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夜のしじまに

恋や愛について最近よく考えている。恋に落ちること、愛することや愛されることを。愛がなんだという映画が世間的にかは知らないけれど、少なくとも私が観測しうるSNS界隈では大流行りしている。愛がなんだというタイトルが、そんな手垢のついた、他人のモノサシで決められた愛なんてクソくらえ、という意味であるのか私は角田光代の原作も読んでいないし、もちろん今泉監督の映画も観ていないので分からない。分からないことだらけ。

でも、『愛がなんだ』という少し乱暴なその語気にどうしてだか惹かれる。愛がなんだってんだ、私は私の思う愛を突き進むだけ、という強さを感じるからかもしれない。


恋の始まりは、新緑の季節のようなみずみずしさを携えて訪れる時もあれば、真夏の照り付ける日差しと蒸し暑い夜の如く、心も体も熱にうなされてしまう時もあるだろう。人肌恋しくなるような寒さをどうにか耐えしのぐように落ちていくことも。あるいはその全部が一緒に流れ込んでくる時もあるのだと思う。


それがどうにかこうにか愛へと変容していく時、人はどんな過程を経るのだろうか。


私は初めてお付き合いした人のことを、今こうして振り返れば【愛していた】のだと思う。思いたい。最初はその人のすべてを分かりたくて、手に入れたくて、愛を与えて欲しくて堪らなかった気がする。けれども愛は全てを手に入れたい、という思いからは随分遠いところにしか存在しないものなのだと、彼の眼差しと思い遣りに触れ、気が付いた。


愛することは、相手を、信じること
           尊重すること
           受け容れること

愛することは、自分を、大切にできること
           幸せにできること

愛することは、相手の、幸福を願うこと
           幸福を祈ること


愛について私とあなたで思い描くものが異なっていたってかまわない。

かつて彼と私の間にあった愛が、いま君と私の間では違う形の愛であって当然なのだ。


恋や愛について私は今も、きっとこれからも考え続けるのだろう。

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