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推しが天気予報士になっていた

この話は、私の思い出のひとつ。実際にあったことを元にしています。


「ただいまー」

美鳥静香みどりしずかはいつも日が落ちた後に帰ることが多いが、試験前だったこともあり、今回ばかりは空が橙色に染まる時間帯に帰ってきた。

「おかえり。あら、今日やけに早いわね。部活は?」
「試験前だから休みー」

私はソファにドサッと座り込み、近くにあったリモコンで何となくテレビをつけた。カチカチとチャンネルを切り替えるが、どこもニュース番組ばかり。次のチャンネルでテレビの電源を消そうかとボタンを押したら、天気予報士の顔に何か見覚えのあるように感じた。

「……では、明日の天気をお伝えします。上空には強い寒気が流れ込み日本を中心に……」

(……あれ?この人)

「あー全く!またすぐにテレビをつけて……試験近いんでしょ?」
「ごめんごめん!すぐに消すからちょっと待って!」

母がリモコンを取ろうとするのを制しながら私はテレビに映る天気予報士を凝視する。「しっかり着込んで風邪をひかないように」と言って笑顔を見せたときピンと来た。色白の頬に、えくぼが目立つあの笑顔間違えない。

「ね、ね!この天気予報士、TOP Secretのチアキくんじゃない?」
「ん?どれ……あら、ほんとね。懐かしい」

「前から出てたのかな」
「さー、この時間にテレビをつけないから分からないわ」
「そっか……」
「って、ほら!そんなことより勉強!赤点とっても知らないわよ〜?」
「あーもう!わかったよ……」

渋々と母に従い、重い足取りで自分の部屋へと向かう。初めは真面目に試験勉強をしていたが、頭の片隅であの天気予報士のことを考えている自分がいた。どうしても気になってしまい、何度か手が止まってしまう。集中力が切れてしまったのをいいことに、ネットで検索してみると、現在は奥谷千秋おくたにちあきとしてテレビに出ていることがわかった。グループが解散してから天気予報士の資格を取っており、2年ほど前から夕方に放送される地方のニュース番組に出演していたらしい。

(アイドルから天気予報士か、すごいな)

TOP Secretは、6人組男性アイドルグループだ。5年前に解散したが、現在は4人かで再結成して活動しているらしい。人気低迷の影響か、グループ間の意見の食い違いか、なぜ解散したのかは定かにはなっていなかった。グループ解散を母から聞かされたときは、あまりのショックに大泣きし、「いやだ」と駄々をこねていたのを覚えている。それほど当時は熱狂的に応援していたのだ。

(そういえば解散後は、TOP Secretの曲をめっきり聞かなくなったな……)

「静香ー、ご飯できたわよ」

母の声でハッと我に帰る。試験勉強よりも他のことを考えている時間の方が長くなってしまった。気持ちを切り替えるため、散漫になっている自分の頬を叩く。一旦ご飯を食べてから勉強を再開しようと、リビングへと向かった。

「はーやっとテストから解放された……」
「どう結構できた?」
「き、聞かないで……自信ない」

あれからおよそ一週間。長かったテスト期間がようやく終わり、部活を終えて外に出ると薄闇が夜に変わっていた。部活仲間といつものように街灯で照らされた道を歩く。試験前で早めに帰れていた、あの3日間をふと思い出す。私はほんの少しだけ名残惜しく感じていた。私は推しが天気予報士としてテレビに映っていた様子が忘れられず、次の日、そのまた次の日と母にバレないように隠れて見ていたのだ。

(当分は見られないのか……)

録画すれば解決する話しなのだが、そう簡単にはいかなかった。1度は推しに興味が薄れてしまったことへの後ろめたさと、新たに興味引かれているのを母にからかわれてしまうのではという気恥しさがあったのだ。

「じゃあ、また明日ね」

部活仲間と別れた後の家路に着く足取りが重く感じる。気を紛らわせるため、久しぶりにTOP Secretの曲を聴くことにした。「say with you」、私が当時一番気に入っていた曲だ。再生すると当時の記憶を思い出し、懐かしくてフッと笑みが溢れる。

TOP Secretが着実に知名度を得ていたころ、私は小学生。開催されるコンサートやイベントには必ず参加するほど熱狂的なファンだった母がいたのもあってなのか、私は自然と興味関心を抱き始めていた。初めて母に連れてきてもらったコンサートに参加した時の感動は今でも覚えている。ステージが暗転したことで会場から音が消えたときの高揚感、会場全体に響き渡る歌声、雲の上の存在だと思った人が自分の近くまできてくれる喜び。終わった後もふわふわと宙に浮いているような、忘がたい感覚だ。帰り道は母と時間を忘れるほど語り合った。母はあまり子供に干渉しないような人だったので、私に笑顔を向けて話を聞いてくれることが無性に嬉しかったことを覚えている。

懐かしい思い出に浸りながら曲を聞いていると、いつの間にか家に着いていた。玄関を開けると、カレーの匂いがここまで満ちている。

「ただいまー」
「おかえり、もうご飯できてるから手洗ってきなさい」
「はーい」

着替えてリビングへ行くと、浮かれた様子の母がカレーを装っていた。僅かに鼻歌も聞こえる。大きめのじゃがいもやにんじんがゴロゴロと入っている具沢山のカレーは、いつもより盛り気味に感じた。

「……なんかあったの?」
「宮地悠のドームコンサートに当たったのよ、しかも初日」
「へーよく当たったね、最近は人気で倍率上がってるって聞いてたけど」

「ほんと、当たるか不安だったから安心したわ」

最近の母は、宮地悠と呼ばれる最近人気のシンガーソングライターに夢中だ。母から何度か、コンサートのチケットが余っているから行かないかと誘われたことがあったが、あまり興味を惹かれなかったから行かなかった。

(あの時行っておけば、私もお母さんみたいにハマってたかな)

ちょっと後悔しつつ、浮かれ気味の母を眺める。

「なーに?そんなじっと見つめて」
「えっ、うんん何でもない!」
「そう?……じゃあスプーン出してくれる?」
「わかった」

母と他愛もない話をしながらカレーを食べ終わり、自分の部屋へと向かう。ベッドに寝転びダラダラとスマホをいじっていたら、ふと当時ファンだった時のTOP Secretを見たくなってネットを検索することにした。

(懐かしい……てか、画質わるっ)

自分は記憶していたものより何倍も粗い画質のMVが出てきたことに笑ってしまう。いくつか関連動画を見ていると、つい最近上げられたばかりのTOP Secretの動画がおすすめに流れてきた。

『ユニゾン/TOP Secret』

デビュー曲だ。不安と期待が入り混じる感情で動画を再生する。メインボーカルのコウタとリードボーカルのショウヘイが抜けていなかったので、6人で活動していた時とほとんど変わらないように思った。だけど、グループ間のハモリ具合とかサビ終わりのビブラートがどこか少し物足りない。

前の方が良かったなんて思うのは無粋なことだってわかってはいるけど、考えずにはいられなかった。天気予報士・奥谷千秋として生きることにした彼にとって、グループに戻ってきて活動を再開するのは到底できないだろう。釈然としない気持ちでただ天井を見つめていたが、不意に思い立ち、スマホを手に取ってSNSを開いた。今ある感情を組み立てるように文章を打ち込んでいく。

『久しぶりにTOP Secretの曲を聞いた。小学生の頃、ファンだったときのことを思い出したよ。今、奥谷さんが天気予報士になってびっくりしたけど、密かに応援していきたいな』

私はSNSで呟くことはめったになかったが、今回ばかりは投稿せずにはいられなかったのだ。衝動的だったこと故、少し木っ端ずかしく感じて削除しようかと思った矢先、友人から反応きた。

「TOP Secret好きだったんだね!意外!」

初めは恥ずかしかったが、やっぱり反応を貰えるのは嬉しい。少し上機嫌で「母親きっかけでファンになったんだよー」と返し、そのままネットを眺めていたらいつの間にか寝落ちしてしまった。

「静香ーいつまで寝てるの!」

母の声で目を覚まし、眠たい目を擦りながら起き上がる。スマホに何件か来ていた通知を確認するが、想定外のことに自分の目を疑った。

「お、奥谷千秋がお気に入りしました!?!?」

あの時の私は誰かに知ってほしいと思って衝動的に投稿したが、まさか本人に見られるとは考えもしていなかった。自分の書き込みが好きな人に見られている、そんな非現実的に思えることが一気に身近に感じられた。浮ついた気持ちで階段を降りると、母は不思議そうな顔で見てくる。

「なに、なんでそんなジッとみてるの」
「……鼻歌なんか歌ったりして……なにかいいことでもあった?」
「えっ!な、なんでもないよ」

どうやら自分が気づいていなかっただけで、思っていたよりも浮かれていたらしい。何気なく呟いたことが見られるとは思ってもいなかったのだ、無理もない。ソファに座って何事もなかったかのようにSNSを眺めていると、とある投稿が目に入った。

『ファンレターやプレゼント、受け取りました!こうして形に残るものを頂けると、皆さんの応援が肌で感じられます。本当に感謝しています。あと、僕のことについて話してくれてる投稿が嬉しくて、もっと頑張ろうと思えます。みんなありがとう!ちゃんと見てるよ!』

私は無性に感動がこみ上げてきて、胸がじわっと熱くなる思いを感じた。相手が見てくれていたことへの嬉しさ、素直に自分の気持ちを届けられた感動。ファンだったとしても一度応援するのをやめてしまった私が抱えていた、どうしても申し訳ないような後ろめたい気持ちを掬ってくれた気がした。きっと自分にとって何気ない言葉も、相手には何物にも変えがたいものになっているかもしれない、ということを考えたとき、私は伝えることへの重さを実感した。それと同時に、私はアイドルから天気予報士として頑張る彼を密かに応援し始めたのだった。

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