肺気胸の手術の1ヶ月後に、ホノルルマラソンを完走した話。
大学3年生のとき。いつも通り、大学にいこうと自転車を漕いでいたら、強烈な痛みが背中に走った。
「いててて…….」
まるで、細い針で、背中を刺されているような痛み。加えてなんだか息がしづらい。たまらず、自転車を止めて休む。
感じたこともないような痛み。不安に思いながらも自転車を漕いで、そのまま大学へ行った。
その日は、たまたま大学の健康診断の日で、胸部レントゲン検査を取る機会があった。これがまた奇跡的だった訳だが、私はこの健康診断で救われることになる。
数週間後、大学から電話が入った。
びっくりした。え?私の肺、縮んでるの?今、普通に息できてるけど。まじで?とかそんなことを思いながら、母親に連絡し、すぐに病院に行くことに。
そこでもレントゲンを撮って、そのレントゲンを撮ったお医者さんから、こう言われた。
ええええええええーーーーー衝撃。今すぐ入院とかあるんだ。明日の授業、どうしよう。今週末、友達と遊ぶ約束してたのにな。そんなことを考えながらも、初めての入院に、不安を感じる。
肺気胸とは、肺に穴があいて肺から空気が漏れ、タイヤのパンクのように肺がしぼむために、胸痛、咳や息切れなどが生じる病気のことをいう。なぜ起こるかは未だ不明らしい。
そして、何より私には、一番気掛かりだったことがあった。
そういえば1ヶ月後、ホノルルマラソンなんだけどな…….。
仲良かった先輩から、「卒業旅行にホノルルマラソンに出るのだけど、ゆかちゃんも行かない?」と声をかけてもらっていたのだった。ゆかちゃんなら誘ったら面白そうだってついてくるんじゃないかって思ってたんだよね、と笑って言ってくれたので、喜んでついていくことにしたのだった。
入院を告げた病院の先生に私は、尋ねる。
「あの……1ヶ月後、ホノルルマラソンなんですけど、走れますかね?」
母親はびっくりした顔をしていた。肺気胸にもなって入院と言われている娘が、1ヶ月後のホノルルマラソンのことを気にしているのだから無理はないだろう。
「優香、こればっかりは無理じゃないかな。やめとこう」と母親が横で言うのを無視して、「先生、私どうしてもホノルルへは行きたいんです」と食い下がらず言う。
すると先生は、「肺気胸は再発の恐れもあります。ホノルルってことは飛行機に乗りますよね。飛行中に肺気胸になると命の危険にも繋がりますので、手術をしましょうか。手術をすれば再発は防止できる可能性が高まります。」と言ってくれた。
手術……生まれてではじめての手術。正直めちゃくちゃ怖かったけど、ホノルルマラソンに出場したい。少し悩んだが、「お願いします」と答えていた。
手術の前に色々な説明を受けて、手術を受けた。無事に手術は成功。手術後は、胸腔ドレーンを繋いでいる状態なので、とにかく動けば激痛が走る。
トイレも自分ひとりではいけないので、看護師さんやお母さんに手伝ってもらっていた。本当に辛くて、痛くて、夜は良く泣いていた。
術後がこんなに辛いとは….と絶望したが、これもホノルルマラソンのためだ、と自分に言い聞かせて根性で乗り切り、1週間ほどで退院した。
お医者さんには、「決して無理せず頑張ってね」と送り出してもらった。私のホノルルマラソンにどうしても出たい、という気持ちを尊重して、調整して3日早く手術を終わらせてくれたらしいと、後で母から聞いた。
母親は相変わらず心配していて、「本当に行くの?」と最後まで言っていた。ただ、私は一度決めたことは基本的に変えない性格なのを知っていたので、母親も最後は諦めて、「行っても良いけど、マラソンには参加しない約束だからね。」と念押しで言っていた。
無事に両親からもホノルルに行く許可をもらって、初のホノルルへ。
飛行機も、もし肺胞が破裂したらどうしようとか、過剰に心配していたけど、(だったらお医者さんから許可はもらえないはずだけど)さすがに大丈夫だった。
それよりも、本場で聞く、「beef or chicken?」に興奮していた。「beef!」と勢いよく答えて食べたbeefは、私が想像していたbeefではなくてがっかりしたけど。
初日はホノルル観光を堪能した。有名なアラモアナセンターに行ったり、本場のEggs 'n Thingsを食べたり。
そしていよいよ、ホノルルマラソン前日。母親とは走らない約束をしたけど、やっぱり走りたい!!!!!!!!!
きっと怒られるだろうなと思いつつも、一度きりの人生なので、走ることにした。(ごめんね、母よ。)
走ると決めたものの、正直不安はあった。なぜなら手術して1ヶ月後で、なんなら走る練習はほぼできていない。中学生の頃と高校生の頃の陸上経験を頼りに、頑張るしかなかった。あと、気合いと根性。
ホノルルマラソンは、5時にスタートする。花火が上がるので、テンションは最高潮。いよいよスタート!
最初の1-3時間は良いペースで走れている。おお、私の肺、良い調子じゃん。徐々に朝日が見えてきて、明るくなってきた。この調子で行けそう!
ちょうど折り返し地点の22kmほどで、足が鉛のように重くなってきた。しかも、とにかく暑い。汗が噴き出て、Tシャツがもうベッタリだ。脱ぎたい。なんならもう水着で走りたい。
ただ、肺の調子はバッチリだった。痛くもないし、苦しくもない。
お医者さんと看護師さんに、心底感謝をした。
ただ、とにかく体力が落ちている。ずっと病院のベッドで寝ていたのだから無理もない。
いやー、いけると思ってたけどやっぱりきついか…..
そう思っていたら、沿道にいた人たちが、たくさんの飲み物とおやつを用意して「Fight!」と声援を送ってくれた。人間は不思議なもので、応援してくれている人たちがいると、なんだかまた気力が湧いて、頑張れる。
よーし、頑張るぞ、と鉛のように重い足をまた動かす。
時には歩きながら、時には走りながら、なんとか足を前に出して進む。
流石に全く練習をしていなかったので、何度も心折れそうになりながらも、もう少しだ、もう少しだ、と自分に言い聞かせて、無事にフィニッシュ。
そうして無事に完走したホノルルマラソン。
私は嬉しくなって、facebookで「無事にホノルルマラソン、完走しました!」と完走した爽やかな写真と共にアップ。
そうしたらそれをみた母親から、「ホノルルマラソン完走したって!?!?ゆか、走ったんか!?」とお怒りLINEが届いたのはいうまでもありません。
「だって、出場料2万円くらいしてんもん。勿体無いやん」
と返事をする私。
「あんたは何言うても聞かんからもうええわ、気をつけて帰ってき」
お、許してもらえたのかな、でもまあ、怒っているだろうなあ。と思いながら、大量にマカダミアナッツやチョコレートなどのハワイのお土産を購入し、許してもらいました。
でも、10年経った今でも、とっても良い思い出になってるよ。
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