見出し画像

日記 | 神護寺 空海と真言密教のはじまり展(東京国立博物館)

九州のみなさまの
ご無事をお祈り申し上げます。

また、原爆の犠牲者のご冥福や平和な未来を願い、
ともにお祈り申し上げます。


ひょんなことから仕事をお休みし。
ずっと行きたかった特別展に行ってきました。

神護寺は、かつて空海が活動の拠点とした場所。
数奇な運命を辿りながら、今も尚、法灯を守る由緒正しきお寺です。

神護寺が何かもわからず行ってきましたが、
心も魂も満たされて帰ってきました。

空海の密教を広めんとする姿勢
神護寺を栄枯盛衰
空海が制作に関わったとされる曼荼羅図

展示物そのものから、その所以から、
時空を超えたエネルギーを頂戴しました。

いやぁ…空海ってすごい。
日本に生まれてきて良かった。
てか、みんな字が綺麗すぎ。

稚拙ではありますが、
仏教の素晴らしさには触れてきたつもりです。

紙本白描高雄曼荼羅図像

高雄曼荼羅に描かれている仏様を墨線だけで描いたもの(白描図)も展示されていました。わたしが最も心奪われたのはこちらです。

描かれている仏さまの違いや表情がハッキリわかります。これまでお名前は存じていたものの、こんなに細かな部分まで御姿を拝見したのは生まれて初めて。

その分、とにかく発見が多かったのです。「こんな御姿をなさっていたのですか…」「あぁ、こんなに美しかったなんて…」「見とれてしまいますね…」と途中からぽ~っとなってしまいました。

高雄曼荼羅図そのものもエネルギーは半端ないです。描かれている仏様のパワーがひとつにまとまって、水ようかんの壁にぐいぐい押し付けられるような感じ。

圧巻ですしありがたさは100万倍増です。が、白描図を眺めて仏さまと会話できるような時間がわたしには何よりも愛おしく感じられました。

ちなみにこちらの紙本白描高雄曼荼羅図像(胎蔵界巻第一、三、四、五 金剛界巻第一、二)は1970年に重要文化財に指定され、現在は奈良県の長谷寺が所有しています。

ほ、ほしい。
明らかなる偽物でも良いからほしい。

せめてもう一度見てみたい。
5-6時間かけて舐め回すように拝みながら眺めたい。

そう思ってしまうくらい美しかったです。

高雄曼荼羅図

空海がまだ肉体を持っていた頃、制作に関わったとされる曼荼羅図です。
縦横4メートルある大きさはもちろん、それ以上の迫力がありました。

近くから見たいのはやまやまでしたが、何だか近づけない圧を感じました。それが制作に関わった方々の曼荼羅図にかける想いなのか、はたまたこれまでさまざまな願いと共にこの曼荼羅図を眺めた方々の念なのか…そこまではわかりませんでした。

が、バリアのようなエネルギーが強すぎて、近くで見るより遠くで眺める方がエネルギーをしっかり頂戴できる感覚があったのです。曼荼羅の前知識が全くないのでアレですが、曼荼羅の眺め方というか拝み方をちょっぴり教わった気がしました。

秘仏・毘沙門天立像

最後の最後で目を奪われたのは、神護寺で公開されている秘仏・毘沙門天像です。見てしまった後、しばらく動けなくなりました。

こちらは出口付近にポスターが貼られているだけ。像は展示されていませんでしたが、迫力というか訴えかけるものというか、情報量が多すぎて。メデューサにやられた感覚になりました。

展示されていたご本尊「薬師如来像」も圧巻でした。穏やかな中にピリッとした厳しさがあり「お天道様が見ているよ」的な畏敬の念を感じました。

が、毘沙門天さまを見た瞬間、最後の最後にとんでもないものと目が合ってしまった…!と愕然としたのです。こっちやん、わたしこっち見に行かなきゃじゃん!みたいな。

毘沙門天さまと目が合った瞬間の、雷に打たれたような痺れがまだ残っています。ポスターだけでこんなんになってしまうのです。同じ空間に立つことが叶ったら、わたしはどうなってしまうだろうと考えるだけで興奮してしまいます。

最後に

あぁ、やっぱり仏像って素敵。
神社も好きだけど、お寺も良い。

お寺の素晴らしさ、密教の神秘を改めて感じることができました。
こんなに素敵な展示を企画して頂いて、本当にありがたいです。

尚、神護寺は鐘をつるす建物を修理するため、クラウドファンディングを行っています。

特別展には寄付箱もあり、
気持ちだけ応援させて頂きました。

素晴らしい歴史の品々を見せて頂けるのも、歴史を守る想いや技術を持った方々がいらっしゃってこそ。この先も日本の宝を守り続けてほしいです。

そして縁あって日本に生まれ、こうして気軽にお宝を拝見できる環境にあるのなら、見れるものはしっかり目に焼き付けて感性を磨き続けようと痛感しました。

ビバ日本!

わたしのnoteを楽しんで頂けていたら嬉しいです。あなたのサポートが次の記事を書くエネルギーになります。感謝の気持ちを込めて。