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学童保育における子どもとの関係性

こんにちは。もうすぐ四月ですね~。

光陰矢の如しとはよく言ったもので、あっという間に子どもたちの新生活が始まろうとしています。

ところで春休み中の学童は学校と違った忙しさです。1日子どもたちと過ごすので体力の消費がもの凄いのです。(炎天下の中、外遊び2回とか(笑))

それを言い訳に投稿をさぼってしまいますね(笑)コツコツ努力することが苦手なタイプです(笑)

さて今日は【学童保育における子どもとの関係性】について書いていこうと思います。

学童とは、主に共働きや母子父子家庭で放課後に自宅へ戻っても親が不在の子どもたちが安全に過ごせる施設、教育機関のことをいいます。

子どもたちはこの学童で一緒に遊んだり、宿題をしたり、おやつを食べたりして過ごします。この学童という存在が今では子どもたちの非認知能力(思いやりやコミュニケーション能力)の発達に効果的な場所として認知されています。

学校と学童両方で働いた経験から、学童は学校以上に子どもと子ども、大人と子どもの【人としての距離】が近い場所であると感じています。

それは身体的な距離だけではなく、精神的な距離も含まれます。

私は小学校の教員経験はありませんので、詳しくは分かりませんが、小学校1~3年生の子どもたちに毎日抱っこやおんぶをお願いされます。精一杯甘えている気がします(笑)

親が共働きであったり、父子母子家庭でなくても愛に飢えている子どもたちは大勢いると思います。学童のように好きな時に自由に大人に甘えられる環境があるのは子どもにとって良いことだと思います。

よく親離れ、大人離れを推奨する教育者の方がいますが、私はどっちかというと甘えたいのならいつまでも甘えたらいいのではと思っているタイプです。

私は発達に個人差があるように、愛の容量にも個人差があると思います。いつまでも愛を与える存在でいたいものです。

子どもはお友達や大人と一緒に遊んだり、お話ししたりするだけではなく、ただただ大人におんぶされている時間でも成長していると思います。

抱っこやおんぶは一例ですが、このように人としての距離が近い分、子どもは大人をよく観察し、この大人は信頼に足る人物かどうかの判断、線引きがはっきりしています。

学校では、教員と生徒とというはっきりとして区別があります。学童ではその区別がそこまではっきりとしていません。

学童では【教員と生徒】ではなく【人と人】の関係性ができあがっているのです。


だからこそ、私はいつも自分の言動を意識し、気を付けています。

子どもたちに、いかに人として信頼できる存在になれるかをとても大切にしてます。

言葉や行動の一節から人間性が表れ、それも子どもはよく見ています。

子どもの行動を馬鹿にしたり、無下にしたりする大人が、子どもたちの喧嘩の仲裁の際に、友達を馬鹿にしてはいけませんと注意したって、何の説得力もありませんから。

毎日、人として子どもたちと関わり、人として子どもたと遊び、人として子どもたちの喧嘩の際は仲裁に入る。

そこに上下関係はありません。いつまでも、どこまでも対等な存在で居続け、子どもたちのそばに寄り添います。

それはとても大切なことであり、学童保育だけでなく、教育現場で働く人間すべてが持っていてほしい資質であると思います。

私の学童でも支援員の異動があり、自分も4月から異なる子どもたちを保育することになります。同じ学童で同じ子どもたちと過ごした約8カ月。その間に私は【人と人】としてお互いを信頼しあい、対等な関係性を築けていたかどうかは分かりません。

そして新しい子どもたちとこれからお互いを信頼しあい、対等な関係性を築けるかどうか・・・。

自分の可能性と教育力を信じ、子どもたちと【人と人】としての関係性を築いていけるよう頑張りたいですね。


今日はここまで。ありがとうございました。

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