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今さらながら、自己紹介!

みなさま、こんにちは。

noteを始めて1年と少し。
これまで教育に関することや、息子のハイブリッド学習(週3登校・週2ホームスクーリング)について記事を書いてきました。

その中で、よく疑問に思われることがあります。

『この人、どうしてここまで熱いんだろう?』

そうなんです。
『ホームスクーラーの母』という熱量を完全に超えています。
よく、この熱量に圧倒されると言われることがありますが、自身のこれまでを振り返ってみると、答えが出てきそうな気がしています。

そして、このような発信をしている私ってこんな人だよ!
ということも知ってもらいたいなということもあり、今さらながら『自己紹介』をさせていただきます!

私事で恐縮ですが、是非最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

超内気な子ども時代

子ども時代は今のように、決してこんなに熱い子ではありませんでした。
大衆の前で発言することが苦手、注目を浴びるのが嫌、本当に自分に自信のない子どもでした。授業中、自ら手を挙げるなんてことは皆無です。

ただ、そんな私が日々思っていたことがあります。

『この勉強をやって、何になるんだろう』

それだけは一日も欠かさずに思っていたような気がします。

計算や漢字の読み書きは得意でした。
図工も大好き、体育はそこそこ。

その他の学習に関しては、まったくもって意義を見出せず、
『早く大人になって働きたいなぁ・・』とばかり考えていました。
(そのせいか、通知表には『先生の話を聞いていない』とよく書かれていた記憶があります。うん、その通り。笑)

適当に勉強を続けていましたが、中学2年生になり、『高校受験』がチラつき始めます。

楽しい高校生活にしたいな~と思っていた私は、地元で自由な校風として知られる公立の進学校へ進学。
中2からは、『面白くない』は一旦置いておき、それなりに勉強をしました。

そして、希望の高校に入り、転機が訪れます。

人生においてかけがえのない友との出会い。

今思っても、この出会いが私の人生を変えたと思います。

底辺だった私の自己肯定感が上がり始め、『私だって、やろうと思えばできるんじゃないか?』という自信がつき始めたのです。(このあたりは話すと長くなるので今回は割愛)

しかし、高校の勉強も面白くないものでした。
とても大学に進む気なんて起きない授業。私は全く勉強せずに、ただただ高校生活をエンジョイしました。
今振り返っても、この時だけだったと思います。
先のことを考えず、『今この瞬間』だけを生きていたのは。

高2になり、また『受験』の2文字がチラつき始めます。

そしてその頃、友人の影響で英語に興味を持っていた私は、高2の夏休みを利用し、オーストラリアへ旅立ちました。
ホームステイをしながら現地校に通うという、当時の私にとっては超アドベンチャーな経験をしました。

帰国した私は思います。

『冒険最高!!!!!』

未知なものに初めて触れた私は、『自分の知らない世界を知る・出会うこと』の虜になってしまいました。

大学に進学してもっともっと世界に近づきたい。
もっともっと、冒険したい!!

そんな思いで大学進学を決意します。

進学先は北海道外と決めていました。
それも、西日本か海外と決めていました。できるだけアドベンチャー感のある、面白そうなところが良かったので。笑

結果的に進学したのは、関西のとある私大でした。
そこで待っていたのは、毎日が冒険の楽しい学生生活でした。


超行動的だった大学時代

北海道から急に関西へ行った私は、同じ日本でありながら、早々にカルチャーショックを受けます。

人も、文化も、空気感も北海道とはまるで違う関西。

海外へ行かなくとも、私にとっては十分アドベンチャーでした!!!

馴染むまで2週間ほど苦労しましたが、それからというものの関西が大好きになり、今も私の関西びいきは続いています。笑
(3年に1度くらい関西に行かないと元気がでない感じになっています。)

サークル(アカペラ・バレーボール)に入り、バイトをし、貯めたお金で長期休みにバックパックで旅に出たり、オーストラリアへインターンシップに行ったり・・

友人と出掛ける旅も最高に楽しいですが、1人で出かけるバックパック旅は冒険の塊でした。

ドキドキハラハラしながら家を出て、空港へ向かう電車の中では毎回『やっぱやめときゃよかったかな・・』という後悔に襲われます。

しかし、毎回素敵な出会いが待っているのです。
旅を繰り返すうちに、いつの間にか世界中に友達ができていました。

ここまで行動的になれたのには理由があります。
大学でもたくさんの良い友人に恵まれ、私の自己肯定感はかなり高くなっていたからです。
小中学生時代と比べると、天と地ほども違う、別人になっていました。

その上、大学では自分のやりたい学習に励めるため、大学時代は人生で一番勉強しましたね。


自分のやりたい勉強ができるなんて、この上ない幸せです。

大学生になった私はやっと、『学ぶことの楽しさ』を覚えたのでした。

それと同時に、小学校~高校の間も、『学ぶ事の楽しさ』を知っていたらどんなによかったか・・別の人生が待っていたのでは?
と思ったことは言うまでもありません。

就職~結婚して母になる

楽しかった大学生活は風のように過ぎ、社会人になりました。

大好きな関西を離れ、次の冒険先として向かったのは東京

The就活というような就活を経験し入社した、世界各国に支社のある企業。
海外に駐在することはありませんでしたが、アメリカやアジアの拠点と繋がりのある業務であったため、引き続き世界を身近に感じられる環境でした。
(そして、GWやお盆は相変わらず旅に出ていました。)

そこで数年後、再び転機がやってきます。

結婚が決まったのですが、パートナーは上海に駐在をしていました。
しかも、駐在期間はまだまだ長そうな雰囲気。

私は即決しました。
『よし、次の冒険先は上海だ!!!』

そんな勢いで退社し、上海へ飛びます。
その頃の上海は中国経済が一番良い時で、生まれて初めて『バブル』の空気感を体験しました。

中国語をマスターするために、語学学校→大学の留学生コースと、世界各国から集まった友人たちと一緒に、来る日も来る日も語学の習得に励みました。

中国語がうまくなってきて、『これなら現地で仕事を見つけられるかも!』と思った矢先に、妊娠が発覚します。

まだまだ冒険したい年頃の私にとって驚きの展開となりました。

しかし、それが今後の人生の大きな、大きな転機になるとは、この時私はまだ知らなかったのでした。


出産→帰任→家業を継ぐことになる

妊娠8か月まで上海で過ごし、出産は日本でしました。

その後時は流れ、息子が3歳になったばかりの時に主人が帰任になり、再び東京へ戻ります。
その間、私はずっと専業主婦でした。

外を飛び回ることが大好きな私でしたが、子供を産んでからは、がっつり息子と向き合い、子供中心の生活を送っていました。

『仕事復帰したいな・・外に出たいな・・』という気持ちもありましたが、それよりも、

超個性的な息子の良いところ(個性)をどうしたらもっと伸ばせるか

ということに集中しており、本を読み漁ったり、息子と接しながら日々試行錯誤していました。

生まれた瞬間、『この世の中のことは全て知っています』、という顔で生まれてきた息子。

そう、現在ハイブリッド学習(登校とホームスクーリング)を実践している小学5年生の長男です。

人より3倍は好奇心が強く、自我が強い。考え方も論理的でしっかりしている。

親子で色んな場所に出掛け、たくさん本を読み、たくさんの刺激を受け、たくさんの人と出会いながら、『なんでだろう?』を掘り下げる日々。

そんな時、ふと思います。

幼稚園(保育園)までは良くても、小学校、無理じゃない?と。笑

それ以上に、通ったことで、息子らしさがなくなってしまうのではないかという不安の方が大きかったです。

自分の小学生時代を振り返っても、好奇心の強い子にとって、学校は過酷です。それが満たされる場所では決してないからです。
自分の考えはまず通らず、自分の決定で何かをすることもできない。

一般的な公教育以外の選択肢はないものか・・・

と、オランダやフィンランドをはじめとした世界の学校教育事情や、国内外のオルタナティブスクールについて、調べ始めます。
この時も、毎日時間を見つけては死ぬほど本を読んでいました。

息子のためというのはもちろんでしたが、それ以上に、

『学び方にもっと選択肢があれば・・!!その子がその子らしさを大切に生きていける環境を作りたい』という強い気持ちが芽生えていました。

大人になってから学ぶ楽しさに気づくなんて、勿体ない。
子どものころから学ぶ事が楽しいと思いながら成長できたら、どんなに良いか!!!!

こうした思いが、今も私を突き動かす大きな原動力となっています。

そんな時、北海道で家業を営む家に一人っ子として生まれた私は、家業を継ぐために、北海道へUターンをすることになりました。
(関東出身の主人と一緒に継ぐことになりました。よく決意してくれたな・・と今でも思います。)

こうして私は、会社員→海外駐在→専業主婦という過程を経て、次は自営業という新たな冒険の旅に出ることになったのです。


現在地とこれから

家業に入ってから早7年が経とうとしています。

最初の数年は営業をしていましたが、次男の出産を機に、営業より(在宅ワークなど)融通の利きやすい経理・総務の仕事に業務変更をしました。

今は経理の傍ら、採用や労務などをはじめ、みんなが生き生きと面白く働ける職場づくりに励んでいます。

そして、週に2日は息子のホームスクーリングのため、在宅ワークを取り入れています。

しかし、私の心にはいつも変わらない『思い』があります。

子ども達が自分を大切に、自分らしく過ごすことのできる場をつくりたい。

学ぶことの楽しさを知りながら、成長してほしい。

みんな1人1人、そのままで良い。むしろ、そのままが素晴らしい。

残念ながら、今の家業では、この思いを形にすることはできません。
二足のわらじも考えましたが、二足のわらじで歩めるほど、両者とも簡単ではありません。

家業や従業員さんを大切に思う気持ちはとても大きいですが、これからは家業の第一線から身を引き、教育関係へ大きく舵を切ることに決めました。

『家業は自分が頑張るから、君(私)は教育界でがんばってほしい。
人生1度きりなんだから。このまま葛藤しながらおばあちゃんになる気?』

こう言ってくれた主人には心から感謝しています。

来年4月からは、通信で教職を取ります。

地元で『学び方の多様性』というワークショップを開催したり、オンライン対談をしたり、学校視察をするなど教育界で少しずつ活動の幅を広げていますが、いつもぶち当たる壁があります。

結局、私は教員ではない

教員免許を持っていると、みなさんの想像を超えて信頼が得られます。
色んな人が聞く耳を持ってくれます。

こうして、先へ進みたい気持ちを抑えて、今はしっかりと教員免許を取るのが良いという結論になりました。

これからもワークショップやオンライン対談、息子のホームスクーリング、学校視察等の取り組みを続けながら教職で学び、『思い』をどのような形で実現させるのが良いのか、焦らず、ゆっくり、じっくりと(しかし勢いを大切に)考えていこうと思います。

しかし、雇われる側と雇う側、そして専業主婦と色んな立場を経験するうちに、それぞれの立場で物事を捉え、考えられるようになったと思います。
これは自分の中で最大の強みかなと思います。
あと経験していないのは公務員くらいですね。

これからも、自身の取り組みを発信してまいりますので、また覗きに来ていてだけると嬉しいです。

どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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