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好きを仕事にするということ。

昨日はなぜかずっと眠くて、明日はお休みだというのに珍しく22時には布団にごろんと寝転んでYouTubeを観ながらまどろみ、そのまま眠りについた。

お天気が不安定だったのもあるのだろうか。

9月になっても力を緩める気のない日差しの暑さにうんざりしていたけれど、やっぱり太陽を浴びることって必要不可欠なんだと思う。

昨日はそんな眠さから、朝の通勤中にしている語学勉強は頭に入らないし、仕事の休憩中もご飯を食べながら眠りそうになるほどだった。まるで小さな子供のような気分。
幸いお仕事は予約が少ない日だったので事なきを得たけれど。
何より仕事中は頭が痛かろうがお腹が痛かろうが、アドレナリンでどうにかなるので問題はない。身体には無理をさせてしまって申し訳ないけれど。いつもありがとう私の身体。

今日は一日お休みで、10時半から美容院に行く予定があったので、起きるのは大体8時くらいで間に合うけれど、おかげさまで今朝は6時に目が覚めた。朝日がまだ登りきらない時間にスッキリ目が覚めるのはいつぶりだろうか。もう少し布団で微睡むのも悪くはないけれど、なんだか寝てしまうのは勿体無い気がして身体を起こす。

さすがにまだ6時だし、アパートのお隣さんがまだ眠っていたとしたら申し訳ないので、あまり大きな音を立てないように朝の日課をこなしていくことにした。
ちなみに、わたしが今の住居に越して1年が経った頃にお隣さんが引越しをして、そこから数ヶ月は誰もいない状態が続いていたけれど、先月ついに新しいお隣さんがやってきたようだ。
お隣さんが空室だったときは音楽をかけながら歌を歌ったり、自由な時間に掃除機をかけたりできたけれど、今はそれができなくなってしまった。熱唱していた歌は鼻歌にして、掃除機や洗濯機はなるべく日中に回すようにしている。
アパートに住むうえで、これが最低限のマナーであろう。なにより私が以前のアパートを引っ越した理由も騒音トラブルだったから、私自身も細心の注意を払うようになった。

今日はせっかくのお休みだし家中の掃除をしたいところだけれど、とりあえず後回しにして、植物たちの手入れと自分の手入れもササっと済ませて、コーヒーを淹れて、noteの執筆をすることにした。

これもまた休日の朝のルーティンの一つとなっている。朝が一番頭が冴えているし、考えが整理されているから執筆が進みやすい。パソコンの傍らに淹れたばかりのコーヒーを置いて、ふんわりと良い香りのする湯気に癒されながら文字を打っていく。

私はとても忘れっぽいので、日々思うことを箇条書きでnoteの下書きに記しているので、それらをまとめるのが朝の作業。しかしここ最近は数々の悩みごとや考えごとが頭の中をぐるぐる回り、下書きが大荒れ状態になっている。

部屋の乱れが心の乱れだとするならば
下書きの乱れは心の乱れなのかもしれない。

せっかく生まれた感情や言葉たちをうまく纏めてあげることができず、タイトルさえ付けてあげられない。コーヒーを口に運んではため息をついた。
最近ずっとそんな感じ。

本気でnoteと向き合いたいと思えば思うほど悩みは増えていく一方だ。文章を打つことはとても大好きで、いつかこの執筆が誰かにとっての価値となり、収益化や書籍という形で身を結べたならと常々思っている。けれども今のままではダメだとも思っている。

”好きなことを仕事にするのはよくない”
とよくいうけれど
わたしはそれを身に沁みて知っている。

でもきっとわたしは”好き”がなければ
動けない人間なのだというのも知ってる。

わたしはもともとカメラが趣味で子供も大好きで、いまのフォトスタジオのカメラマンの仕事を始め、今年で6年目。
最初の頃は覚えることが山積みで、自分の要領の悪さと不器用さに嫌気がさし、何度も挫けそうになった。趣味の範囲内であれば”カメラを持って写真を撮る”ということに楽しさを感じていたけれど、仕事となるとそうもいかない。わたしのしていることは写真家さんではなく商業カメラマン。お客様がいて成り立つわけで、自分の撮りたい写真だけを撮っていては仕事にならない。

1年目の頃は先輩に怒られたり、撮影がうまくいかなくて、誰もいない帰り道で泣きながら帰ったこともあるけれど、辞めようとは思ったことはなかった。

その理由は
もう一つの”好き”
がわたしの根底にあるから。

”目の前の人を笑顔にすること”

自分で言ってて恥ずかしくなるけれど。

これは小さい頃からそうだった。

小学生の頃、ピアノの発表会で拍手を浴びて客席にいる母が笑顔になってくれたことも、高校演劇をやっている時、舞台の照明に照らされてぼんやりと見えるお客さんたちが笑顔になっていく瞬間がなにより好きだった。

フォトスタジオのカメラマンにとって”カメラを持って写真を撮ること”以上にお客様に笑顔になっていただくことが何より重要だ。どれだけ良い写真を撮ろうと、過ごした時間が楽しくなければ、写真を見返すことはもうないだろう。子供の成長の節目をそんな悲しい思い出になんてさせたくない。

”私たちは写真を売っているのではなく
思い出を売っている”

いつだったか先輩が言っていた。

私は日々自分の技術のなさに挫けそうになっていたけれど、お客様から「綺麗な写真」と言われるよりも「良い思い出になりました、ありがとう」と言われるほうがよっぽど嬉しい。

どれだけ大変な撮影だろうと、お客様が笑顔になってくれるから続けられている。


noteの執筆においてもそう。

わたしの書いた記事に対して素敵なコメントをいただけたり、♡をいただけることが何より原動力になっている。
スタジオの仕事と違って、noteというSNSにおいては不特定多数のさまざまな考えを持つ人がいるだろう。文章という限られた感情表現でどこまで私の考えや想いが伝えられるかは、見てくださっている貴方にしかわからないことだけれど、想いが通じた証拠が数字やコメントとなって届く瞬間がとても嬉しい。

わたしの悩み事に共感してくださったり、趣味に共感してくださったり、音声配信を聴きに来てくださったり、どれか一つでも貴方の心を動かせたなら本望。


わたしの記事を読んでいる方の口角をほんのちょっとだけ、クイッと上げられるように私は綴り続ける。執筆について色々悩んでいたけれど、この文章を打ちながらnoteを始めた頃の初心を思い出せたような気がした。



悩みながら打っているので
読みずらかったらごめんなさい。
乱文失礼いたしました。

どうぞこれからも宜しくお願いします。

由佳

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