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たまさか家族/私 (その4 デラシネ家族)

2020年3月からの数ヶ月は、誰しも家族の形を見つめ直す機会があったのではないだろうか。コロナ危機の下でのステイホーム/自宅蟄居は、私にとって自分という個人の存在と家族について思いを巡らす期間であった。
再び2020年の暮れ、私の暮らすドイツでは、ロックダウン下のクリスマスを過ごしている。
コロナ禍に明け暮れた今年に見た3人の美術作家の作品から汲まれたものが、日頃から自身と家族について思うところと重なったので、言葉にしてみた。そのに続き、その3とその4は田中功起さんの作品《 抽象・家族 Abstracted/ Family 》《可傷的な歴史 / Vulnerable Histories 》(別記事、その3)をめぐって。折しも自己について、家族について、そして共同体をめぐる作品だ。

《抽象・家族》は、2019年に「第4回あいちトリエンナーレ」で公開された映像とインスタレーションによる作品をもとに、映画作品として2020年2月にベルリン映画祭にて上映された。私がここで取り上げているのは、このベルリン映画祭にて上映された映画作品。
映画の中には、「あいちトリエンナーレ」の会場で上映されていた映像作品に加えて、展覧会場で開かれた「アッセンブリー (集会)」という出演者と制作者の田中さん、そして観客たちが語り合う場面が収録されている。

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愛さん、クラウディアさん、清さん、安田さんの4人の登場人物は、それぞれ複数のルーツを持ちながら、日本に暮らしている。そもそもは他人同士の彼らは、どうやら一軒の民家で期間限定の「擬似家族」となって、共同生活を送っているようで、台所で料理したり共に食事をとりながら何気ない会話を交わす。あるいは、共同作業のように大きな絵画を制作している。
そうした生活の場面に時折、田中さんによって用意されたテーブルに付いて、質問に答えたり、社会学者の下地ローレンスさんと共に、改めてお互いの生い立ちを深く語り合うような機会が設けられている。

作品は、「抽象」というタイトルを掲げながらも、限りなく具体的なことがらが語られている。登場人物は、自分の家族や生い立ち、過去にあった差別経験などを訥々と語る。そのような映像を見た後、「アッセンブリー」に参加した観客は、自分の経験、意見を口に出して語り始める。また制作者で美術家の田中さん自身も、アートを語るのではなく、自分の過去を語る。

美術作品には(映画作品であればなおさらだろうか)、しばしば作者の完結した世界観を求めてしまいがちかもしれない。ところがこの作品は、むしろ問いかけ、そしてアクションを誘う。あなたはどうなのか、と。

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ということで、私もここでアッセンブリーに参加するつもりで、自分と私の家族のことを書いてみようと思った。
以下の文章は、私自身の家族の歴史にも触れているため、幾分私的なものとなっていることを、はじめにことわっておきたい。

私自身は、大阪に生まれたいわゆる在日コリアン3世で、日本語教育を受け、日本社会の中で生活をしてきた。30歳を過ぎてからフランスへ渡り4年弱を過ごし、その後9年間のイギリス生活を経て、今は北ドイツで暮らして2年余りになる。

在日コリアンといっても、その「コリアン」濃度は多種多様で、私の場合はいわゆる在日コリアンの文化的アイデンティティは極めて薄い。両親はハングルを解さないし、家庭での食事はどちらかというと洋風の料理が中心だった。母は日本の文化を、とくに着物を愛した。私自身も、祖父母の家へ向かう途上にあるコリアンタウンに立ち並ぶチマチョゴリの極彩色よりも、日本の着物の繊細な柄行きや色合いを好んで育った。
移民家庭内で受け継がれ一番身近であるはずの言葉や料理は、むしろ「韓国のもの」として、法事などの集まりで、外国人のようにすら見える祖父母や年配者たち、タバコと線香の煙やお酒の匂いと共に、何か特別で行事的なものとして記憶されている。

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つまり、文化的には「ほとんど日本人」として生きてきたはずの私だが、子供時代はどうやら差別対象である自分のルーツを隠すことを覚え、社会や身の回りで耳にする外国人差別に怯えていた。だが、それによって周りから孤立するほど「在日問題」だけが重きを占めるわけではなく、思春期のバランスを欠いた精神の中で、孤立の条件はむしろ他にも無数にあったように思う。

選挙権を持たないという自らの身分と、生まれながらに政治に向き合わざるを得ない地位を渋々と受け入れながら、在日コミュニティ内の「母国とは?、日本か韓国か」という議論が空疎に思えた。
北と南、日本と朝鮮半島だけでなく、冷戦、世界各地で絶え間なく起こる紛争と、政治的対立はいたるところにあり、在日の抱える問題にこだわることは、物事を矮小化するように感じていた。あらゆる諍いに憤りを感じつつ、だからこそイデオロギーとは離れた価値観を求めて、美術に関心を示したのだと思う。

無論、若かったその頃は、美術が政治と深く関わっていることには無知だったようだが。

東京で過ごした学生時代は、西洋の美術史を学ぶとともに、日本の文化と風土をもっと深く知りたくて、建築や美術館での展覧会、美食を求めて、地方へもよく足を運んだ。学業を終えてからも首都圏、故郷大阪の美術館で働きながら、自分なりのプロジェクトを手がけ、リサーチにも東西南北よく旅をした。自分の生まれ育ったこの列島の文化と人々に支えられ、恩恵を受けていると肌で感じた。だからこそ一度、外から自分の「祖国(=つまり日本)」を見たいと思った。

フランスへは文化庁の在外研究員として赴くことになったわけだが、日本政府から奨学金を支給される以上は、日本人として渡航したいという気持ちが強くなった。つまり帰化の申請を考えた。
それまでは、家族の信条-植民地時代に日本で日本人として生まれたはずの両親が、いきなりその国籍を奪われたのはおかしいと主張していた-のようなものから帰化申請は見送られ続けてきたのだが、信条にこだわるよりも、現実的に生きたいと思ったのだ。
そこで移民局へ赴き、どのような手続きをすればよいかと尋ねてみた。移民局の窓口の役人氏の返答は、短く簡潔なものだった。「日本を出国する外国人には、日本国は興味がありません。日本人になりたいのであれば、日本に住み続けることが大前提です」。
私は自分が政府から奨学金を支給されること、日本人として誇りを持って外国で経験を積むことで日本に貢献したい、との胸の内を説いたが、そのような精神論は全く通用せず、物理的に日本にいることができない私は、彼らの管轄外の外国人でしかなかった。

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こうして日本人になり損なった私だが、ヨーロッパに拠点が移り「在日」でなくなったことから、随分と肩の荷が下りたような気分になった。フランス人の友人から「君の人生は、生まれてから今まで、ずっと外国人なんだね」と指摘された時に、吹っ切れたように思う。
つまり、外国人であることが特別であった日本から出ることによって、「ごく普通の外国人」になれたことで、面倒な書類手続きも、マジョリティである他者との違いにも諦めがつく。
そして「在日コリアン」というカテゴリーから解放されたこと。韓国へは、ただ一度行ったきりで、なんとも言いようのない親しみを強く感じたものの、やはり私にとっては外国だった。私自身、韓国のパスポートを持っていることが後ろめたく感じた。同様に、日本の在日社会に対しても、自分の中のコリアン濃度のあまりの薄さに申し訳なさを感じてきたのだ。

今はただ「日本から来ました」と自然と言えることが、心地良い。
ただ、面倒なことは、パスポートと本名は韓国のものなので、その都度、日本語の通名との違いとともに、祖父母の代からの由来と国籍を付け加える必要がある。だがそれでも、「アジアからヨーロッパへ来た移民」とざっくり理解してもらえればそれで充分だ。

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そんな私にも子供が二人いる。子供達はイギリスで生まれて小学校の低〜中学年までを過ごした。
父親がドイツ語を話すスイス人であるために、子供達は父親とはドイツ語で受け答えし、スイスのパスポートを持っている。日本は私にとって自分を育んだ文化の国であるため、子供達とは日本語で受け答えはするものの、彼らには日本の国籍を得る資格はもちろんない。韓国の領事館では、出生届などの記入書類も全てハングルで書かれているので、その場で提出を諦めた。むしろ「読み書きできない国の国籍をもっても仕方がない」と悟った。

異なるルーツの両親のもとに、両親の母語と異なる言葉である英語を母語として育っていた子供達は、移民2世としてイギリス人になるのだろうとひっそりと感じていた。
3年前のクリスマスのこと、イギリスの地元の教会で隣人たちと微笑みを交わしながら、英語でクリスマスキャロルを歌っていた私-クリスチャンでもないにも関わらず-は、確かに「私たち家族のルーツ」はここにあり、私たちはこの地元のコミュニティの一員なのだと悟り、涙したものだ。

そんな私の家族観が、ドイツへ移ることが決まった時に大きく揺らいだー「将来、この子達が成長した時、彼らのルーツはどこにあるといえるのだろうか」。

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「デラシネ déraciné」フランス語で、「根こぎにされた、根なし草、故郷喪失者」といった意味がある。英語に置き換えるなら、”rootless”。おそらく1960年代にベトナム戦争に起因するベトナムからの難民が、近隣である日本や旧宗主国であるフランスに多く辿り着いたことから、当時は日本でもよく耳にした言葉だろう。カタカナになったこの硬く冷たい音が、いかにも私たちの家族の根を断たれるような痛みに響く。

自ら意を決して日本から風来した挙句の根無し草の私とは違って、子供達には何の意思もなく、自らを育んできた環境から根こそぎ抜かれて、別の土地へ移り住む。
内なる多文化は、豊かさの根源でもあるが、その生成過程において、しばしば残酷だ。生まれてくる家族と環境は選ぶことができず、それゆえに数々の不利益を被ってきた私自身が、その自分の子供にその所以を押し付けることになろうとは。

そこで私の子供達は、ドイツへの移住を目前に、イギリス国籍を取得し、イギリス人となった。
親としてせめて彼らにできることは、「イギリスで生まれて育ったから、イギリス人」と名乗れる状態を用意しておくことだとの思いが、煩雑な手続きの後押しをした。家族が待っているわけではないので「故郷」というほどの強い結びつきはなくなるかもしれない。だからこそ、いつか「帰りたい」と思った時にいつでも帰られる状況を整えておくこと。
折しもブレグジットでヨーロッパが分断されつつある。たかが書類上のこととはいえ、現実として彼らが将来、イギリスで学びたい、仕事をしたいと思った時に、ヴィザの申請書を目前に突きつけられる痛みは、できるなら避けておきたいと思った。

コロナ禍により、世界中で半ば国境が閉じたまま、冷たい冬を迎えた2020年の私達。通常であればスイスにいる夫の家族の元に帰省し、クリスマスを迎えていたことだろう。秋には久しぶりにイギリスへ帰りたいとも思っていた。そういえば今年の正月は、フランスのピレネーで迎えたのだった。
デラシネ家族の私達は、強いていうならヨーロッパに根付いていようか、と自らを鼓舞していた矢先のコロナ禍。

いかなる人も、移動の自由を奪われ、足止めを食らい、政治に決定されることを免れない。

2020年の3月15日、ドイツでロックダウンが始まろうというその前夜、私は一時帰国中で東京にいた。こまめに飛行機の運航状況を確かめながら、一足先にドイツへ帰国した夫と連絡を取る。そう、いま私の帰るべきところは、この家族のいるドイツなのだ。

今年の冬は、ようやくドイツで出会った数少ない友人たちと集まることもなく、ひっそりと家族で肩を寄せ合ってクリスマスと正月を迎えよう。
幸いなことに、人のルーツはどこにでも、いくつあってもいい。
根こぎになった短い根でも、すこしはこの暗く冷たい北の地にも、時と新しい出会い、思い出とともに新しい根を生やすことだろう。


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功起さんの作品に戻ろう。

最後に出演者が、縁側に置かれたピアノの前に立つ。
ソロピアノの演奏では、10本の指で弾くピアノは、一人の弾き手によってその旋律に調和と統合がもたらされるはずだ。ところがここでは、4人の共演者の指が一音ずつ、ためらいがちに、お互いの奏でる音を聴き合うようにメロディーを奏でる。ここで紡がれた音は、いつも誰かと共に生きる私たちの生き方そのものだ。時には不協和音を出しながらも、誰かが次の音を恐れずに発する。
自分のことを公に語ることは、躊躇を覚えることだが、誰もが様々な「普段は目に見えないけれど誰にでもある苦しさ、生きづらさ」の当事者であることを共有することで、新しい旋律が生まれる。

《 抽象・家族 Abstracted/ Family 》《可傷的な歴史 Vulnerable Histories 》共に、政治的な内容を含んだ美術作品、と紹介されるのかもしれないが、政治的であるのは、むしろ私たちみな、誰もが持つ固有の人生そのものではないだろうか。これらの作品は、そのような私たちの人生の政治的な一面を、具体的な当事者の言葉として映し出すことで、私たちの世界の有り様を、別の角度から見出してみせる。
なにかの当事者であることは、誰にでも起こりうることで、普遍的だ。

私たち一人一人がもがきながら生きるパーソナルな歴史は、「在日」「ハーフ」「マルチリンガル」「海外暮らし」といった大文字の歴史やカテゴリー、安易なタグ付けに回収されることのない、傷付きやすくも愛おしい時間と空間を紡いでるのではないだろうか。

私も、あなたも、少し勇気を出して、自分の音を出せればいい、そうすれば、誰かが次を繋いでくれるだろう。


記 2020年12月24日


*掲載画像は、以下に記した四点を除いて田中功起さんの作品画像です。
©️ Koki Tanaka 無断複製、無断転載を禁じます。
雛壇の画像は、筆者の幼年時代のアルバムから。続く三点は、パリにて、イギリスにて、ドイツにて。これら三点は筆者撮影。

*田中功起さんの作品の情報は以下の通り:
《抽象・家族 / Abstracted / Family 》2019(ただし、劇場版は2020年)

*劇場版、映画作品の情報は、以下の通り:
タイトル:抽象・家族
2020年/日本、シンガポール/カラー/110分
監督、プロデューサー、編集:田中功起
出演者:下地クラウディア、中川愛、橋本清、安田直人
撮影監督:青山真也
インタビュアー、アドヴァイザー:下地ローレンス吉孝
アドヴァイザー:蔵屋美香
絵画制作インストラクター:佐々木健
事前勉強会レクチャラ—:清水知子
このプロジェクトはあいちトリエンナーレ2019、シンガポール・ビエンナーレ2019、麻生グループのサポートによって制作されています。

*予告編はこちら:https://vimeo.com/492090495
上映会、ストリーミングの機会があれば、ぜひ見てください。

*田中功起さんのウェブサイト:http://kktnk.com/

*「あいちトリエンナーレ2019」の展示については以下を参考にしました:https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20408



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