妻の出産と家でぐうぐう寝る夫 第76回 月刊中山祐次郎
今回は、m3.comで連載している「育児敗戦記」の第7回を、許可を得て転載しています。前回はこちら。
コロナ禍のせいで立ち会いはおろか、病棟内へもまったく立ち入れなかった妻の出産。午前二時すぎの、妻からの「もしかしたら帝王切開になるかも」という電話のあと、寝落ちた僕を起こしたのはスマートフォンの振動音だった。
「せんせ、生まれたよおおおおおお」
そのメッセージとともに送られてきたのは、赤い顔の半分くらい口をあけて目をきつくしめ、右足に「中山」とマジックで書かれた紛れもない我が子の写真だった。飛び起きた僕は、「おおおお!」と声を上げた。
「!!!!ありがとうTT お疲れ様、本当にお疲れ様!涙止まらん」
わけもわからずメッセージを返す。
「ほんとにかわいいよ♡ 先生ありがとう」
このタイミングで妻は、こともあろうか僕に感謝を告げたのだった。この意味がわかるだろうか。十ヶ月以上、大好きな酒を断ち痛み止めも飲まずマグロも我慢し(妊婦には水銀濃度が高すぎる)、一日何キロも歩いて体力をつけ、さらに入院してから十時間以上、間歇的な腹痛に耐え、ほぼ徹夜で過去最高の痛みと死亡リスクのあるイベントを終えた妻が、ただ不安がっていつもより広いベッドですやすや眠っていた自分に、感謝を述べたのである。この、ありがとうという言葉に、僕は一生妻にかなわないな、と思った。(なお、あまり関係ないが妻は僕のことを先生と呼ぶ。どうにもパワハラチックでなんだかなと思うこともあるのだが、付き合う前の友人グループで僕のあだ名が「先生」だったので、そのまま残ってしまっている)
そして僕は画面の中の我が子を見、画面を撫でた。あの暗い海で漂っていた君は、こんな顔をしていたのか。赤い唇、強くしかめた眉間、小さな体には大きすぎるオムツ。黒い髪に残る胎脂。僕は何度も何度も繰り返し見た。そして思った。早く会いたい。君に早く会いたい。
それからしばらくして、妻から「出産レポート」なるものが届いた。そのレポートは、入院前日から始まっていた。
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