悲劇のヒロイン「ハタチの私」
どうも、ゆいぴです。
皆さんは自分が20歳の頃、何をしていたか覚えてます?
年齢的には大学生だったり、人によっては既に働いていたり。
私にも「ハタチで~す」なんてキャピってた時期がありまして。
ただそれはもうなんか、とんでもない1年だったんですよね。
今回は面白半分でハタチの振り返りをしていきます。
他人の不幸話が好きな方はぜひ最後までお付き合いください。
悲劇① 就職先が激ヤバで即退職
私がハタチを迎えたのは2017年5月、宮城県石巻市にて。
当時は市内のホテルで正社員スタッフとして働いていました。
10代の頃にそこでバイトをしていて、そのまま正社員に。
しかしそこがね、なかなかのブラック企業…というか何というか。
給料未払いが発生したり、セクハラが横行していたり。
詳しくは言えませんが「犯罪だろ!」みたいなこと普通にあって。
さすがに辞めましたね。入社して3ヶ月でした。あはは。
悲劇② 車、大破
一緒に住んでいた友達に車を貸した日のこと。
というか所有は私だったんですけど、ほぼ共用してたんですよね。
仕事中の私に1本の電話が…「ごめん、事故っちゃって」
ガードレールに突っ込んで車の前方がグチャグチャになってました。
彼女が無事で、被害に遭った人や車がいなかったのは不幸中の幸い。
私の初めての自家用車は、1年足らずで儚くも廃車になりました。
悲劇③ 歩けなくなって緊急入院
悲劇①の会社を退職する直前、つまり7月頃ですね。
急に上半身に半端ない痛みが走り、歩けなくなっちゃいました。
それも夜でして。上司に夜間救急へ連れて行ってもらったんです。
一通り検査したら「入院してください」ですって。え~!ですよね。
歩けないのでその日は車いすで院内を移動して、そのまま病室へ。
翌日には痛みが治まって歩けたので、すぐ退院になりました。
悲劇④ 結局手術するんかい
退院後、検査のために何度か日赤病院に通いまして。
骨盤内に腫瘍があるので手術が必要という結果になりました。
実を言うと「やっぱりな~…」って気持ちもあったんです。
なぜなら高校生の時、既に同じ病気で手術をぶちかましていたので。
そして8月に、腫瘍摘出の手術をおかわりする羽目になりました。
腫瘍どころか内臓も取られました。痛かったです。ぐすん。
悲劇⑤ 入社直後に教育係の上司が
術後はリハビリも兼ねて、1ヶ月ほど実家に居座ってました。
そのあと石巻市で就活をし、前職である建設会社に入社しました。
しかしここでも事件発生、というよりは悲しいことが。
入社して2ヶ月の頃、私の教育係である上司が無断欠勤をしました。
真面目な方で。少なくとも無断欠勤なんてするような方ではなく。
亡くなっていました。彼の自宅で。首、吊っちゃったんですよね。
遺書とかもなくて、結局理由は分からなかったみたいです。
隣の席からただよう白百合の香りは、しばらくトラウマでした。
悲劇⑥ 後任で異動してきた上司が
教育係の彼が亡くなってから少しして、別の方が異動してきました。
短い間しか一緒に働けなかったので、顔も思い出せないのですが…。
気になりますよね。なんで“短い間しか”一緒に働けなかったか。
逮捕されちゃいました。公然わいせつ罪で。大丈夫か、この会社。
悲劇⑦ おじさまに付きまとわれる
まだあるの?って思ったそこのあなた。これが最後の悲劇です。
建設会社に勤めていた私はトラック運転手の方とも仲良くしていて。
その中の一人に好意を寄せられて、付きまとわれまして。
最初は急に愛の告白をされたんですよね。この時点でだいぶ怖かった。
父親よりも年上のおじさまですよ?しかもそんなに親しくないのに。
告白を断った後も職場にお菓子を持ってきたり、手紙を書いてきたり、
しつこく連絡が来たり。(しかもメッセージの内容も支離滅裂!)
最終的には警察に駆け込みました。もうメンタルはズタボロ。
でも親身に話を聞いてもらい、様々な対処をしていただきました。
よく乗り越えた!ハタチの私!
これ、全部20歳の1年間で起きたこと。とんでもなくないすか?
改めて振り返ってみると「よく乗り越えたなあ…」と思います。
恐らく人生で1番泣いた年だったんじゃないかな。かなり泣いた。
しかもね、当時付き合っていた彼氏があまり寄り添ってくれなくて。
超他人事だったんで。まあ他人事ですけどね!でもしんどかったな~。
それ以外の周りの方々は、めちゃくちゃ支えてくれました。
当時お世話になった皆さんには感謝しかない。頭が上がりません。
ただこれらを乗り越えて今がありますから。グッジョブ私、です。
最後まで読んでいただきどうも!個人的なハタチの思い出ブログでした。
へばな~👋
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