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<書評>『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ Rosencrantz and Guildenstern are dead』 トム・ストッパードTom Stoppard 著 松岡和子訳 原著は1967年 翻訳は1985年 劇書房

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』

 20世紀を代表する不条理を描いた劇作家の一人、チェコ人ながら英語圏で成長した英語作家のトム・ストッパードによる、シェイクスピアの『ハムレット』に名前だけ登場する人物二人を主人公にした(現代風)歴史劇。

 私が学生の頃、翻訳した『ハムレット』を読んだとき、このローゼンクランツとギルデンスターン(以下、ロズとギルと略)はちょっと気になっていた。『ハムレット』のストーリーを知っている人なら周知のとおり、この二人はハムレットに帯同して、「ハムレットを処刑してください」というメッセージをイギリス(イングランド)国王に持っていくことを命令される。しかし、その後ハムレットの姦計によって「このメッセンジャー二人を処刑してください」に書き換えられたが、二人はそれを知らずにイギリス国王に手渡す。その顛末は「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」旨ホレイショーとハムレットのセリフの中で言及されて終わる(第五幕第二場)。

 つまり、ロズとギルの二人は、あたかもセリフのある立派な登場人物のような役柄に見えながら、実際は名前だけで舞台に登場し、さらに自分を処刑してくれという理不尽なメッセージを持って、自らの仕事を実行した挙句に殺されてしまうという、もう「不条理」という言葉をそのままを体現したような存在なのである。

 ハムレットには、友人ホレイショーや恋人オフィーリアなどの魅力的な登場人物が登場するが、このロズとギルの二人は、「正直者が馬鹿をみる」という不条理性に加えて、ビジュアルな形で舞台に登場しないという、もう一つの不条理性を兼ね備えた、もう20世紀の哲学・文学・演劇が熱狂した「不条理」そのものを象徴したキャラクターだった。

 一般に文学的想像力は、このロズとギルの二人が、実は『ハムレット』の世界でこんな人間だった、処刑されるまでにこんな会話をしていた、というような想像を膨らませることを楽しむ。そしてそれを実現してくれたのが、ストッパードのこの作品なのであった。また解説によれば、ストッパードは、本作でハムレットらを脇役にし、ロズとギルの二人を主役にするという配役の逆転をしているが、そうした表裏一体・表裏逆転という面白さを狙った作品だと説明している。

 さらに解説の指摘を待つことなく、劇中のロズとギルの会話は、明らかにサミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』の影響を受けており、ロズとギルのやり取りはそのままエストラゴンとヴラジミールのやり取りの、はっきり言って模倣そのものだろう。他にも本作には、劇中劇という複層構造や、船という閉塞した環境(これもベケット演劇の影響がある)など、二十世紀の不条理演劇そのものの要素を相当に兼ね備えている。

 しかし、(観劇とは異なりまた不十分であることは承知の上で)読後の正直な印象は、冒頭に記したように「ロズとギルとはいかなる人物だったのか」について、一応の答えを出してはいるが、私には物足りない印象が残ってしまったということになる。その理由を考えてみたところ、二点挙げることができた。

 まず、壮大な悲劇である『ハムレット』の主人公ハムレットの友人というキャラクター設定に加え、デンマーク王の忠実なメッセンジャーに選ばれたほどの慇懃かつ実直な人物であったと想像できるロズとギルの二人を、ストッパードはまるで日本の若手漫才師のような(一見すると)軽薄な掛け合いをさせていることに、歴史劇という前提からも違和感がある。私のイメージでは、このロズとギルの二人は、王子ハムレットの友人である以上、厳かな言葉使いで高い教養のある会話をする人物が相応しく、また自らが処刑されることにメッセージの内容が変更されているのにも関わらずに、使命を実行してしまうその馬鹿げた実直さが強調されてよいと思う。(『ハムレット』では、ロズとギルの二人を「追従者」、「小人ばら」と蔑称しているが、これは倫理的に見た評価であり、人物造形とは異なる。)

 また、ロズとギルのキャラクターの使い分けはされているものの、どこか似たようなタイプになっている他、場面によってはその役割が逆転していたりする。これは作者のテクニック(デンマーク王等がたびたび二人を取り違える場面が出てくる)でもあるのだろうが、やはりベケットのエストラゴンとヴラジミールのキャラクターが、陽=エストラゴン、陰=ヴラジミールと使い分けられているのに比べて、対称性が見えないために存在感が薄くなっている。

 だから、この世界的に高い評価を得ているこの作品に対して、私は良い評価を付けることができない。それは、もちろん私自身が演劇というものを十分に知っていない上に、実際の舞台を観ていない未熟さからだろう。しかし、比較するのはおかしいのかも知れないが、一応ベケット作品については、卒論にして以来かなりコミットしてきたつもりであり、またベケットを最高の劇作家と信望している私としては、本作の感想としては「物足りない」という言葉しか出てこないのだ。・・・もし機会があれば、本作品を舞台できちんと観てみたい。その後に感想が変わることを期待して。


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