「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記)第18房:眠たいし、歩きたい

 気がついたら有原くんは極度の緊張状態に置かれていた。

 時刻は朝の六時半。天満橋駅隣りのホテル。その会議室に彼は座っていた。
 回りには数十人のスーツ姿のいかにできる風の人たち。
 鐘の音。一斉に叫ぶ。
「おはようございます!」
「おはようございます!!」
 それを皮切りに歌を合唱し、教訓などを唱え、この日初めてきた人たちがみんなの前で挨拶をする。

「ごめんなさい。ぼくは出来ません」

 よかった。逃げておいて。有原くんは人前が苦手だ。不安障害があるらしい。なので今まではなんとか克服しようと思っていたけど、最近考えが変わった。

 苦手なものはもう諦めよう。逃げればいいや。その代わり得意なことを頑張ろう。長所を伸ばそう。そっちの方が人生楽しめそうだ。

 挨拶を免れた有原くん。ただ、心臓はバクバクだ。

 有原くんはいま朝活セミナーに来ていた。それは以前働いていた職場の同僚と久しぶりに連絡をとった際に誘われたので、ただの興味本意ともうひとつはこの同僚に会うために来たのだった。

 有原くんは罪悪感を抱えていた。

 罪の意識は消えない。心の底にうずくまって時々に胃をつつく。

☆   ☆   ☆

 久しぶりの同僚も精神をやられて会社を辞めたと聞いていた。今日、会ってみると、とても疲れていた。
「いまはフリーランス」
その顔は笑っていた。目の奥も確かに光っていた。
 それなのに、どうしてこんなにも悲しいのだろうか。

☆   ☆   ☆

 初めての企業セミナーは本当に胡散臭い宗教のような感じだった。みんなで朗読をしたり、合唱したり、よく分からん神の言葉を唱えたり。
 ただ、なんだろう。有原くんは徐々に楽しい気持ちになっていた。

 まず、朝が早い。それが単純に気持ちいい。
 礼儀も身に付くし面白い話も聞けるし、慣れたら一体感あって余計に面白くなるだろう。
 社長やフリーランス、自営の人ばかりだからコネがめちゃくちゃできるし、これはこれでありかも。

 有原くんはモーニングを食べながらそんなことを考えていた。
「今日はありがとうございました。また来ます」

 たぶん、本当にまた行くと思う。
 同僚に会いに、仕事を作りに、暇を潰しに。

☆   ☆   ☆

 自転車に乗って施設へ。
 途中寄り道。昔住んでいたアパートへ。
 汚くてボロボロで悲しくなるような階段を登り、何年ぶりかの部屋の前に立つ。

 そうだ。ここだ。ここで元カノに洗脳されたんだ。

 そのあと彼女と電話。その声で少し浄化された。

☆   ☆   ☆

 施設で一日かけてSNSを繋ぎ合わせて、豚骨ラーメン食べたりして、家に帰って、彼女と会って、一人でスパイスカレー食べに行って、銭湯を堪能した。

 有原くんは頭を掻きむしる。
 昨日、坊主にしたばかりだった。

 自転車に乗っているときはとくにそれを感じる。

 ――頭にぶつかる風。

 風の感覚が懐かしい。坊主にしたら風が直接皮膚に当たる。だからすごく風を感じる。

 そして寒い。

 あと眠たい。

 人生はいつか終わる。寒いのも眠たいのもいつか終わる。

☆   ☆   ☆

 有原くんは感動していた。
 今日、彼女が相談してきたからだ。

 相談。

 彼女は人に頼るのが苦手だ。甘えるのが下手だ。それを変えようと頑張っていた。少しずつだけど、彼女も自分の人生を着実に歩いている。

 みんな、人生は初めてだ。右も左も分からないし、人と同じ人生なんてあり得ない。

 みんな、頑張れ。

 辛くなったら顔を上げて、辺りを見回せ。

 きっと世界は広いから。

 きっと世界は優しいから。
 
 きっと側に誰かいる。

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