員として活動していたことです。

当時、関わってくださった方々には再度会って感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです

生徒会役員のお仕事で、とても忙しくなったことがきっかけで「食事へ依存している場合ではなくなった」ことが改善の第一歩だったと思います。

また、仕事をこなす過程で、生徒会役員の仲間が

「私を認めてくれている」と感じるようになり、自己肯定感の高まるきっかけを与えてくれました。

私は「痩せている以外でも生きている意味があるんや」「役に立つんだ」と思えるようになり、良くしてくれる仲間にもっと心配かけないようにしたいと思い始め、食事をしてみようと思えるようになりました

そこから少し摂食障害克服の扉が開かれていきました🌻


読んでいただき、ありがとうございました!

次回に続きます。

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