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<小旅行記>東京漫歩:湯島天神-お茶の水-神保町-皇居外苑-日比谷公園―日比谷―有楽町ガード下―新橋ガード下

 ゴールデンウィークだ。昔仕事をしているときはいつもより忙しくなり、休日出勤が当たり前だったが、定年退職した今は、ようやく世間の人並みに休日を楽しめるようになっている。

 しかし、今や毎日が日曜になっている日々のため、休日に出かけることはあまりせず、平日に出かけるようにしているのだが、今回はタッチラグビーをしていた友人Fさんと、5月3日(憲法記念日)に都心をぶらぶら飲み歩くことになった。憲法記念日ということで、都心の政治活動による騒音を心配したが、あまりそうしたことは感じられなかった。平和な時代だ。

 待ち合わせは、湯島天神に13時とした。せっかちの私が10分前に到着したときには既にFさんは来ていた。現役で仕事している上に、郊外に住んでいることもあって、早めに着く習慣があるのだろう。私たちは、多くの外国人観光客が写真やビデオを撮りまくっているなか、待ち合わせ場所の手水舎でお清めして参拝した。天神様(菅原道真)という学問・受験の神様のため、時期的に合格・入社したことの「おかげ参り」の人たちが沢山来ていたようで、神社内でさかんに「おかげ参り・・・」とアナウンスする音がこだましている。

本殿正面

 このアナウンスは、まったく風情も情緒もなく、まるで閑古鳥が鳴いている遊園地の(迷子探しの)園内放送のようで、せっかくの由緒ある神社の趣を損なっていると感じたが、それ以上に「おかげ参り」という言葉が、たぶんヤクザ映画の影響だろうか、どうもヤクザが仕返しにする意味にしか聞こえず、妙な違和感を持ってしまった。もっとも、圧倒的多数を占める外国人観光客にはまったく関係ない話だろうが。

本殿横側
日本庭園

 大勢の参拝客に混じって本殿にお参りした後、裏手にある豊川稲荷と戸隠神社の分祀された社殿にもお参りした(実は、小銭の関係で本殿よりこちらの二社の方に高いお賽銭をしたことは、私だけの秘密だ)。そうして、湯島天神の鳥居をくぐり、ぶらぶらとお茶の水方面に向かって歩いていった。すると、Fさんが「昼間のKさんは、大学教授みたいで良いですね、・・・夜のKさんは、たんなる酔っぱらいおやじだけど、昼間の方がいいなあ」と言う。たしかに、酒を飲んだらたんなる「酔っぱらいおやじ」でしかないのは当然として、昼間は大学教授(つまり「インテリ」?)に見えるというのは、これは見かけだけではないと自負している。

 定年退職してから現在までの2年間余。サラリーマン生活で失われた40年を取り戻すべく、私は毎日、哲学・歴史を中心にした学術書3~4冊に加えて、神話や古典文学2冊を同時に読み、さらに英米文学作品を原文で数ページずつ読んできた。その結果、カッシラー、ケレーニー、ユング、ブルクハルトらを読了できたし、『アラビアンナイト』全18巻(1001夜の話)も読了した。また、noteには、そうした読み終えた学術書に関する書評やエッセイに加えて、短編小説も投稿してきた。こうした日々の積み重ね、あるいは修業が身体に染み込み、またそうしたオーラが外に漏れだすのも自然だと自負している。もっとも、時間帯に関係なく、痴呆のようなあるいは飲んだくれおやじのような印象を与えられるようになれれば、私も本物の「仙人」に成れたということなのだろうが、まだまだ道程は遠い。

 平日なら仕事をする人たちの姿が沢山見えると思われる通りを、四方山話をしながら観光客とすれ違いながら歩いていると、そのうちに聖橋を通り、遠くにニコライ堂の金ピカドームが見えてきた。もうお茶の水だ。大学を卒業してから、お茶の水は縁遠くなってしまった。外堀に吹き渡る初夏の風と並木が作る木陰の心地よさを味わいながら、聖橋を渡って右の茗渓通り(外堀の風景に趣があるとして、昔は「茗渓」と呼ばれていたが、今はその面影がとっくに消えている)へ曲がり、昔「まいまいつぶろ」という安いバーがあった辺りを歩く。かつてさまざまな飲食店や飲み屋があった痕跡はどこにもなく、今はどこもチェーン店のラーメン屋などの典型的な店が軒を連ねるだけだ。もともと雑然とした通りの風景だったが、時を経てさらに無機質な感じに変わった気がする。

 茗渓通りの左手に見える、昔よく本を買った丸善書店の、店外のワゴンで本を売っている風景はあまり趣が変わらないように見えたが、本自体から醸し出してくる熱気はまったく冷めていた。今は本自体が売れないのだ。その先の右手に見えるレモン画翆もさすがに変わった。そして歌謡曲「学生街の喫茶店」のモデルになった付随した喫茶店は、痕跡すらない。後でレモン画翆のウェブサイトを調べてみたら、明治大学校舎近くに「トラットリアレモン」というイタリアレストランをオープンしていることを知った。また、レモン画翆自体も、昔の予備校に通う画学生のための美術専門の画材屋から、ウェブサイトによれば建築関係が豊富にある画材屋に変わっているようだ。そういうわけで、今や喫茶店自体が絶滅危惧種だから、「学生街の喫茶店」も思い出の中でしか残れないのも当たり前だ。

レモン画翆

 茗渓通りをやり過ごした私たちは、楽器店がやたらと目立つ千代田通りを南下し、昔「味一」という白菜ばかりの中華丼で有名だった街中華の店が、チェーン店のどんぶり飯を食わせる店になっているのを見て、過ぎ行く時間の経過を嘆きながら、靖国通りとぶつかる駿河台下交差点まで歩く。かつて威容を誇った三省堂ビルも取り壊されて、もの悲しい更地にトラクターの威容が見えた他、いつも労働争議をしていた書泉グランデ・ブックマートのビルも別業種のテナントになっている。「老爺の嘆き、ここに極まれり」という心境をしみじみと味わっていると、Fさんが「そろそろランチでも」ということで、すずらん通りに入ってみた。

 しかしこの懐かしい通りも、かつて軒を並べていた天ぷら屋・居酒屋・ラーメン屋などの面影はとっくになくなってしまい、今はシャッターが閉まった店やファストフードのチェーン店の看板ばかりが目立っている。かつての小さな古本屋は少しだけ生き残っていたが、冨山房という出版社本社とその付属書店は立派なドラックストアに様変わりしている。神保町=本の街というイメージは、靖国通りの一部にしか今や残っていない。多くの人たちが、新刊書すら読まないのだから、古本はなおさらだろう。本がこの世からなくなってしまうのは、古代の叡智が消失したアレクサドリアの大図書館が焼け落ちたような人類にとっての大損失ではないか、と本好きの私は哀しくなってしまう。

 ランチの時間をとうに過ぎた上に、歩き疲れたこともあり、「築地直送」と書かれているすすらん通りにある地下の居酒屋に入った。休日のため、遅いランチを摂る人も多いなか、私たちは昼飲みのメニューへと突入した。本日の一軒目そして一杯目だ。私は、まず生ビールを頼み、続けてホッピーセット(白)を飲み、ナカ(焼酎)を追加した。つまみは、Fさんが食べたいと言っていたイカの天ぷらがないため、イカゲソの唐揚げを注文した。昔、イカゲソは庶民の食べ物だったが、今や普通のイカよりゲソの方が高くなっている。こうして庶民とおじさんの生活領域が、金持ちと若い人たちに奪われていくのを実感する。

 数品頼んだつまみは、それぞれにけっこうな量があったので、まだまだ先が長いこともあり、ここはほどほどにして店を出る。はしご酒の二軒目は日比谷公園にしようとなり、そのまま千代田通りをぶらぶら南下していき、四方山話をしているうちに高速道路の下を通って皇居外苑に着いた。ここまでは意外と近い。ちょうど休日ということもありジョギングする人たちの姿が多かったが、それ以上に外国人観光客の姿が目に付く。考えてみれば、今は戦後以降の歴史では、終戦後の進駐軍、1964年の東京オリンピックに続いて、日本に世界中から外国人が押し寄せている時代なのかも知れない。どこにいっても、一見して外国人とわかる人たちが、スマホを見ながら軽装で歩いている。しかし、良い天気だ。また、ほろ酔いの身体に皇居の樹々から吹いてくる薫風が心地よい。これで、閑散としていれば最高なのだが、それはないものねだりというものだろう。

 皇居外苑は横断するにはかなり広いので、途中で二回ほど座って休んだ。芝地の木陰で五月の風を楽しんでいる外国人観光客たちの姿を眺めながら、とぼとぼと歩いて行くと、間もなく目指す日比谷公園についた。そういえば、昔仕事がひと段落した夕方、皇居の内堀をジョギングしたこともあったが、日比谷公園内をジョギングしたこともあった。そんなことを思い出しつつ公園の新緑を味わいつつ南下していくと、目当てのオープンレストランに着いた。ランチタイムはとっくに過ぎているが、想像した通りにかなり混んでいる。昔はここでビールを飲む人は少なかったし、お客といえば外国人がたまにくるくらいだったが、今や日本人客が多くなっている。店に入るためには外にある予約表に書き込むようになっているので、横にある安っぽいオレンジに椅子に座って順番が来るのを待った。私たちには時間はたっぷりあるから、「混んでいるから」というだけで入らない理由にはならない。

 私たちが待っている間、10人以上の人たち(日本人)が店に来たが、皆混んでいるから(長い順番待ちがあるから)という理由で、次から次へと通り過ぎて行く。そのうち私たちの順番が来たので席に座った。ところが、ついさっき店に来た欧米人親子は順番を待たずに席に着いた上に、若い店員が丁寧につきそって注文を取っていた。しかし、先客である私たちには、なかなか注文を取りに来ない。「すいませーん」などと声を出すのは下品なので、手を上げて大きく降っても店員は見えない振りをしている。「???」という気分をかかえていると、しばらくして近くの席にいる欧米人にサーブしにきた店員を捕まえて、やっとビールとつまみを注文したが、これまたいつまで時間が経っても出てこない。

 そのうち、つまみのソーセージが冷めた状態で(たぶん、注文を間違えて残しておいたものだろうと思った)手慣れた女性店員が持ってきたので、「ビールを頼んだけど、ぜんぜん来ないです」と聞いた。すると、別の店員が慌ててビールを持ってきた。そう通常ビールを注ぐには時間はあまりかからない。Fさんは「欧米人のインバウンド客を優先しているみたいね」とぼやいていた。この店は、昔お客が来ないときから、公園の花々が眺められるちょっと外国風の雰囲気があるのでよく利用してきたが、こういう扱いをされてしまうと、こちらの贔屓にしようという気持ちもなくなってしまう。・・・これでまたひとつ、おじさんの居場所が無くなってしまう気がした。憂き世とは寂しいものだ。

 ところで支払いをするとき、欧米人の客が、千円札と一円玉を含んだ沢山の小銭をまとめて出して、レジの人に数えてもらっているのを見かけた。これは、私が海外にいるとき、特に住んでいる国とは別の国へ旅行した時に、良くやっていたことを思い出した。そう、クレジットカード払いが一般化する前は、現地のキャッシュで支払っていたが、札は薄く数字が大きくて使いやすいが、小銭は慣れないと金額の見分けがつかず、けっこう使い辛い。さらに、支払うときに札と小銭をうまく合わせられずに札だけを出してしまうから、釣銭の小銭がどんどんと蓄積されて財布(小銭入れ)が重くなってしまうのだ。ただし、公共交通機関や公共トイレなどの小銭を必要とする場合もあるので、小銭はある程度持っていることも必要だった。

 そういうわけで、日比谷公園の美しいが五月の草花とは反対に、ちょっと嫌な気分で店を出た後、Fさんが「次は甘いものに行きましょう」というので、この日の三軒目として日比谷シャンテ二階の眺めの良い喫茶店に入った。店員から渡されたメニュー(幸いにタブレットのタッチパネルからの注文ではなかった)にでかでかと載っているもの(つまり「店のお薦めメニュー」だ)をFさんが注文したところ、「あっ、これとこれはもう売り切れです」と言われ、やむなくクリームチーズケーキとシフォンケーキをホットコーヒーとともに頼んだ。

 日比谷という場所及び店の雰囲気ともに圧倒的に女性客率が高い中で、くたびれたおじさん二人が仲良くケーキを食べている姿は、たぶん「キモイ」とか言われるのだろうなと思いつつ、おじさんの居場所でない場所にちょっとだけ侵略したような、不思議な達成感があった。もしかすると、これからおじさんの居場所はこうしたお洒落な甘味処になるかも知れない。でも、そうなったら「私たちの居場所を取らないで!」と、立ち食い蕎麦を侵略した女性たちに叱られるのだろうな。やっぱり、おじさんの居場所探しは難しい。

 甘味で一息ついた後、(本来は順番が逆だとも思うが)Fさんが「ご飯ものを食べましょう」というので、私が最近よく使っている有楽町ガード下の沖縄料理店に四軒目のはしご酒(三軒目で酒は飲まなかったので、正確には三軒目の酒となるが)として入った。とっくにランチタイムを過ぎた時間だったので、先客はカウンターに座ったインド人らしい青年一人だけだったが、居酒屋タイムに入ったために泡盛が注文できたのは酒飲みとしては嬉しかった。そして、「イカの天ぷらをソースで食べたい」というFさんの希望がここで叶えられることになった。メニュー(ここも昔ながらの印刷したものだ)にイカの天ぷらがあったので、「ソースありますか?」と店の人に聞いたら「ありますよ、お出ししますか?」と快諾されたので、Fさんはイカの天ぷらとご飯を頼んだ。

 私はいつもの三枚肉そば(つまり沖縄そば)を頼み、二人ともに泡盛のロックを飲んだが、Fさんには25度の酒はちょっときつかったようで、あまり口をつけずに残していたので、私が余った泡盛をいただいた。なんて大酒飲みなんだ、まったく、飲んでばかりだ、と少しばかり反省する。しかし、泡盛を飲むと私はなぜか元気が出る。もしかすると前世で沖縄にいたのかも知れない。泡盛を飲みながら沖縄を話題にしていたら、Fさんが行ったことがないというので、是非観光シーズンを外して沖縄に行こうと盛り上がったが、たぶん実現しないだろう。おじさんの約束とはそんなものだ。そうしているうちに。「招き猫」である私は10人程の団体客を呼び込んでしまったようだ。私たちは、早々に店を出た。そして、「招き猫」の役目も終わりだ。

 今日の〆となる五軒目の店を探しつつ、有楽町から新橋に向かってぶらぶらと歩く。手頃な赤提灯風の居酒屋がないかと探しつつ、(ナンパストリートとしてお洒落で高級な店が多い)コリドー街を抜けて、さらに新橋ガード下を歩いて行く。大勢の外国人観光客とネオンサインがまぶしい狭い通路をすれちがう。皆いかにも観光客という雰囲気と服装をしている。既に陽が落ちて、暑かった昼間よりも観光客の数が増えたような気がする。「東京の夜は楽しいですよ、みなさん」と言いたくなった。私たちは、そのまま新橋駅近くまで行ってしまったので、またガード下に戻り、適当な店に入ることにした。

 そこは、若い人や外国人観光客が少なく、おじさんたちが愚痴をこぼし合っているような昔の雰囲気があったので、おじさん飲み歩きの最後には相応しい感じだった。あちこち破れた使い古しのソファー用椅子も味がある(どこかの会社の応接室にあったのかも知れない)。しかし、注文は全てタブレットのタッチパネルからだった。そういえば店員は皆若い。おそらく、おじさんが話す(古臭くカビの生えたような)言葉の意味を理解できない人もいるだろうから、タブレットのタッチパネルからの注文は正解なのかも知れない。

 さすがに五軒目となり、また泡盛が効いてしまったこともあり、Fさんは既に酩酊していたので、注文は少しだけにした。私はハイボールとビールを飲み、おそらく店の売りだろうと思われる焼き鳥セットを頼んだ。この手の店は、通常豚のもつ焼きが主流なのだが、ここはちゃんとした鳥を使っていた。しかし、その分肉が小さくて味が物足りない気がした。私の口が、長年にわたって豚モツに慣れてしまったから、それも仕方ない。庶民かつおじさんには、鳥モツよりも豚モツが合っているようだ。

 この店は、私たちのようなおじさんが多かったが、後から近くに座ってきた青年二人は、少し雰囲気が違っていた。なにげなく会話を聞いていると、「俺は、アメリカ人だとちゃんと主張するぜ」などと話している。その風貌と服装はたしかに日本人らしくはないが、外国人にしか見えないということもなかった。彼らのアイデンティティーは、居酒屋のホッピーやビールで完結するわけではないだろうが、こうして飲み屋でおじさんみたいに愚痴を酒で流し込んでいる姿は、立派な日本のおじさんだと誉めてあげたい気分になった。ウェルカム、ジャパン!

 夜が更けて混みだした店を出て、新橋駅に向かう。Fさんは東海道線下り方面に乗り、私は山手線で有楽町へ向かう。新橋からの山手線内回りはさほど混んでいなかったが、有楽町で降りる時はホームから大勢が乗り込んできて、あやうく降り損なうところだった。東京は、どこも人が多い。JR有楽町駅を出て、東京メトロ有楽町線駅に向かう。人込みをかき分けつつ、横目で前回小腹が空いて立ち寄ったカレー屋の混み具合を眺めながら(けっこう混んでいる。場所が良いので人気なのだろう)、さすがに今回は小腹が空いていないので、遅い時間帯から乗客が少なくなった有楽町線の新木場行きに乗った。

 間もなく自宅の最寄り駅に着き、涼しさを感じる地上に出た。さすがに空は暗いなと思ったら、時間は20時頃だった。今日の散歩は、約7時間か。さあ、家で風呂に入って寝よう。そうだ、洗濯ものをしまわないと。心地よい天気だったから、良く乾いているだろう。

<私が、過去に住んだり、旅行したりした、世界の各都市についての印象をまとめた本です。キンドル及び紙バージョンで読めます。>


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