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<書評>『ラスコーの壁画』

『ラスコーの壁画 La Peinture Prehistorique Lascaux ou La Naissance de L’Art』 ジョルジュ・バタイユ Georges Bataille 出口裕弘訳 二見書房 1975年 原書はGeneve, Suisse 1955年

ジョルジュ・バタイユ『ラスコーの壁画』

 原題を直訳すれば「芸術の誕生であるラスコーの原始絵画」。20世紀のフランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユの名著の一つ。ラスコーの壁画とは、フランス西南部ドルドーニュ県ヴェゼール渓谷モンティニャックにある洞窟で発見された、約2万年前の旧石器時代後期のクロマニヨン人が形成したオーリニャック文化の洞窟壁画である。

 1940年9月12日、地元の少年が偶然穴に落ちた飼い犬を探す途中に発見された。洞窟は一般公開されていたが、損傷を防ぐために、1963年4月20日以降非公開となった。現在、洞窟近くに作られたレプリカが観光客のために公開されている。

 壁画に描かれた内容は、馬、山羊、野牛、鹿、かもしか、犀、人及び人と動物の混血、図形、線刻画、手形、星があり、炭酸カルシウムを含む壁に天然の顔料を使用したため、フレスコ画のような保全性を持つことになった。

 バタイユは、非公開となる前のラスコー壁画を見学し、哲学者兼美学者としての視点から、ラスコーに人類が芸術を創作する原点を見た。その原点は、人がなぜ芸術を愛好するのか、なぜ芸術を創造するのかを解明する手がかりになるとしている。さらに、人と動物との関係、人と自然との関係、人と神(超自然的存在)との関係の原点をも見出している。

 今回初めて気づいたのだが、ラスコーには「鳥人間」の絵がある。頭が鳥で身体が人間だが、指が四本で、勃起しかつ硬直した状態で倒れている。すぐそばには、腹から腸を出している野牛がいて、腹には槍の絵が重なっている。すぐ近くには、ヤスが多数枝分かれした銛があり、また儀式用の鳥を象ったものを載せた棒がある。さらにまるでその場面から立ち去るようにして犀(ただし図像からは猪にしか見えない)がいる、という線描画だ。

鳥人間の線描画

 この意味について最終的に解読できたものはない。ただし、一般的には、野牛を槍で狩猟した人が、通りかかった犀に襲われて死亡した。そこにたまたま銛や鳥の棒があったというものだ。つまり、ある時ある場所で起きた「事件」を記録したというのだ。

 また、別の説では、現代のシベリアにおけるシャーマンを根拠として、鳥人間は鳥の面を被ったシャーマンであり、憑依した硬直状態を示している。そして、野牛は犠牲獣である。シベリア同様に、近くに鳥を載せた棒があるとしている(銛と犀については言及していない)。

 まず、こうした説に共通するのは、そこにある絵が時間的にも空間的にも同時に起きた事象を記録したと解釈していることだ。しかし、私はその「同時性」を前提にした解釈は、見る側が意図的に持った先入観でしかないと考える。当時、この絵を描いた始原的芸術家の気持ちを想像してみれば、そうした事件の記録とかシャーマンの姿とかは、バタイユがラスコー壁画の通俗的解釈として否定している、「狩猟祈願としての壁画」と同種の解釈になってしまうだけである。

 バタイユが、ラスコーの壁画を「人類最初の芸術」・「芸術の発祥」と見なしている観点からすれば、この鳥人間の絵は、事件や呪術ではなく芸術そのものであり、描いた「芸術家」はそれぞれの対象を描きたいから描いただけであり、絵の間に関連性を持つことは意識していなかった。そのため、そこに意図的な要素を見つける必要はないのだ。

 従って、そこにあるものは、全て別々の絵画として解釈すれば良いのである。それを私独自の観点から整理すれば、以下のようになる。

1.指四本の鳥人間は、「古代の宇宙人説」を信じるものにとっては、もう答えは出ていている。まず指が五本ないため、人ではなく人に似たものである。それは、「鳥人間」=「古代に地球に来た宇宙人」である。現代人と違って、なんらタブー等なかった古代人は、地球に突然やってきて、人類に文明を授けた宇宙人の姿を、忠実に記録しただけなのだ。また勃起していることは、人類の雌に対してDNAを移植する生殖実験をしいてたことを象徴している。

2.鳥を載せた棒は、鳥人間=宇宙人のやってきた場所に据えてあったものだ。それは、鳥人間が自ら置いた、何らかの標識(例えば、未踏の探検家が発見した場所に置く国旗の類)であったと想像する。もちろん、現在はとっくに消滅しているが、この壁画が描かれた当時は、この鳥を載せた棒がラスコー付近にあったのだ。

3.銛のようなものは、形状からみれば、海の小魚集団を捕まえる道具に見えるが、ラスコーは内陸部なので、こうした銛を使える海は近くにない。また、単独で泳いでいる川魚を捕獲するなら、単純な一本の銛で十分だから、これは銛ではない別のものだ。ではなにかと言えば、鳥人間が母船であるUFOと交信するためのアンテナと理解できる。これも、鳥を載せた棒の近く、つまりラスコー近辺に立っていたことを示している。

4.野牛の牛の腹にある槍に見える線描は、槍ではない。まず槍ではこのように綺麗に切り裂けない。また、腹から腸が出るくらいに綺麗に切り裂ける武器は、一般に鋭利な刃物しかないが、この傷から判断すれば、当時の鈍い刃の石器ではできないものだ。これは槍のように見えた、鳥人間の使用したレーザーを表現したのだ。レーザーなら、このように綺麗かつ一瞬で野牛の腹を切り裂ける。

5.犀(猪)は、下半身がおぼろげにしか描かれていない上に、尻尾の後ろにまるで糞のような三つの丸が描かれている。それは、「芸術家」が見たものの写実と抽象が複雑に入り交ざった画像表現であり、それが犀や猪に見えただけであったと考える。そこに描かれているものは、犀や猪という動物ではない別のものであったと想像する。それは犀や猪に見えた(「芸術家」がそう表現したくなるような形状をした)鳥人間の地球上での乗り物(安全な移動手段)である。この観点から理解すれば、尻尾の後ろから出ている三つの丸は、ガソリン自動車が排出する排気ガスのようなものを表していると理解できる。

 次に、「鳥人間」と並んで解釈不能とされている図像について、私の理解を述べたい。それは、九か所に等分された四角形を三色に塗り分けた市松模様である。しかも、古代人の感覚からすれば、まるで現代人が作図したうように、かなり正確に四角形が描かれており、まるで定規を使って描いたのではないかと思われるくらいだ。

謎の市松模様
市松模様のある場所

 この図像については、『ラスコーの壁画』の中ではいかなる試論も示されていない、またバタイユはあらゆる解釈が不可能な対象であるとすら述べている。しかし、私は解釈が可能だと思う。つまり、「鳥人間」同様に、当時の「芸術家」である古代人の気持ちを想像することで、ひとつの試論が出てくるのだ。これはこの壁画を描いた「芸術家」による一種のサイン(署名)だと思う。

 その理由は、こうした図像のある位置は、現代の芸術家がサイン(署名)をする場所と同一(絵画のすぐ近く)というだけでなく、壁画の動物たちの足元に、まるで所有権を主張する鎖のように描かれているからである。これは、壁画を描いた作者の存在を強く意識させ、また絵画の所有を主張するものである。さらに想像を膨らませば、このラスコーの壁画は、当時の芸術家たちの作品を見せるための見本市のようなものであり、作品を見た顧客から、当時の芸術家たちは、洞窟壁画という仕事の依頼を受けていたのではないか。

 ラスコーの壁画には、こうした一種の謎解きの楽しさを与えてくれる題材があるのが楽しいが、やはり基本はそこに描かれている絵画の素晴らしさだろう。そこには、写実とか抽象などの絵画理論を超越したところの、人が人として純粋に描きたい、見たものをそこに再現したい、という根源的な欲求に従った感情を、個々の絵画が訴えている。また、そうした人の始原的な遊びである芸術活動という喜びの声が、壁面から聞こえてくる。こうした芸術作品を、我々は素晴らしいと感じるのだ。

<参考1.>
 ラスコーでもっとも素晴らしいのは、この牡牛の作品だ。これは、塗りの濃淡、筆(指)のタッチと勢い、岩の起伏を利用したバランス、鋭い観察眼とそれを表現する描写、フォルムの美しさ、表情の豊かさの全てにおいて、人類史上最高の芸術作品といっても過言ではない。また、天才とされるあらゆる芸術家・画家の中で、この作品と同等のものを創造できる人間は皆無だと確信する。

黒い牡牛

<参考2.>
 ラスコー以外にも先史時代の洞窟壁画は沢山発見されている。その中には、多くの人が動物と同化している姿を描いたものがある。これは、動物が驚異的な自然(神)からの使者であり、その動物の姿を(毛皮を被って真似)することによって人が神に変身できる、すなわちシャーマン(宗教的指導者、魔術師)に瞬間的になることを意味している。

シャーマンの図

 ところが、そうした常識的な考えではとうてい理解できない図がある。これはいったいなんなのだろう。

恐らく宇宙人の図

 これはあきらかに動物の毛皮を被っているのではない。また、人間の姿をそのまま描いたものでもない。特に頭部はまるでウルトラマンのような形状とロボットのような目をしている。身体全体がなめらかであり、あたかも薄くつなぎ目のないボディスーツを着ているようだ。どうみても、この地球上にいる生物ではない。やはり、約1~2万年前に地球にやってきて、人類に文明を教えた高度な知能を持った地球外生命体=宇宙人と考えるのが、論理的な結論だろう。(注:なお、これらの絵を子供のいたずら書きといって中傷する人が一部にいるが、そうしたことは塗料の科学的分析結果(約1~2万年前と判定)によって既に排除されている。)

<以下は、私が出版している作品・論考などをまとめているものです。キンドル及びペーパーバックで販売しています。>


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