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大きな声で話せるようになったから、つぶやく事を辞めました。

ずっと辞めたかった。

でも辞める必要もないと思っていた。

それでもなんとなくそのタイミングが来たら
辞めようかなって思っていた。

それが今だと思った。
(実は10日前くらいから辞めてます)

そもそもnoteを本格的に始動してからというもの
言いたいことの半分以上が
ここ(note)で吐き出せるようになって
自ずとTwitterでつぶやくことは
なくなっていた今日この頃。


私はTwitterを辞めた。

いや「つぶやく」ということを辞めた。

アカウントを消したわけではない。

なぜなら大切な推し活のための
情報収集の場であるから。

もちろん公式からの発表やお知らせで
情報の大多数は知ることができるが

私が好きなのは
海外(韓国)のアーティストがほとんどで
どうしても自動翻訳だけではわからない
独特な単語だったり
ニュアンスのようなものがある。

それらをTwitterにいるファンの人たちが
わかりやすく翻訳をしてくれる。

それを見て初めて自分なりに理解をする
ということが必要不可欠だ。

逆を言えばそれが他のSNSで補えるのであれば
すぐにでもTwitterのアカウントを
消していたであろう。

Twitterが世に広まったばかりの頃は
ただ「つぶやく」ことだけが目的のSNSだった。

それが今では良いことも悪いことも
膨大な数の情報に溢れて
フォロワーやいいねやリツイートの数が
ステータスになった。

別にフォロワーが多くなくても
いいねがなくても良いはず。

それなのに誰も見ていないのに
「つぶやく」という行為自体に
どこか劣等感や虚しさを感じてしまう。

「つぶやく」ことを評価されている気分。


あれ?そんなんだったっけ?


いつからかそんな数字に左右される自分と
「つぶやく」こと自体が
馬鹿馬鹿しく思えてきた。

しかし自分の気持ちや感情を
吐き出せる場所を得た今となっては
「つぶやき」はもう必要はない。

こうして私は学生時代から続けてきた
「つぶやき」
を心置きなく卒業した。


さらば青春。


由佳


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