読書録:7つの習慣 - 人格主義の回復 - 第二章 第三の習慣

おはようございます。表題の節を読んだので、思ったこと・考えたこと・自分の場合の適用などを記録します。


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この節のタイトルは「最優先事項を優先する」

(自分自身をマネジメントする話。マネジメントについては前節の読書録を参照)


この節のはじめに二つの質問を投げられる:

・現在はしていないが、もし日頃から行っていれば、私生活に大きくポジティブな結果をもたらすと思うことは何だろう?

→自分の場合、毎日決まった時間に瞑想をすることとかかな?

・同様に、仕事や専門分野でポジティブな結果をもたらすと思われることは何だろう?

→自分の場合、決めた本やPDFの演習問題を毎日解くこととかかな?



【緊急なものと重要なもの】

ほとんどの事柄は「緊急かどうか」「重要かどうか」で4つのパターンに分けられる。

・多くの人が「緊急であって重要なもの」に仕事や私生活が振り回されているが、本当に大切なのは「緊急ではないが重要なもの」。

・この節のはじめの質問は、「緊急ではないが重要なもの」を浮き彫りにする質問。

・「緊急であって重要なもの」に振り回されていると、「緊急でないし重要でもないもの」に逃げたくなってしまう。

・「緊急ではないが重要なもの」の領域に目を向けることで、「緊急であって重要なもの」を減らす(緊急性を予防する)ことができるようになる。

・では、今の「緊急であって重要なもの」に振り回される生活の中でどうすれば「緊急ではないが重要なもの」ときちんと向き合えるようになるか?

→時間管理


「緊急ではないが重要なもの」に重点を置く時間管理のコツ:

・原則中心で考える→自然の法則に導かれるように良くなっていく
・良心を持つ→重要度を比較する際により良い選択ができる
・自分に与えられた特別なミッションを考える
・バランスをとる→仕事・家族・ボランティアなどでバランスをとっていく
・一週間単位で考える→視野が広がる

(本当は、第二節の「終わりを思い描くことから始める」を念頭におくなら、自分の人生全体の目標→10〜15年単位の目標→3年単位の目標→1年単位の目標・計画→3ヶ月単位の目標・計画 →1ヶ月単位の目標・計画 →1週間単位の目標・計画 →1日単位の計画、のように考えていくのが良いのかもしれない?)



【デリケーションについて】

・デリケーションってなんや?と思って「デリケーション 意味」で検索したけどはっきりとしたものが出てこなかった(化粧品の名前として出てきたりした程度)

・この本での「デリケーション」という言葉の使い方を見てみると、「他人に物事を頼むこと」をやんわりと指しているような気がする。

・効果的に人に頼むためには、「使い走りのデリケーション」ではなく「全面的なデリケーション」をすべき。

使い走りのデリケーションとは、細かい物事ごとに細かく指示を出してコントロールしようとすること。

全面的なデリケーションとは、出して欲しい結果だけ頼んで、その過程は完全に任せるような頼み方のこと。

・心理学的にも、部下の幸福度を上げるためにも部下に「コントロール感」を持たせることが重要であるとされていて、「全面的なデリケーション」に注目することは全体の幸福感を向上させるのに一定の効果があるのではないかと思われる。


デリケーションに関して本文中に挙げられている著者の例で思ったことがあるので以下にメモしておく。

本文中に挙げられている著者の例は、著者が「使い走りのデリケーション」をしてしまったという例で、以下のようなもの:

[家族で湖に旅行に行った時のこと。
著者はボートを運転していて、水上スキーの上手な息子が水上スキーをしている場面。
息子の華麗な水上スキーを写真におさめたいが、自分はボートを運転しているから妻に頼んだ(デリケーション)。
写真のフィルムが残り少なくなっていたため、タイミングを見計らって写真を撮る必要があったが、妻は写真の扱いに慣れていなかったため、シャッターのボタンを押すタイミングを「今は押すな、押すな、押すな、今!今押せ!今は押すな、、、」のように何分にもわたって細かく指示を出してしまった。]

この例はこのような例示をして終わっただけだが、では「全面的なデリケーション」をしつつ妻に写真を任せるにはどうすれば良かったのか?という部分については特に考察されていなかった。

この本に従って「原則中心」で考察するとどうなるか:

・重要なのは「家族が幸福な時間を過ごすこと」だから、残り少ないフィルムをミスった写真に使ってしまったところで、それを幸福に変えられれば別に問題がない。

・良い写真が撮れればみんなでそれを見て幸せになったり妻のファインプレーを褒めたりすれば良い。

・写真を撮るのにミスったら、それも一つの思い出だということにして、次の湖への旅行計画でも立てれば良い?(今度は大量のフィルムを用意することを忘れずに)

→どういう結果になっても幸せに向かえる?




自分の場合:

今の自分の生活は「緊急であるもの」がほとんど全く存在しないし、人に物事を頼むということもあまりない生活(親に生活の支援を頼むことはある)なので、あまり関係ない話だったかもしれない。だが、今後の人生で「学生」という立場が終わったときに、「緊急であるもの」の量が多くなることは想定されるから、それに対処できるように今から準備すべきだと思った。

自分にとっての「緊急であり重要なもの」や「緊急でないが重要なもの」の例:

・博士課程の学生だし、「数学をすること」「研究をすること」自体は緊急であり重要なもの。

・博士課程を3年できちんと卒業できるかどうかわからないし、卒業できてもその後のポストがあるかどうかはわからない。よって長く数学を続けていくためには生活の基盤が必要。「2年後までに自立した生活ができるようになること」「親との関係をより良くしていくことで、人生がやばそうな雰囲気になったときに支えてくれるバックグラウンドを築くこと」は「緊急ではないが重要なこと」??



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最後に、印象に残ったフレーズを引用します:

多くの場合、「最良」の敵は「良い」である。(275ページ)

これは断捨離をするときにとても実感したことでした。

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