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学校に行かない子供が増える理由

みなさま、こんにちは。

新年度が始まり、初めての投稿となります。

4/1に新入社員が入社し、新人教育の日々を送っております。
新入社員教育は私自身初めての試みですが、子育てや子供の教育と通じるところが多々あり、日々とても勉強させてもらっています。

さて、学校教育、新人教育・・・教え育むという語源を持つ『教育』。

(英語のeducationの語源はラテン語です。e(ex)→外に、duco→導き出す。
これが『その人の能力を引き出すもの』としてeducationになりました。)

教育には、

『人の発達(成長)を援助する』

『社会に適応させる』

という2つの側面があり、両者は切り離すことができないメダルの表裏のようなものです。
(簡単に言うと、個人化か社会化かということです)

両者とも生きる上で欠かせないですよね。

ただ、この2つのバランスが崩れ始めると、状況は少し複雑になります。

自己を差し置き、社会化に重きが置かれすぎると、教育を受ける方にとってはしんどいものとなってしまいますよね。

一方、個人にバランスが傾きすぎても、社会に順応できなくなる。
教育はこのバランスが鍵となります。

日本の教育では、明治維新以降、『社会化』に重きが置かれてきたと思います。そして、これまではそれがうまく機能してきました。

なぜ、それが機能してきたのでしょう?

それは、

『国の未来をある程度見通すことができた』

『日本経済が上向きだった』

からだと私自身は考えています。

今はどうでしょう?

15年後はどんな世の中になっていますか?ましてや30年後はどうでしょう?

不透明ですよね。

明治維新の時も不透明ではあったと思いますが、日本は現状維持か?西洋を追うのか?という前向きな変化を前にしていた時でした。

今は、『先々は不透明だけれど、良くはならないだろう』と感じている方が大多数なのではないでしょうか?

『社会化』は、ある程度個人を犠牲にして成り立つ側面があります。
自己を追求するわけではなく、社会の一員としてあるべき姿を目指すわけですから。

日本経済が盤石で、明るい未来を見通せる時代には、国が必要とすることに対し懸命に努力することも無駄でなく思えるでしょう。

ただ、現在のように先行きが不透明な時代の場合、この『社会化』が価値のないものになってしまっている
つまり、自己を犠牲にしてまで社会化する価値はないと感覚的に感じている人が増えている。

この見通せない未来こそが、若者の離職率の高さや子供の不登校児の増加に繋がっているのではないか、というのが私の見解です。

感覚の鋭い子供達は気づいているのです。
現在の『社会化』が、必ずしも将来実を結ぶわけではないと。

では、どうするか?

問題はそこです。

若者の離職率に焦点を当てると、企業側にできることはあります。

『会社の短期・中期・長期目標(ビジョン)』を従業員ときちんと共有することです。

先の見えない未来に対し頑張る意義を見い出せなくなるというのならば、

会社が描いている未来を見せてあげれば良いのです

会社として業績を維持することはもちろんのこと、これはとても大切なことだと思っています。

では、学校の教育現場ではどうでしょう?

国の教育改革を待つと、あと何十年もかかるでしょう。

であれば、各家庭で『個人化』と『社会化』のバランスをとることが重要になってきます。

国家レベルでいう社会化が不透明なのであれば、社会化を各家庭で定義することが大切になります。

その時に、保護者が一方的に定義するのではなく、親が考えた上で子供を交えて一緒に定義できると、さらに良いものになると思います。
(議論ができるかは、お子様の年齢や成熟度によりますが)

定義する上で大切なことは、社会から一旦目を離し、目を子供に向けることです。

不確かな社会よりも確かなものー

それは、最も信頼すべき子供達です。

親が社会の先行きを本気で考えてみる

親が、自身の直感や考えを信頼して突き進んでみる

子供が自らやりたい!と思うことを、全力で応援する

子供の可能性を伸ばす方法を試行錯誤してみる


子供の自己を大切にし、保護者の方が思う社会化を各家庭で促していけば良いのです。

社会化はどんな世になってもある程度は必要です。
人は1人ではなく仲間と生きていくのですから。
人は狩猟採取時代からずっと群れで暮らしていますし、それはDNAレベルで私たちの脳にも組み込まれています。

その社会化を国や学校に一任せず、ご家庭でしっかりと考え、実践していけばよいと思うのです。

我が家の学校とホームスクーリングのハイブリッド学習は、まさにそうした思想がベースになっています。

息子はお友達や先生と関わりたい。
ただ、学校が求める社会化の概念には息子も私も全面的には賛同できない。
よって、我が家にとってはハイブリッド学習がとても良いバランスなのです。
(もちろん、学校での学びはたくさんあり、公教育を全否定しているわけではないですよ!)

是非、一度『社会化』について考えてみて下さい。
ご自身で社会化を定義する場合、決められた枠にはめる・はめられる事とは全く異なるので、とても楽しくワクワクする作業となります。

その社会化が現在国の求める社会化と違った場合、あとは親御さんがご自身を信じて貫けるかどうかです。

日本よりも早い段階で市場が成熟し個人化が進んだヨーロッパ諸国から学ぶことも多々ありそうです。

個人化が進んだ現在も様々な問題をはらんでいますが、それも含めて考える上で良いモデルとなるはずです。

よく『今の若者は・・・』というネガティブな言葉を耳にしますが、私は全くそうは思いません。

彼らは、不確定な時代を生きていて、これからもそういう時代を生き抜いていかないといけないのです。

それは、現在の親世代とは比べものにならないほど過酷なはずです。

異なる時代背景を持つ人と現代を生きる子供達とは状況や環境が違いすぎているため、過去と現在を比較するような議論をしていても話は平行線です。

どうか、昔と今の時代背景が異なるということを大人が念頭に置いて、今の子供たちにとって何がベストなのか、前向きな議論がもっともっとなされていけば良いなと思います。

今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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