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<ラグビー:散文詩>土曜日、のこと

(前書き)
 表題の画像は、1990年にNZを離れた時に、NZ人スタッフから記念に贈られたNZラグビーを紹介する写真集からのもので、NZのグラスルーツ(草の根)ラグビーの雰囲気を良く伝えていると思う。

 1987から90年まで、NZウェリントンのウェリントンクラブでラグビーをさせてもらった。「させてもらった」と書いたのは、素人同然の私を、一番下のソーシャルグレード(社会人が余暇として楽しむレベル)とはいえ、快く加入させてくれたからだ。当時のウェリントンラグビー界の顔役でビアバー「ローズ&クラウン」を経営していた故ビル・ブライアンさんには、今でも頭が下がる。

 このビルさんが、私をウェリントンクラブに入れてくれた背景には、第二次大戦後広島に駐留したあるNZ軍人が、旧日本軍将校(しかも沖縄戦に従軍していた)の子女と婚姻し、日本進駐を終えた後、ウェリントンに住んでいたことが大きく影響している。昭子さん、当時は大変にお世話になりました。

 NZのアマチュアラグビーのシーズンは、当時(南半球の秋から冬となる)4から6月にかけての3ヶ月間だった。私のレベルでは、毎週水曜夜にクラブグランドに集まって練習し、その後クラブのバーでビールを軽く飲む(トップレベルは火曜と木曜夜に練習していた)。土曜の午後は、ウェリントン州内に広がる広大なラグビーグランドを持つ他のクラブチームの街へ行って、そこのチームとの各レベルに分かれた試合を行う。朝早い時間帯は年齢別に別れた子供たちのチームの試合があり、午後の一番最後はトップレベル同士の試合だった。

 私のレベルでは、だいたい昼頃がキックオフだったと思う。そこで試合をして、クラブハウスで軽くビールを飲んだ。その後私は、一度自宅に帰ってシャワーを浴びて一休みし、ブレイザーに着替えてウェリントンクラブのクラブハウスに向かった。

 クラブハウスでは、関係者やその家族が大勢集まってビールを飲んでいた。やがて、ビールの酔いが程よくなった頃、各レベルの試合結果発表と各レベルごとに一番活躍した選手の表彰があった。特にトップレベルで表彰された選手は、賞品の一部である大きなグラスのビールを一気に飲み干していた。クラブハウス中が賑やかに盛り上がった。そして子供が帰宅するような時間になると、クラブの重鎮役が、クラブの定型化した応援メッセージを大声でリードし、皆がそれに唱和して締めた。

 もちろん、大人たちはそれで飲み会が終わることはなく、さらに夜遅くまで仲間とビールを飲んでいた。私の人生の中で、ラグビーを最も愉しみ、そしてラグビーとかかわっていることの喜びを最も感じた日々だった。ありがとう、NZラグビー、キアオラ!

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グランドに着いたとき、
芝の臭いが強く鼻をついた。

ジャージを着てシューズを履くと、
あちらこちらからスパイクの音がこだまする。
カチッ、カチッ、カチッ。

入念に足首にテーピングするもの、
ワセリンを額のあたりにたっぷりと塗るものがいる。
目と鼻がしみて、少し痛い。

真っ先にグランドに出た。

走る、飛ぶ、転がる。
このジャージの下は、このシューズの下は、
やわらかな大地。
思い切り伸びをすると、
皆がそろっていた。

ある種の戦慄とともに、笛が鳴った。
キックオフ。
戦闘開始!
今日これから何回も繰り返される、
キックオフ、トライ。キックオフ、トライ。
その最初だ。

ヘイ、スシ! ゴー!!
熊のようなフォワードが言う。
僕は思う、
日本人はスシが好きだけど、僕の名は、
ユージだ!

その小さな叫びとともに、
強烈なショックが
僕の、首と肩と腕、
そして背筋に突然やってきた。
わがチームはいつのまにか、
ゴールを背にしている。

よりによって、
僕の正面にボールを持っているヤツは、
小さな僕をターゲットに、
思い切り突っ込んできた。

幸いに捕まえられた。
でも、倒れない。
僕は全体重をヤツにかけた。
倒れた。
すぐ後ろを見ると、インゴール内に大勢いる。
つながれた?
いや、味方がボールを押さえたようだ。
僕はゆっくりと起き上がった。

はしる。はしる。
フォワードがボールを取り返し、ハーフに渡した。
ラインが前へ動く。
はしる。パスがくる。
センターが抜ける。
はやい!なんて速いんだ!

もう最後のタックラーがきた。
彼はそいつをひきつける。
ひきつけてウィングにパスをした。
ウィングは、まるで天国へ向かうように、
ゆうゆうとインゴールへはいった。
グッドスタッフ!
外からプレーを称える声が響いた。

芝と土へのその日何回目かのキッスを、
何人かの重さでさせられたとき、
今日 最後の、
そして 一番長い笛が 鳴った。

ビ ー ル だ!

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