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小さい頃は、自分のことをお嬢様だと思っていた。

別にそんな大金持ちだったわけじゃないんですけどね。


幼稚園のお友だちは、

私のことを「ゆいこさま」と呼んでいたし
( 今思い返したらあれは何でだったの?汗)

サンタクロースは毎年、私のところに5つも6つもプレゼントを届けてくれていた。

シルバニアファミリーは近所のおもちゃ屋さんに並んでいるよりも沢山持っていた。

この豊かな生活がずっと続いていくと信じて疑わなかった。



雲行きが怪しくなってきたのは、
小学校5年生でお父さんがおじいちゃんの会社のお金を持って蒸発してしまった頃からだろうか。


私の通っていた中学校から大部分の人が入る高校に行くことは諦めて、
奨学金が確実にもらえる高校に行くことにした。


入学した高校ではアルバイト禁止だったけど、

「やむ終えない事情がある場合は許可する」

という一文を見つけた私は、先生の許可をもらい
いろんなアルバイトもした。

雑貨屋さんやファミレス。

駅前でビラを配ったり、商店街のお店に一軒一軒営業して英語塾のポスターを貼ってもいいかお願いするバイトもした。

どこにでも飛び込んでいく心は鍛えられた。

断られたら凹むけどポスターを貼れないとお金がもらえないのでやるしかなかった。

ティッシュ配りなんてめっちゃ得意になった。



「お父さんが蒸発してすごい苦労しているね。」



そんなことを言われることもあるけど、全くそんなことはない。


私にとっては、なんとなく流れのままに普通に過ごしているだけで大した苦労はしていない。

クラスメートはアルバイトをしたくてもできないのに
私は堂々とできる。なんてラッキーなんだろう。お父さんに感謝こそすれ。


弟の高校の出願書に書く文章を2人で考えていた時も、「お父さんネタ」を使わせてもらった。
ちょっとインパクトがあることを書いてから、それを受けて高校でも頑張ります、と書いた方が試験管の目に止まりやすいんじゃないかという作戦だ。

「これ絶対いけるよね!」

と完成した出願書を見返しながらワクワクしたのを覚えている。

自分の人生には自分がいちばん学ばなくてはいけないことが起こり、
それぞれの課題を乗り越えて成長していくだけのことだから
良いも悪いも凄いも凄くないも本当に無いと思う。



その人に1番必要なことが起こるようになっている。


すべては自分が創り出している現実。

自分を投影している鏡の世界。


✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭


高校時代にひとつだけ悔しくてたまらないことがあった。


英語の勉強が好きで、他は悪くても、英語のテストだけはだいたいいつも1番だった。 

1日1回は必ずALT(Assistant Language Teacher )のところへいって英会話の練習もしていた。

県の事業で、アメリカからくる同年代の高校生たちのホームステイ先を募集しているという張り紙が高校の掲示板に貼ってあったのを見つけたとき、絶対やってみたい!!と思った。張り紙がキラキラ光って見えた。

期待に胸が膨らんだ。

絶対にアメリカの高校生と交流してみたかった。



しかし、私の母の収入ではダメだと担任の先生に告げられた時、


あの時のことは今でもはっきり覚えている。


家のスペースも無いかもしれないし

お父さんもいないし

アメリカからホームステイに来た生徒のことをもてなせるわけがないと言われた。


泣いた。



自分の力ではどうしようもできない。

それまでは何とか工夫をしながら生きてきたけど、
私が1人で頑張っても
それだけは解決方法が、わからなかった。


毎日泣きながら寝た。


この時だけはお父さんがいればよかったのに、
もっとお金があればよかったのに、
と思った。


高校の先生たちはやさしくて、私に前年度のいらなくなった問題集をくれていたし
(国語、理科、社会、音楽は貰っていた記憶がある)

英語の先生は、英単語テストで1位になった賞品は何が良いか私に聞いてくれた。
英和辞典はボロボロになって何度もページが外れてしまっていたので、新しいものは学校から商品として貰うことができた。


自分でどうにもすることのできないやるせなさも感じだけれど、
その反面、先生たちのやさしさは忘れないと思った。

問題集が買えなかったとしても

本当に欲しいなと思っていたら思いがけない方法で手に入れることができる場合もあるんだなと学んだ。


私も大人になって勉強したいのに出来なくて困っている子がいたら助けようと決めた。




あれから20年以上経った。


今これを書きながらあの時、ホームステイ交流ができなくて悔しかったのはやっぱり悔しかったよなと思い出してちょっと泣いたけど、

有り体な言葉でまとめると、やっぱりあれがあったから今があるのです。


あの時の悔しさを抱きしめる。

あの15歳の泣いている私のところまで戻ってハグしてあげる。いまなんてホームステイどころかイギリスに住んじゃってるよと教えてあげたい。



そして、私は循環させていきたい。



あの時、私を助けてくれた人たちが、してくれたことを他の人に還していきたい。


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