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<閑話休題>腕時計の話

(前回、昔NZでラグビーをしたときの詩を掲載したのですが、そのつながりとなる話です。)

 僕が高校入学したときのお祝いにと、父が新小岩商店街の時計屋で腕時計を買ってくれた。1974年の話だが、当時の最新式ではなく、買ってくれたのは1968年から発売しているセイコーのロードマチックという自動巻きだった。

 本当は、地味系が好きな僕としては、白い文字盤に黒い針があるオーソドクスなものが良かったけど、派手系が好きな父は、僕が高校生ということも考えて、若々しい青い文字盤にシルバーの太い針があって、さらにガラスがクリスタル風にカットしてあるものを勧めてきた。

セイコーロードマチック

(画像は、ネットで中古品を販売しているものです。やや小さく見えますが、実際は幅及び高さともに大きくがっしりとしています。)

・・・僕は、もともと両親に反抗するということがなかったうえに、貧乏な中で苦労して僕を私立高校に行かせてくれ、さらにお金を工面して腕時計(当時は、通学のためには腕時計が必要だった)を買ってくれるという好意を考えて、父が「これがいいだろう?」と勧めてきたのに対して、「いや、別の方がいいよ」とは申し訳なくて言えなかった。

 それで、自分としては不本意ながら、青い文字盤でがっしりとした厚みがあって、いかにも体育会系の若手営業マンがしそうなこのセイコーロードマチックを、高校時代から大学時代、そして、就職してからもずっと使っていた。しかし、どうも落ち着かない自分が常にいるのを感じていた。腕時計のデザインと自分の感情が合っていない、いや正反対なのだから。

 その後、初めての海外勤務でNZに行ったのは28歳だった。NZでは、大学時代から目覚めたラグビー愛が高じて、NZのクラブチームでラグビーをしたいという無謀な欲求を実現するべく、勤務先の日本人を通じて現地のウェリントンクラブというチームを紹介してもらった。もちろん、ろくにラグビー経験のない僕が、いきなりシニアレベルでプレーできるわけでもないので、クラブの一番下のクラスに入れてもらうことにした。

 NZのクラブラグビーの毎年のシーズンは、4~6月までの3ヶ月程度だが、僕らは毎週水曜の夜にクラブのグランドで練習し、毎週土曜の午後には、ウェリントン州所属の各クラブとのレベル毎に分かれたリーグ戦を行い、年間10試合くらいあった。僕は、仕事の都合がつく限り、練習も試合もかかさず参加した。なぜなら、僕がNZに行った一番の目的だったからだ。でも、わずかしかラグビー経験のない素人同然の僕が、ラグビーの本場NZでいきなり普通にプレーできるわけがなく、英語を十分理解していないこともあって、練習や試合では、正直言って「お客さん」扱いだったと思う。

 その中で、僕をお客さんとして、いつも親切に対応してくれたのが、若いころは州代表レベルでプレーしていたHO・キャプテン・コーチのパシフィックアイランダーの血を引く、ペンキ屋のピーター・タリバイだった。

 当時は、まだラグビーのプロ化なんて想像もできない時代だったので、ラグビーの上手かったタリバイでも、ペンキ屋として時計も買えない貧乏暮らしをしていた。そのため練習後や試合後にクラブハウスでビールを飲んでいると、決まって腕時計をしている僕に「いま、何時だ?」と聞いてきた。たぶん、僕との会話を始めるきっかけにしていたのだとも思うが、毎回聞いてくるので、ピーターには僕の時計がうらやましいのかと思うようになった。

 それで、僕がNZを去るときに、「これは父から買ってもらった時計だけど、君にあげる」と渡した。ピーターは、「そんなに大事なものをいいのか?」と心配するので、僕は「君は、NZのラグビーで僕の父代わりに世話してくれたから、あげることにした」と説明した。ピーターは、とても喜んでもらってくれて、翌週太い腕に金属のストラップが食い込んだ時計を僕に見せてくれた。その顔は、本当に嬉しそうだった。

 その後、いろいろと海外勤務が続いたので、空港の免税店や機内販売などで、ローレックスクラスはさすがに高くて手が出ないけど、手頃な時計を買って使ってきた。ところが、父からのものをあげてしまったことが祟ったのかも知れない。どの時計も調子が悪かったり、バッテリーがすぐに切れたり、時間が大幅に狂ったり、分厚く重くて使い勝手が悪かったり、ある時は歩いているときにベルトが突然外れて、どぶ川に落ちて失くしてしまうということもあった。

 そうこうするうちに、携帯電話を持ち歩くようになってからは、腕時計をしなくなっていた。普段の生活ではあまり困らなかったが、機内モードや電源を切る飛行機の移動中などは、腕時計がない不便を感じていた。また普段の生活でも、時間を確認する際に、いちいち携帯電話(スマホ)を見るのは、意外と面倒な作業だった。

 それで、もう高校1年生の頃から50年経っていた先日、ついにまたセイコーの自動巻きの時計を自分で買った(バッテリー式は交換するのが面倒なので)。もちろん、高価なものではない(むしろ安価と言った方が適当かも知れない)が、日本製なので使い勝手が悪いこともないだろうし、故障することもないと安心している。

 そして何よりも、もう昔風のデザインのものは売っていないから仕方ないが、今回は自分で納得のいくデザインの時計を、しかも因縁のあるセイコーの自動巻き時計を買ったので、ひどく納得している自分がいる。思えば、14歳(3月生まれなので)のとき以来、ずっと心のわだかまりがあって、その結果NZで時計をあげてしまった後もずっと続いていたわだかまりが、一気に解消したように感じている。

 時計は、持つ人の寿命や人生にも関係するという迷信がある。なにか、これまでの波乱万丈の山あり谷ありだった僕の人生も、ようやく落ち着けることの暗示かも知れない。・・・そういえば、今月末には国民年金の繰り上げ申請のため、年金事務所に行く。そんなことをしているうちに、いつかは時計の針も止まるのだろうな。

セイコープレサージュ

(注:背景のヘミングウェイとは無関係です。ただ、魚の代わりに時計を釣ったみたいに見えるのが面白くて、こういう構図にしました。)


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