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【映画】音のない、豊かな世界

ろう者の生きる世界を映し出したドキュメンタリー映画を二作続けて見ました。どちらもフランス映画。
ひとつはニコラ・フェリベール監督による1992年の映画『音のない世界で(仏題:Le pays des sourds)』

フランスのドキュメンタリー映画の第一人者ニコラ・フィリベール監督が、音の聞こえない世界を異文化としてとらえ、そこで生活するろうあ者の姿を綴ったドキュメンタリー作品。ろう学校の生徒たち、手話教師のプーラン先生、ろうあ者同士で結婚するカップルという三者の日常を現在進行形で追いつつ、要所要所にインタビューを交えた構成となっている。製作はセルジュ・ラルー、撮影はフレデリック・ラブラックス、編集はギイ・ルコルヌ、録音は「アブラハム渓谷」のアンリ・メコフがそれぞれ担当。92年ポポリ映画祭、ベルフォール映画祭、ボンベイ国際映画祭でグランプリを受賞するなど各国で高い評価を受けた。93年山形ドキュメンタリー映画祭正式招待作品。引用元:https://eiga.com/movie/43084/


もうひとつはレティシア・カートン監督による2015年の映画『ヴァンサンへの手紙(仏題:J'avancerai vers toi avec les yeux d'un sourd)』

ろう者の存在にスポットを当て、彼らが抱える心の声を描いたドキュメンタリー。ろう者の友人バンサンが突然命を絶ってから10年、レティシア・カートン監督は「ろう者の存在を知らせたい」というバンサンの遺志を継ぎ、ろうコミュニティでカメラを回し始める。美しく豊かな手話や優しくも力強いろう文化など、バンサンが教えてくれた、知られざるろう者たちの世界に触れるうち、カートン監督はろう者たちの内面に複雑な感情が閉じ込められていることに気付く。社会から抑圧されてきた怒り、ろう教育のあり方、家族への愛と葛藤。現代に生きるろう者の立場に徹底して寄り添いながら、言葉にならない心の声を丁寧にすくい取っていく。引用元:https://eiga.com/movie/89184/

どちらも美しい手話の世界観に惹き込まれます。
『音のない世界で』では、四人のろう者が楽譜を見ながら、手話で音楽を表現するシーンから始まります。まるでダンスのようにも見える、手や指先から奏でられる静かで穏やかなハーモニーは、これまで経験したことのない豊かな光景。常に音とともに暮らしている自分にとって、彼らの間で織り成される美しい調和、生き生きとした表情の背景にあるものは想像しきれません。
生まれた時から音が聞こえない、先天的なろう者の日常をさまざまな場面から切り取って構成されたこの映画。ろう学校に通う子どもたちが、電子機器のモニターを確認しながら発声練習をする姿や、相手の口の動きや振動を感じとりながら口話を身に付けようとする姿からは、聞いたことのない音を声に出すのはどれだけ難しいだろうと思わされます。
ある青年へのインタビューでは、初めて補聴器を付けたとき、溢れる音の多さに混乱し、元の静けさに戻ることで落ち着きを取り戻した経験が語られています。
また、手話は万国共通言語ではなく、それぞれの国で表現が全く異なりますが、視覚言語のため、違う国々のろう者同士でも2日間もあればすぐに会話が通じるというのも印象的でした。相手の目を見てしっかりと向き合うことで、相手の心情を読みとろうとするコミュニケーションの姿勢からは、どこか温かさや優しさが感じられます。

『ヴァンサンへの手紙』では、これまで知らなかった数々の現実に驚きの連続でした。まず、約130年間にわたり手話が禁止されていたということ。

私の世代、70年代に生まれたろう者にとって、それは共通の問題でした。そもそもフランスは、世界で初めてろう学校が設立された国です。1791年にパリ国立ろう学校が開校されて以降、手話教育によって、多くのろうの子供たちのコミュニケーション能力、読み書きの能力が向上しました。ところが1880年にミラノ会議が行われると、手話による教育が禁止され、代わりに口話法が採用されるようになったのです。以降、手話は、100年以上に渡って禁止されました。その後、80年代に入ると再び手話を使おうという機運が高まっていくのですが、70年代生まれのろう者で、かつ聴者の両親を持つ場合は、やはり口話法を選択するしかなかったのです。引用元:https://www.diversity-in-the-arts.jp/stories/10092

こんなに長い間、手話を使うことが禁止されていた上に、当事者である本人たちは自分の判断で選択ができなかったという事実。映画のなかでは、手話か口話か、聞こえる世界か聞こえない世界か、立ちはだかる選択肢を前にさまざまな葛藤が感じられます。
ここ日本では、1878年にろう教育を初めて行った京都府立ろう学校が設立され、筆談や指文字、手話を使って教育が行われていました。しかし、大正時代に口話法が普及してからは、手話による教育は禁止されたそうです。その後、90年代に教育現場への手話導入が各地で訴えられたことで、2009年に文部科学省が学習指導要領を改訂したそうです。

映画の中で印象深い言葉があります。

「心で聴けるなら、聞こえなくても何の問題がある?本当に問題なのは有識者の聞く耳を持たない世界だ。」

まず、大切なのはろう者の世界を知ること。自分の知らない異文化として突き放すのではなく、自分なりにその世界を想像し、少しでもすき間を埋めていくことが重要だと思います。

障害の原因について考えるときに、障害の「医学モデル」「社会モデル」という考え方があります。「医学モデル」は障害をその人の身体的な課題や機能的な障害(Impairment:状態、疾病、機能の損失)によってできないことに焦点を当て、障害を個人の医学的な問題として捉え、医療によるケアが必要だとする考え方です。それに対して「社会モデル」では、障害は社会によって作り出された社会的な障害(Disability:バリアや差別)が問題だと定義します。障害は個人に帰属するものではなく、物理的、組織的、対人的に起因する、社会環境が生み出すバリアや差別こそが「障害」であるという考え方です。
こうしたバリアや問題はさまざまなアプローチや考え方によって解決することができます。常に社会のなかには機能的な障害が存在すると考え、人との違い受け入れる思考を持ち、前向きなムーブメントへと繋げられる「社会モデル」の考え方をベースにすることで、あらゆる人が生きやすい社会への一歩に繋がるのだと思います。

また、映画のなかで目を奪われたのは、子供たちや登場する人の表情の豊かさです。手話はひとつの単語でも表現の仕方によって意味が変わるそう。例えば「落ちる」という手話も、顔の表情や手の動かし方の違いによって「穴に落ちる」のか「階段から転げ落ちる」のか全く違ってくるのだと言います。

そこで思い出したのが、NHKのハートネットTVで放送された、東京・品川区にある明晴学園の番組『静かで、にぎやかな学校 ―手話で学ぶ明晴学園―』です。

東京・品川区にある私立の明晴学園は、手話を第一言語として位置づける日本唯一のろう学校です。幼稚部から中学部まで57人の子ども達が通うこの学校では、友達との会話も難しい授業も全て手話。1990年代まで、手話は日本語獲得の邪魔になるとされ、多くのろう学校で禁じられてきました。そんな中、「手話で学べる学校を」と当事者や保護者が声をあげ、9年前に開校しました。子どもたちの手話だけの世界をみつめます。引用元:https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/398/

番組のなかで、冬眠していたカエルが待ち焦がれた春を謳った詩「春のうた」の世界を子供たちが手話で表現する場面があります。カエルの喜ばしい気持ちを、全身を使って表現する子供たち。その顔はあまりにもキラキラと輝いていて感動してしまいます。そして、ふと、いつも自分は表情豊かに話せているだろうか、と普段のコミュニケーションを振り返ってしまいます。声によるコミュニケーションは、相手の目を見なくても伝わります。また、声の抑揚や大きさで、相手の感情も想像することができます。「おはよう」「ありがとう」そんな一言でも、相手を見てしっかりと話すことで、伝わり方が変わるかもしれません。

今、新型コロナウイルスの感染を予防するために着用しているマスクが、聴覚に障害がある人のコミュニケーションの不便さに繋がっているというニュースを見ました。手話は手の動きだけでなく、表情や口の動きも大切な伝達要素になるため、マスクにより口の動きが読みづらいことで、意思疎通が伝わらないケースがでているそうです。

そんなコミュニケーションの問題を補うために、口元がみえる透明なマスクを開発したというニュースがありました。

新型コロナウイルスが落ち着いたあとも、感染症の予防姿勢は基本になると思います。新しい生活スタイルのなかでも役に立つ場面が出てくるかもしれません。ホームページで作り方も公開されています。


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