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<小旅行記>湯河原温泉一泊二日の旅

 先日、区民割引があるということで、東京からほど近い、熱海の手前という認識が強い湯河原温泉に、一泊二日で行ってきた。自宅から片道約3時間ということもあり、ちょっと遠い通勤圏内に行ってきたような小旅行だった。

 通常、旅館のチェックイン時間は15時なので、以前沼津に行ったときは朝の通勤時間帯に東京駅を出て、沼津には昼頃に着き、そこでランチを食べてからあちこちと観光して、それから旅館に着く日程だった。

 今回は、湯河原でランチを食べる選択肢はなかった上に、特に観光したい場所もないことから、東京駅八重洲地下街でランチを食べることから、この旅は始まった。

 私のランチの定番と言えば、立ち食いソバかラーメンだが、奥様の定番、というかこだわりがいろいろあって(一般に女性との食事は選択が難しい・・・)、常に選んでもらい、私がそれにご相伴している。

 その中で今回は選んだのは、「そういえば、日本に戻ってきてから一回もタイ料理を食べていないよね?」ということで、八重洲地下街にある「サイアムオーキッド」になった。

サイアムオーキッド@八重洲地下街

 店に入るなり、「サワディカー」とタイ語の挨拶が次々とあったので、こちらもちょっと戸惑いながら、「サワディカップ」と言ったつもりだったが、たぶんちゃんと聞こえなかったと思う。そして、ランチタイムより少し早い時間帯だったので、一番奥にある4人掛けのテーブルを使わせてもらった。

 今どきの若い日本人女性と(マスクのせいか)区別のつかないタイ人ウェイトレスに、まずはビールを注文する。日本語が通じないことを心配して、身振りを混ぜてゆっくりと話したが、幸いにビールはちゃんと来た。

シンハビール

 本当は、昔タイで良く飲んだクロウスタービールが一番好きなのだが、最近はあまり見かけない。奥様は、シャン(チャン)ビールを頼み、私は定番のシンハビールにした。しかし、ラベルを見ればわかるように「ゴールド」というレベルアップ?したもので、昔タイ東北地方の「異郷の駅前食堂」などで良く飲んだシンハより、ずっと味が洗練されていて軽い。

 それが私には物足りないが、これも時代の流れとして甘受する。「明治は遠くになりにけり」だから。

 その後、写真は撮らなかったが、2種類のタイカレーの小鉢がついたガバオライスセットとパッタイ(焼きそば)を注文し、いつものとおり奥様とシェアした(より正確に記せば、奥様が食べ残したものを私がいただいた)。

 ビールもそうだったし、また奥様も珍しく同意していたが、全体に味が物足りない。まず食材が綺麗すぎるのだと思うし、味付けも淡白に感じる。タイの朦朧とする酷暑の下で、暑さも一瞬で忘れるような、脳髄にガツーンと来るナンプラ(タイ風魚醤)や香辛料の味がほとんど感じられない。

 「明治は遠くになりにけり」だ。・・・老人の昔の自慢話はここらで止めておこう。

 ランチが終わり、東海道線のホームに向かう。昔は各駅停車ということで単純だったが、今は「踊り子号」とか「湘南新宿ライン」とか「上野・東京ライン」とか、いろいろと分かれていて迷ってしまう。でも、湯河原へ行くのは熱海行きに乗れば良いので、ベンチに座ってしばし待った。

 東海道線ホームの向こうは、もう新幹線ホームになる。まるで、庶民の居場所(=東京下町)から、上流階級の居場所(=東京西部の山の手)を仰ぎ見るような気分になる。

新幹線ホーム駅弁屋

 そして、なぜか駅弁の売店も、心なしが高級そうに見えるし、そこで次の新幹線を待つJRの女性も、なぜか絵になっている。まあ、上流とか高級とか、そんな概念は所詮そんなものだろう(注:何を言っているかわからない、もっとちゃんと説明して欲しいと思う方は、岩波文庫にあるカッシラーの『シンボル形式の哲学』第一部をお勧めします。)

 さて、スノッブ老人の独り言とは全く無関係に、電車は来て、私たちは乗り込む。奥様がボックス席が良いというので、先頭車両に乗った。

 幸いに席は空いていたが、最初に座った席の窓枠が汚れていて、さらに床が酷くベトベトしている。誰かがジュースかソーダをこぼしたのだろう。仕方なく別の席に移った。長距離列車だから問題ないのだろうが、電車内の飲食って、最近はかなり厳しくなったのではなかったっけ?特に庶民が利用するような電車では。

 そんなどうでもよいことを考えているうちに、私のランチ後の睡眠時間が来たので、とにかく寝る。電車は都会を過ぎ、工場街を過ぎ、田園風景に変わっていく。もう少しすれば黒い太平洋(相模湾)が見えるころに、私は目を覚ました。

 まだ湯河原までは時間があるので、バックに入れておいた、ちくま学芸文庫『メソポタミアの神話』を読む。私は習慣で、「あとがき」を最初に読むことにしている。いきなり本文を読みだす前の事前学習になって、本文の理解が深まるからだ。そこに面白いことが書いてあって、「最近の若い人たちは、とんと縁がないはずと思っていた、古代神話の登場人物の名を良く知っている」、「なぜなら、コンピューターゲームの中で沢山使われているからだ」ということだった。

 なるほど、以前息子がドナテッロ、ラファエロ、ミケランジェロを『ミュータントタートルズ』で覚えたのと同じか。大衆芸能の威力と影響力は、ほんとうに凄いと思う。この力の前では、文学とか哲学とか、まったくの無力に思えてしまう。

 そこまで読んだところで、電車は湯河原に着いた。私は老人なので、ピンクの服を着てゆっくりと歩くおばあちゃんに従って、すぐに駅のトイレへ挨拶しに行く。最近の駅のトレイは、どれも綺麗になった。昔は、まったく掃除もしていない廃墟のような場所で、ハエが飛び交い、あちこちにクモの巣が普通にあったのになあ。

 その後、庶民である私たちは、駅近くのコンビニで、ビールとつまみを購入する。そこで、なぜかつまみを大量に購入している老人を見たが、たぶん家族旅行か老人会の幹事役なのだろう。でも、ビールは買わなくても良いのかな?

 駅前にあるバス停から、ちょうどよいタイミングでバスが出て、すぐに目的地のバス停についた。しかし、宿はちょうど道路の反対側になるので、生真面目な私は横断歩道を探したが、そんなものはあるわけがない。ここでは、マレーシアなどと同様に、車の通行が途絶えた頃合いを見て、車道を横断すれば良いのだ。なお正確に言えば、マレーシアでは、車の通行を勝手に止めて車道を横断していたので、私たちの車に遠慮した横断とはちょっと違っていたと思う。

 旅館に着く。チェックインのためには、各人がいろいろと個人情報を書き込む必要がある。たぶん、変な外国のスパイや犯罪者が入り込むことを防ぐためなのだろう(???)。汚い字でそそくさと記入した私は、旅館の人が手続きしている間に、中庭の風景を撮影した。

旅館の中庭

 そして、さらにフロント前のところに、懐かしいゲームがあるのを見つけた。サッカーゲーム台、ホッケーゲーム台とならんで、野球盤があったのだ。

野球盤

 時間と余裕があれば、奥様とこの野球盤をやることも想定していたが、時間も余裕もなかったので、結局触りもしなかった。まあ、また次ぎ?があるさ。

 しかし、こういう「昔懐かしい」感じは、個人的にかなり好きだなあ。コンピューターゲームより、もっと「ゲームを一緒に遊んでいる」という気分になれるからだ。

 長い手続きが終わり、ちょっと古びた感じのする部屋に入って、さっそく浴衣に着替え(いつも、「似合いすぎる」と言われる相撲取り体形の私です)、温泉に向かった。

 温泉は、さっきの中庭の先になる。

温泉に向かう通路。手前は足湯。

 温泉は、だいたい露天風呂へ入るようにしている。外の空気、植栽の風景、そして湯船の岩が、みな心地よい。一人いた先客がすぐにいなくなったので、私一人で露天風呂を独占した。実に気持ちが良い。

 温泉から部屋に戻り、暑いので窓を開け、外の景色を見ながら、コンビニで買った黒ビールを飲む。ちょうど半分ほど飲み終わった頃、奥様が戻ってきた。

 さっそく、テーブルの温泉饅頭が載っていた茶たくの上に、数々のつまみ(珍味)を拡げる。奥様も缶ビールを開けて飲みだし、私も黒ビールがあと一口になったところで、キリン一番搾りを持ってきてつぎ足す。敢えて空にしてから新しいビールを入れないのは、ハーフ&ハーフとまではいかないが、黒ビールの風味を混ぜて飲みたいため。呑み助は、変なことをするもんです。

 つまみもビールもなくなった頃、ローカルTVで「孤独のグルメ シーズン2」を放送しているのを「うまそうだなあ~」と観ていたら、もっと酒が飲みたくなった。缶ビール2つは既に空っぽなので、仕方なく冷蔵庫にあるアサヒビールの中瓶を開ける。夕飯は部屋食なので、中居さんが用意してくれるまでに1瓶空いた。

 中居さんが来て用意をする。あらかじめフロントで頼んでいた日本酒の利き酒セット2つを、先にもってきてもらうように頼む。どれだけ大酒飲みなんだ?

 テーブルに豪華な夕食が並ぶ。おかずをつまみに利き酒セットを飲み干し、奥様が全部飲めないということで、その一部をいただく。利き酒セットは小さなグラスが3つなので、量としてはそうたいしたことはないと思う。私が飲んだのは、全部で2合くらいだろうか。

 それでも足りなくなって、私はさらにビールの中瓶を開ける。瓶が空になったところでフロントに連絡して、テーブルが片付き、布団が敷かれた。その時、もう私は酩酊していて、窓際で座布団を枕にして寝ていた。

 布団が敷かれた後、私は布団に移動してそのまま熟睡。奥様は温泉に行った。その後の午前3時頃、私は目が覚めて温泉にいった。目が覚めただけでなく、酔いも冷めていたので、ちょうど良かった。温泉は貸し切りだったので、ついでに髭も剃った。

 翌朝、私は目が覚めていたが、布団で横になっていた。奥様は目を覚ましてまた温泉に行った。奥様が戻ってきたころ、ちょうど朝ドラが始まる少し前に豪華な朝食がセットされた。これは、一泊だから良いのだと思う。以前海外でホテルに2週間以上連泊したときは、すぐにブッフェの朝食に飽きてしまい、食べるものがどんどんとなくなっていった。結局、朝食もそうだけど、毎日食べるものはシンプルなものに落ち着くのだと思う。

 朝、チェックアウトした後、旅館の窓から見えていた豪華そうなホテルを探検しに行ったが、早い時間帯だったのでレストランなどは閉まっていた。そこへ向かう途中、小さな川を渡るのだが、川に架かっている橋の上が、ちょうど静岡県と神奈川県の県境(つまり、川が県境)であることを示す表示があった。


湯河原の県境

 ちょっと面白いと思ったが、既に知っている人にとってはなんでもないことだろう。でも、旅の面白さを楽しむためには、こんなことに目を付けるのが良いと、私は勝手に思っている。

 そういえば、駅に向かうバス停でおばあちゃんたちとバスを待っているとき、そこに設置している自販機の下、つまり釣銭が出るところにじっとうずくまっている不審な男がいた。しばらくするといなくなったが、たぶん取り忘れた釣銭を盗もうとしていたのだろう。世間は広い・・・。

 その自販機があるバス停と反対側、つまり来るときに降りたバス停は、私のような東京育ちの人間には、どこか風情を感じる風景に見えた。

湯河原のバス停

 バス停の名前が「理想郷」というのも面白い。一体、なにが、どこが「理想」なのだろうか?もしかしたら、どこかの宗教絡みの「理想」かも知れないと、私は勝手に心配した。

 バスがほどなく着て、湯河原駅に着いた。駅前にあるお土産屋で、実母と義母、そして自分たち用のお土産を買う。私は、大のわさび漬け好きなので、これは「マストバイ」として買う。このせっかくの旅の思い出も、家に戻ってきて3日もすれば、その風味とともに消えてなくなってしまうが。(表題の画像は、土産屋店頭にある温泉饅頭のデモンストレーションです。)

 土産を買って安心した後、東京行きの電車まで30分ほどあったので、駅前の喫茶店に入って、コーヒーを飲む。いかにも昔ながらの喫茶店という店で、先客は静かにコーヒー(カフェオレ?)を飲んでいる老婆だけだった。

 奥様はアメリカン、私はブレンドを頼んで、少ない会話の中で味わう。幸いに流れる音楽はクラシックの抜粋で、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」から、ちょうど王子が森に向かう場面に流れる曲が流れた時、ルーマニアのTVで繰り返し見たバレエのイメージが、私の脳裏に湧き出した。もう引退しているザハロフの演技は、実に素晴らしかったなあ・・・。

湯河原駅前に咲いたハイビスカス

 時間が来た。大声で話していた老人グループが、急行踊り子号に乗りこんだのを見送った後、帰りの列車に乗る。帰り道は、平塚の義母宅に寄るため、ボックス席ではなく普通の横長のシートに座る。もう、旅気分は終わっている。あと1.5時間もしたら、もう平塚、いや「都会」だ。


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