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<旅行記>箱根湯本―小田原、一泊二日の旅

 住民票のある区の割引を利用して、箱根湯本の湯本富士屋ホテルに泊まった。行きの交通手段は、いつも通りに東京駅から東海道線の各駅停車に乗って小田原に向かった。昼前の時間帯だが、混んでいる。そして外国人観光客が多い。皆どこへ向かうのだろうか。

 途中大森付近で、横須賀線の人身事故で5分程停車したが、あまり遅れずに進んだ。車内は、横浜を過ぎたあたりから空いてきて、最後は閑散としてきた。この車内風景の変化は、旅への誘いになる。大勢の人がいる日常から、人の姿を見かけない非日常へ赴くためには、東海道線の混雑は必要なものなのだろう。

 東京へ来る前から乗っていた外国人観光客は、話している言葉からするとドイツ人あるいはドイツ語圏内のヨーロッパ人の親子連れらしい。子供が童謡の一節を歌っているのが聞こえる。子供の歌声はいつ聞いても楽しい。その近くでお父さんが、盛んにスマホをチェックしていた。そして、車内が空いてきたため、四人掛けの席へ移動した。家族が向かい合わせに座る、これぞ家族旅行という風景になっていた。もしかすると、箱根湯本まで一緒かも知れない。そしてホテルが同じだったら?もしそうなら、話す機会があるかも知れない。たぶん英語なら通じるだろうから。

 小田原駅に着き、構内を歩いて小田急線の箱根登山鉄道に乗り換えた。駅構内にも、多くの外国人観光客がいる。皆、待合用の椅子に座っている。次に何をしようとしているのだろうか。電車の時間を待っているのだろうか。その目的の見えなさが、何か不思議な気分になる。登山鉄道に乗る。登山鉄道といっても、箱根湯本までは普通の電車だ。湯本から先が、いかにもという登山電車になる。車両に乗り込んだ後、外国人観光客に9割以上を占拠されている車内を見たが、さっきのドイツ人親子の姿は見えなかった。おそらく小田原が目的地か、あるいは東海道線をさらに乗り換えて、熱海にでも行くのだろうか?そういえば、お父さんが「キョートー」とか言っていたので、京都まで行くのだろうか?しかし、各駅停車で京都まで行くのはかなり大変だと思うが。もしかすると、鉄道オタクなのかも知れない。

小田急小田原駅

 小田原から箱根へ登っていく途中から、雨が激しくなってきた。遠くに見える山は霧で霞んでいる。さらに高度を増すので、箱根湯本はもっと雨が激しくなっているだろう。すぐに箱根湯本に着いた。乗車気分が少ない路線である。湯本の駅の反対側のホームには、文字通りの登山電車が待機していて、乗り換え客を急かしている。私たちは駅から出て、やはり雨は本降りになっている中を歩く。駅近くの商店街は途中まで小さなアーケードになっているので、雨はしのげる。そこで傘を持たない中国系観光客の団体が大勢で道を塞いでいる。その中をくぐり抜けると、もうアーケードはない。歩道はさらに小さくなっている。そこに傘を持たない中国系の観光客が、次から次へと駅に向かっていく。私たちは、そうした中国系観光客の集団と、傘を斜めにして雨に濡れながら歩く。

箱根湯本駅
箱根湯本のアーケード

 大きな河の橋に辿り着く。その橋の狭い歩道を行き交う観光客が多い。しかも、橋の途中で河を眺めるので渋滞している。私はその中で、なるべくすれ違いが少ない機会を選んで進もうとしたが、橋の手前で上りになっているため、痺れた両足が固まって動かなくなった。妻はすでに橋を渡った先の蕎麦屋の前で待っている。私は、橋の手前で観光客の邪魔にならないように、雨の中立ち尽くしている。でも、水量が増した河や橋、そしてランチに予定しているはつ花(本店)蕎麦屋の姿を、スマホで撮影していた。自分の気持ちとしては、足が痺れているのではなく、写真を撮るために立っていることにしている。そのうち足のしびれが軽くなってきた。私は慎重に動き出す。手すり近くは雨水が溜まっているのもかまわず、手すりを掴んで前進する。こうすれば河の落ちることはないだろう。橋を渡った。蕎麦屋についた。妻は先に中に入っていた。親切な店員のおばちゃんが、傘をしまうビニール袋とともに、中へ案内してくれた。ここは橋沿いかつ川沿いにある、実に風情がある古い店だ。

はつ花遠景
はつ花入口

 東海道線の遅延で私たちが着いたのは13時過ぎだったこともあり、運よく待たずに座れた。ここは人気になっているようで、カップルで来ている人の姿が目立っている。さっそく、ビールだ。さっきまでの足のしびれや雨に濡れたことなど、この最初の一杯で消え去ってしまう。座った席は、窓に簾がかかっていて、その隙間から雨の音と河の水の音が聞こえてくる。その簾と光との調和がなぜか美しい。

簾から河を覗く

 そして、蕎麦が来るまでの間、板わさと自然薯の味噌漬けをつまむ。

板わさと自然薯の味噌漬け

 蕎麦屋では、蕎麦が出来上がるまでの間、つまみと酒でちびちびやるのが一種の礼儀だ。それが蕎麦をよけいに旨くする、というのは酒飲みの勝手な理屈だろう。電車を乗り継ぎ、雨の中を歩いてきたせいか、ビールが進む。中瓶だったこともありすぐになくなったので、常温の日本酒を頼んだ。冷酒も良いが、この古風な風情には今流行りの冷酒は合わない。昔からの酒、しかも夏だから燗をせずに、常温で飲むのが良いのだ。

酒 常温

 妻は天ぷらともりそばを頼んだが、私はどこへいってもその店の名前がついているもの―つまり、その店のお薦め―を頼むことにしている。そして、この店の名物である自然薯蕎麦を頼んだ。温かいものと冷やしの二つがあるが、やはり夏なので冷やしを食べる。蕎麦がもともと旨い上に、地元で採れた自然薯が旨いから、まずいわけがない。そして、常温の酒とも合っていた。「もう一本!」と言いたいところだが、まだ先があるのでこれくらいにしておこう。

自然薯蕎麦

 雨は止んでいない。今度は駅方面に向かって歩く。相変わらず中国系観光客の集団がたむろしているが、さっきよりは少なくなっている。それで、占拠されていたベンチが空いたので、途中で一休みする。山の中の商店街だが、海のものであるカマボコなどを売っている。ここにジビエ料理などがあれば、「おう!」と感心するのだが、さすがにそれはなさそうだ。足柄山の熊はもういないのだ。

 駅を過ぎてホテルに向かう。ホテルは駅からかなり近い。しかし、都会のホテルとは異なるから、ホテルに着くまでが楽しい道筋になっている。少し歩くと大きな河がある、上流の雨でひどく増量しており、まるで洪水のように音を立てて流れている。そこに掛る橋の欄干が朱塗りになっていて、なかなかに風景に映えている。これは外国人に受ける趣向だ。

ホテル遠景
橋を渡るとホテルの案内板

 そして、橋を渡った後の丘の麓になる場所から、左へ行けば階段を上り、右へ行けばエレベーターで昇って、それそれホテルに着くようになっている。私たちは、雨ということもあり、迷わず、木立の中にあるエレベーターに乗った。ドアが閉まると、雨音と河の音が途切れる。下界から遮断された気分になる。しかも密室だ。窓からは、さっき通った朱塗りの橋と雨で増水した河が見えている。良い景色だ。エレベーターはすぐに着いた。ドアから出ると、その先が吹き抜けの渡り廊下になっていて、天井の風鈴が揺れている。これも風情があって良いなあと、ここまで私は良い気分でいた。

エレベーターからの眺め
渡り廊下

 しかし、ふと左側を見ると、アスファルトの無粋な駐車場が大きく広がっており、そこは森の中でも、温泉宿でもなく、まるで都会のビルの合間のコンクリートの排気ガスに包まれた駐車場にしか見えなかった。これでは、せっかくの気分を壊しているのがもったいない。(一応、アンケートに書いておいた。)

 ちょっと残念な気持ちになったから、大きなガラスドアを開いてホテル内に入ると、最初に目に付いたのは、ホテル名の看板をつけた蘭の花束だった。なにか寂しい。その後ろの壁は、一応極彩色のタイルで飾っているのだが、「そこになにかある」という雰囲気がなさ過ぎて、ホテルに来たという感情が湧いてこない。どこか間違って、倉庫のようなところに来てしまったような気がする。そのため、どうも歓迎されている気分にならない。しかし、ホテルの人がずっと立っていて、私たちを右へ曲がったところにあるロビーに案内した。そうなのだ、ホテルのドアを開けたら、普通はロビーが目の前に入ると思う。しかし、ここにはそれがないのだ。不思議な作りだと思う。私たちは、混み合っていないフロントでそそくさとチェックインして部屋に入った。

ホテル入口
ホテルロビー

 部屋は和洋室ということで、ツインベッドと六畳ほどの畳敷きのスペースがあった。これだけ広ければ、ベッドに二人、畳に布団を三つ敷いて三人、さらにエキストラベッドを入れれば、計六人までは泊まれる。大家族には便利な良い部屋だと思う。部屋の解放的な窓からベランダに出ることができる。雨なので室内からしか見られなかったが、さっきの河とその周辺の森や山が見えている。雨は止んでいない。山と森に霧がかかって動いている。

和室部分
ベランダからの眺め

 浴衣に着替えて、大浴場に向かった。浴衣の解放感が心地よい。露天風呂が浅い子供用を付けている。雨が降っているが、軒下に入ってゆっくりと浸かる。いつもそうだが、髭剃り後に湯が染みる。湯に落ちる雨粒と湯から浮かび上がる湯気。辺りはまだ明るい。部屋に戻る途中、休憩所があるので、そこのリラックスできる長椅子に座って、コーヒー牛乳を飲む。大きな窓から見える雨に打たれる木々は美しい。夜はもっと風情があるだろうと思いつつ、部屋に戻った。

 部屋に戻った後は、夕食前の小宴会だ。駅近くで大量に買い込んだ酒とつまみをテーブルに拡げて、TVの相撲中継を見ながら、湯上りのビールと酒を浴びる。まだ外は暗くなってはいないが、窓に雨粒が激しく当たり、雫となって落ちている。遠くの山々はずっと霧に包まれて煙っている。ちょうど雲の中に入ると、こんな感じなのだろうなと思う。最初のビールをすぐに飲み干して、次に日本酒の地酒を開ける。幕内に戻った若隆景は良い感じ勝っている。横綱照ノ富士は意外と好調だが、大の里が壁にぶつかっている。つまみに買った、いわし煎餅とチーズたらを交互につまむ。日本酒は空いたが、これぐらいで止めておこう。相撲が終わると18時だ。夕食会場に向かった。

夕食会場の外

 私たちが案内された席は、窓側で小さな庭が見えるところだった。意外と人が少ないと思ったが、どうやら大勢の中国人たちは中華レストランで食べているらしい。こちらのメインダイニングでは、我々のような老夫婦の姿がちらほらとあったが、少し離れたところに、金髪のヨーロッパ系の女性とちょっとアラブ系の縮れた黒髪の青年のカップルが、浴衣を着て座っていた。二人ともヨーロッパの高級レストランで食事するような雰囲気で食べている。浴衣も一種の儀式的な服装と思っているのかも知れないが、浴衣はありていに言えば寝間着だから、高級とは正反対になるリラックスする衣服だ。彼らはリラックスしながら、日本の温泉とコース料理の和食を味わっているのだろうか。

先付け
地ビール

 既に小宴会を終えているので、夕食時は地ビールと日本酒だけにした。こうした多種類のつまみを味わいながら、酒を次々と飲むのは、楽しい時間だ。夕食会場が混み合っておらず、静かな時間が流れているのも心地よい。料理をサーブしてくれる中居の女性が、褐色の肌をしていたので、思わず「日本人じゃないですよね?」と聞いたら、「タイです」と教えてくれた。それで、私の知っているタイ語で「サワディカップ(こんにちは)」、「コップンカップ(ありがとう)」と言ったら、予想外に喜んでいた。彼女は、バンコクから来たというので、中華系かなと思ったら、お父さんは中華系だが、自分は違うと言っていたので、お母さんは元々のタイ(クメール?)人だろうか。子供時代から日本と日本語に関心があり、日本のホテルで仕事をするようになったそうだ。円安で大変かも知れないが、タイに戻ったら日系ホテルでマネージャーとかになるのだろうか、がんばれ!

デザート

 夕食後、部屋に戻った後、すぐに二回目の温泉に入る。夕食後の混み合う時間帯だからか、浴場にホテルの従業員が複数いる。もしかしたら、私のような酔客が粗相をしないように見張っているのかも知れない。そういえば、私が浴場内を歩いているとき、チェックされている視線を感じた。たしかに私は酔ってはいるが、湯に入るのが危険な状態ではない。むしろ、とても良い気分だ。たしかに足は痛いので、歩行はぎこちないかも知れないが、頭の中は爽快だ。まっすぐに露天風呂に向かい、雨に打たれながら湯船に沈む。もちろん外はまっくらだ。そして、意外と人がいない。夜のせいか屋内の湯船に数人入っているだけだ。私は屋内に戻って、泡風呂とジェットバスに入り、腰とふくらはぎを治療する。血流の良くなるのを感じる。アルコールも一緒に抜けていくが、それは仕方ない。

休憩所からの眺め

 部屋に戻る前に、広々とした休憩所に立ち寄った。ここも人の姿は少ない。中国人観光客は部屋に戻っているようだ。長椅子でくつろいで温泉で火照った身体を冷ます。このままここで寝てしまっても良い気がするが、さすがにそんなことをすると、さっき浴場にいた従業員から注意されることだろう。注意される前に部屋へ戻ることにした。ホテル内には居酒屋があるので、見学がてら行ってみようと思っていたが、夕食でお腹が一杯だった上に、年のせいでもう酒が飲めなくなっているので、さっさと寝ることにした。ベッドサイドの時計を見たら、22時を過ぎていた。老人にはいつもの就寝時間だ。

 老人は朝早く目が覚めてしまう。目覚まし時計は要らない。それで、5時から使える温泉へ6時過ぎに行った。朝風呂だ。ほぼ貸し切り状態で、夜とは違って従業員の姿も見えない。さすがに、この時間に酔っぱらって温泉に入る人はいないだろうし、朝風呂に入るということは、それだけ身体の状態が良いのだということだ。昨日の豪雨は上がっていた。朝の清々しい空気に包まれた露天風呂を独占している。透明な湯を見ていたら、緑の木の葉が通り過ぎ、続いて茶色い虫の死骸が通り過ぎた。若い頃なら、すぐに手で掬って湯の外に捨てたと思うが、今は妙に親しい気分が湧いてくる。(死んではいるが)「ああ、お前も温泉に入っているのか・・・」という言葉を、小さくつぶやいている。それが、虫の死骸だけでなく、葉っぱにまでそう思ってしまう。虫も葉も生き物であることに違いはない。そして、この私は生き物だが、死に損ないでもある。こんなところに共通点があるのかも知れない。雨が続いたせいか、私の好きな鳥たちの声は聞こえなかった。たぶん、まだ寝ているのだろう。

 部屋に戻る。いつもと同じにNHKのニュースを少し見た後、7時30分に朝食会場へ向かった。場所は、夕食と同じだが、時間が異なると雰囲気が変わるものだ。朝の忙しない雰囲気に包まれていて、とても落ち着いて食事をする感じではない。そして、朝食は中華レストランにはないので、中国人観光客でてんやわんやの大賑わいになっている。どこもかしこも人、人、人。テーブルの多くが埋まっている上に、ブッフェ料理の前には節操のない行列が続く。大量の料理を載せた皿を両手に持って、もたもたとテーブルの間の通路を歩いているので、少しでも気を抜くと、料理か人にぶつかりそうだ。本当は落ち着いて朝食を味わいたかったが、こんな弱肉強食状態だと、自分で食べるものを確保するだけで精一杯だ。それでも、せっかく日本のホテルにいるのだからと思って、和食を取ったが、東京のビジネスホテルレベルの品揃えの上、この辺りのホテルに良くある小アジの干物はないし、(昨晩TV番組でカレーを見てから、無性に食べたくなっていた)カレーは甘いお子様むきだった。デザートに取ったフルーツの種類も少なかったので、ちょっとがっかりしてしまった。その代わり中華粥や洋食の種類がけっこうあったので、和食を選ばない人には良いのだろう。そういう状態だったが、カマボコとわさびを味わえたのは良かった。

朝食(一回目)

 ホテルは11時がチェックアウトなので、それまで窓際に座って自然光の下で本田勝一『アラビア遊牧民』を読んだ。朝食会場以外は静かで、東京の家とは違って、暴走族の騒音は聞こえないから、読書に専念できる。アラブについてはヨルダンに3年近く住んだので、けっこう理解しているつもりだったが、意外と知らないことがけっこうあって面白く読める。その間、妻は温泉に行き、マッサージ機で寛いでいた。

ベランダからの風景

 11時ちょうどにチェックアウトして、小田原に向かう。ホテルのロビーは、中国人観光客の集団で一杯だ。彼らはこれからどこへ行くのだろうか?箱根をさらに登って、宮ノ下辺りへ行くのか、あるいは富士山に向かうのかも知れない。雨が上がり、ホテルから箱根湯本駅に向かう道には、新たな中国人観光客が大勢たむろしている。橋の上で写真を撮ってはしゃいでいる。近くに人力車の人が客待ちしていた。箱根湯本駅では、赤い登山電車へ乗り継ぐ観光客が、大きな荷物を抱えて走っていた。

登山電車

 小田急小田原駅に向かう車内は、欧米系の家族連れが多かった。日本人は我々だけかも知れない。同じようにチェックアウトして、小田原に向かうのだろう。そういえば、行きの東海道線にいたドイツ人家族はどうなったのだろう。京都まで各駅停車で向かったのだろうか。

 小田原駅に着いた。小田急線で人身事故が起きたためロマンスカーが運休となっているほか、しばらく電車が止まっているというアナウンスが聞こえる。小田原駅にいる外国人観光客の多くが、いろいろと困っている様子が伺える。でも、ここは立派な観光地だ。昔から外国人観光客が殺到している場所だから、小田急も外国語での案内を充実させているのだろう。駅構内が騒々しい雰囲気にはなっていないのを感じた。

六左衛門概観
店内(右後ろが立ち飲みコーナー)

 私たちは駅から出て、近くにある立ち飲みを兼ねている魚問屋に行く。立ち飲みに加えておにぎりも売っており、けっこうランチに買っていくお客がいる。ここで、地ビールと地酒を飲み、イカやタコの塩辛、そして卵焼きをつまみにする。妻はおにぎりを食べたが、私は後で立ち食いそばを食べる予定なので、これで切り上げて東海道線に乗った。

地酒
塩辛三種と出汁巻き卵

 いつも通りに妻は、実家のある平塚で里帰りのために降りるが、私もトイレ休憩を兼ねて降りた。そして平塚駅の立ち食い蕎麦で旅の仕上げをした。13時過ぎだったので、店内は空いていた。本当はカレーセットにしようと思っていたのだが、朝食でカレーを食べてしまったので、大人しく天玉蕎麦にした。こういうのを食べると、何かホッとする。平塚からの東海道線は遅れることなく順調に新橋に着いた。山の手線に乗り換えて有楽町に向かった。もう日常に戻っている。

天玉蕎麦

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