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<書評>「人類最古の哲学」

20210616人類最古の哲学

「人類最古の哲学」中沢新一著 講談社選書メチエ 2002年

1.著者について

著者自身が言うところの,フランス語でCahier Sauvage(カイエ・ソヴァージュ,野生の練習帳)シリーズの第1冊。このカイエ・ソヴァージュという表現は,フランスの偉大な文化人類学者レヴィ・ストロースの,20世紀を代表する構造主義・神話研究・文化人類学の人類の文化遺産となるべき名著「La Penser Sauvage 野生の思考」をイメージしていることは,著者も「はじめに」で触れている。また,この「人類最古の哲学」という言葉も,レヴィ・ストロースからの引用と説明している。

ところで,ネットで検索すればすぐに出てくるが,チベットで修行したという著者の名は,オウム真理教と教祖麻原を絶賛し,オウムがたんなる犯罪集団かつ邪教であることが暴露された後も,自身の発言に責任を取っていないとして,常時攻撃されている。単純に考えれば,一介の宗教学者・文化人類学者が,日本の極めて俗物的な新興宗教に汚染されたことは,所詮は世間知らずのお気軽学者の過失と理解することができる。もっとも本人は,旧ソ連の20世紀半ばを代表する作曲家ドミトーリー・ショスタコービッチ(スターリンに迎合)や同じく20世紀半ばを代表するマルティン・ハイデッカー(ナチスに協力)を,自らになぞらえことで自己肯定し,一時は構造主義哲学研究家の浅田彰とともに世間の注目と暴利をむさぼったマスメディアから遠ざかり,堅い殻に閉じこもっている。もっとも,大学教授なんて,象牙の塔と呼ばれる閉鎖社会の中で生存している人種だから,本来の姿に戻ったとも言えるが。

それから,著者の出身地についての奇妙な一致がある。著者は,山梨県山梨市下神内川加納岩(やまなしけん やまなしし しもかながわ かのいわ)小学校を卒業している。実は,私の父は同じ小学校の卒業生だ。そして,小学生の頃,加納岩小学校の近くにある父の実家へ,夏休みのたびに帰省していた。

著者の実家は養蚕で成功した金持ちだったそうだが,父の実家付近には,そうした金持ちらしい家があった記憶はない。裏庭にブドウの木があり,トイレは共同で汲み取り式(子供には落ちそうで怖かった),手動の共同井戸もあった。隣は,クリーニング屋で,なぜか立派な大百科事典があり,失礼ながら子供心に場違いだなと思った。「ちょっと見てもいいですか?」と,そのうちの1冊を手にしたが,明らかに一度もページを開いた後がなかったのを覚えている。

それから,通りを挟んだ向いに布団屋があり,近所に馬を飼っている人がいて,わざわざ見に行った。馬は大きくて怖かった。裏庭から畑道を少し行くと,豚小屋があって,大きな豚がこちらを威嚇してきた。さらに行くと,桃などの選別・出荷作業をしている工場があって,叔母さんがそこで仕事をしているので,毎年桃とブドウを大量に買い付けて東京の家に持って帰った。ようするに,ごく普通の日本の田舎だったと思うが,中央線山梨駅の反対側にあった小さな書店は,子供心に知識の拠点のように感じていた。

2.日本神話の重要性について

本書の冒頭にある,日本が戦後,進駐軍による洗脳政策によって,日本が持っている世界に誇るべき文化遺産である神話の「日本書紀」と「古事記」が,義務教育で忌避されている現状と,日本人の多くがその内容を知らないことを憂えていることは,これは極めて正論だと思う。たとえば,アメリカ国民が合衆国建国の物語=神話を,愛国心の根本として子供たちに教えるように,日本と日本文化を大切にするのであれば,日本国籍を持つ者はすべからず,暗記する程に「日本書紀」と「古事記」の世界を知悉すべきだと思う。

とはいえ,そういう私も十分に学習しておらず,身近にある神社の神様の名前も由来もよく判らず,ネットで検索して理解するのだから,偉そうなことは言えない。ただ,違うなと思ったのは,日本への稲作,鉄器文化などの伝来が,朝鮮半島からの人々のみによってもたらされたというもの。これは,明らかに半島系と左翼系の人たちが,日本を劣等視するために作りだした可能性が高いまさにファンタジーであることが今は判明している。

歴史の事実では,日本への稲作等の文化の伝来は,実は中国南部から台湾等の島伝いに北上して,九州に上陸したことが,最新の考古学でわかっているからだ。地図を見ればわかるように,稲作は中国南部で現在の水稲栽培に発展した。一方,今は北京を初めとして文化の中心のような様相になっているが,稲作開始の頃の中国北東部は南東部からかなり遠く容易に人が移動できるところではなかった。理由は,東西に流れる大河があっても,南北に移動する大河がなかったからだ。だから,稲作は中国南東部-北東部-朝鮮半島という経路ではなく,中国南東部-台湾-沖縄諸島-九州-朝鮮半島というルートで伝播している。

人の移動は,徒歩や馬などが想定されるが,河や海を舟で移動する方が数倍も早く,また運搬できる物量も大きい。縄文時代の人間が大海を渡航できないというのは,明らかに誤りで,最新の考古学は,コンティキ号で太平洋を航海したヘイエルダール教授でなくとも,小舟で太平洋を航海していたことがわかっている。

太平洋と比べれば,中国南部から島伝いに九州に上陸するのは,相当に容易で安全だったから,相当数の人と文化がここから北上したのは間違いない。そして,九州を北上し,福岡付近から朝鮮半島南部に上陸した人が,中国南部から広大な大陸を徒歩で長時間かつ他部族の襲撃を受けて北上する人よりも数倍早く,稲作などの文化を半島の人たちに伝えた。つまり,ストーリーはまったく逆だ。だからこそ,大和朝廷時代にまで,半島に百済や任那という日本人と日本文化による王国が存在していたのは,ごく自然なことだった。そしてその証拠に,多数の日本式古墳が発見されているが,なぜか発見と同時に「なかったこと」にされているのが,哀しい現実だ。

3.読みやすさとその影響力について

ところで,著者は学者でありながら,講演(講義)記録ということもあり,ほとんど注釈も付けず,また引用した概念や主題(テーマ,テーゼ)についての,学術的な論考を省いて,著者が一方的に理解しているものを,あたかもそれが定説であり正論であるかのように,蕩々と饒舌に自己の論理を展開していく。もちろん,学者でもあるから,良く勉強しているし,引用していることはその学習・研究の立派な成果だろう。そして,その論理の展開は,素人にもわかりやすい語り口と言葉の選択により,まるで教会で司教が信者に説教をしているようなものとなっている。すなわち,受講者・聴講者たちは,著者の理論をその言葉通りに受け取り,あたかも狂信的な一神教の如く,他の概念や事実を拒否するようになってしまうかのようだ。

ここに著者の,多くのインテリやマスコミに歓迎された大衆性という特質があると思う。そして,その対象とされた一般大衆に対しては,宗教的な洗脳の可能性を危惧してしまう。この危惧したことが,オウム真理教との近縁性ではなかったかと思う。

4.私の考えについて

灰かぶり娘(シンデレラ)物語について,私が考えることは,この神話のポイントは靴にあると思う。靴によって,主人公は現世でも異界においても,瞬時の移動や変身ができる。そのための道具が靴だ。

物語のもうひとつの道具だてとして,灰,火,鳥,魔法,かまど,井戸,池が出てくる。これらが暗示しているものは,宇宙人の使用するロケットではないか。たとえば,同じ概念のストーリーに入れてよいと私が考える,日本の竹取物語では,竹はその円筒形の形からもロケットそのものだ。かぐや姫は,ロケットの中から発見され,最後は月=宇宙へと返っていく。桃太郎も,桃の形をしたカプセル=ロケットから出現し,鬼ヶ島という先に地球に漂着している宇宙人との戦いに赴く。キジ=航空兵器,犬=地上兵器,猿=情報兵器と考えれば,合理的な戦法だ。天の羽衣なんて,羽衣は宇宙服であり,やはり宇宙に帰還する異星人だ。

ということで,灰かぶり娘における靴は,小型ロケットのような移動装置の比喩ではなかったかと思う。アポローンは,こうした移動を得意としたが,ギリシアの壷絵には,踵に羽が生えたサンダルを履いた姿で描かれている。

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