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実感

いつかマレーシアで「一仕事」終えた暁には、日本の中をあちらこちらのんびりと旅してみたいと考えていた。しかし、コロナ禍が降ってわいて来て、一仕事も、その完了後という時代も、先延ばしになってしまった。と、考えると、このコロナの時間が、いつまで続くのかわからず、断続的にやってくる外出や移動の自粛期間に気を奪われているうちに、思考さえも停止するような、無駄な時間に思えてしまう。

留学先から帰国する娘を日本で迎えようと昨年5月中旬に帰国したまま、夏休み後に彼女は上手いタイミングで彼の地へ戻すことができたが、自分は日本で足止めとなった。ビザ(査証)の切れ目が縁の切れ目ではない!と自分に言い聞かし、マレーシアで留守番中の三猫士(3匹の猫たち)のためにも絶対に戻るぞ、と言いながら、気づけば早9カ月。このまま1年経ってしまうのかー。と暗澹たる気持ちになる日もあった。

しかし、幸いにも三猫士は、優しいお兄ちゃんのお世話になり、元気に幸せそうにしている。これが心の支えとなり、それじゃ今ここでやれることをやるか、という気になった。感染拡大予防の観点から外れない(という自己判断の)範囲で、自粛はするが萎縮はしない!したいことをすると決めた。

B(バスケットボール)リーグの推しチームの応援。コロナ対策をしてシーズン開幕が発表された時に、できるだけ応援しようと決め、その時々の感染者数や自治体の対応状況などを見極めながら、現地応援、またはバスケットLIVEの画面越しの応援をその都度選択。アウェイ試合の応援のため、富山遠征。それならば!と、17年前に訪れて必ずまた一緒に来ようね、と約束した友だちを誘って、黒部ダムも見学。17年前と同じ失敗をしたり、同じ場所で同じことを言ったりしてお腹の底から笑った。キトキト美味しいものも満喫。札幌遠征は少し迷ったが、試合応援の後、すぐに電車でニセコへ。外国人スキー客の全くいないニセコでは、「今なら日本人のお客さまもお楽しみいただける価格ですね」と言われ、複雑な気持ちになりながらも、ガラ空きのホテルから直結のゲレンデの新雪ほぼ独占という至福。京都遠征は、状況悪化で諦めたものの、プランを短縮して日帰りで、これまたほぼ1車両に自分たちだけという新幹線こだまで三島出発~名古屋~滋賀の友だちとの再会の旅も成功。久しぶりに一緒に畑で土に触れる幸せ。☜マレーシアで、キャメロンハイランドからイポーまで会いに行くときのワクワクの再現。

そして、見かけによらず後期高齢者の両親と二世帯住宅に住む私(たち)は、オフィスや顧客先と家を行き来する生活は避けたいという気持ちもあり、早々に在宅ワークとしていたが、秋の頃に数日滞在した、父の古い山荘の居心地の良さに今更ながら気づき、自宅から1時間ちょっとの距離なのだから、ここに居ればよいのでは?と思い至ったら吉日。そのままここで年越しをした。

もともと避暑のための山荘のため、「越冬」はキツイのではと言われたものの、考えてみれば雪山好きな私(たち)には快適そのものだった。灯油の買い方、車で運ぶとなぜか新しいタンクでも漏れることを知って予防策、継ぎ足し方などを習得した。雪が降り出して焦ってスタッドレスタイヤにも履き替えた。毎日通る場所にいる猫たちのTNR活動もはじめてやってみた。

ほぼ隔日でかけ流し源泉に入る愉しみも得て、化粧水いらずのすっぴん暮らし。地元で時短営業をがんばっている美味しいお店を応援しながら、新しい人たちと知り合う機会を得た。朝どれ野菜やうみたて玉子、出来たてのお豆腐、伏流水仕込みの麹や味噌、ローストしたてのコーヒー、山の恵みジビエ、ぴちぴちの駿河湾と相模湾の魚介、おいしい水の入手先など、これまで知らなかった素晴らしいモノや人びととの出会いに毎日感動。料理の楽しみもぐっと増した。

極寒の釣り船に乗って、初めて電動タックルを使って水深何十メートルと繋がり、日本一早く咲く可憐な桜を観るために峠を越えの道をひた走り、山の斜面一帯を覆う梅林が下から少しずつ色や香りを発していくのを愛で、森の中の水分が蒸発して霧になり山腹を這って湖まで下りて行く様の迫力に慄き、日々異なった表情を見せてくれる夕焼けに心動かされるという時間。

通りがかりの神社でその土地の神様にご挨拶し、ご神木にそっと触れて神様の杜の特別な空気に包まれると、私たちがここに立つずっとずっと昔から脈々と流れている生命の力を全身で感じる。自然の中、植物、動物、人、時、それらを繋ぐ何かを感じながら、ここにこうして生まれて生きているということそのものへの感謝が湧き上がってくる。

いつだってどこにいたって、強く伸びやかに生きようと思う。



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