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日本の将来性 ~根底の問題~

「日本の将来は不安しかない」
というのは現実であり仕方ないのかもしれない
ただ、「このままいくと」といって様々な問題点を列挙し、「将来の日本はこうなる」と仮定してから、そうなった場合の問題解決方法を語るのはどうかと思う。
現時点での、正確な問題点の抽出と適切な解決策の検討はしないのだろうか。
あたかも、あと20年くらいはこのまま時代が進み、良くない日本が完成してから問題を解決していきましょう、とでも言いたいのかと思ったりしてしまう。
日本人は資本主義制度を持った比較的自由な国家にいながらにして、本当に統一的思考と単一的行動が好きな人種であり、特に年功序列を元にした非生産的な思考と行動の問題は根が深い。
今や、過去を振り払えない老人達が仕切る政治と現実から遠ざかる若者、といった構図があらわになり、日本の生産性能力は地に落ちかけている。
日本が(将来性において)危機的状況だと感じながら日々の生活を送っている人はどれくらいいるのだろうか。

今の日本の問題点は
・人口減少
・経済力低下
・時代錯誤な教育システム
であり、これは全て「人災」といえる。
日本の国土的問題や気候的問題や、日本人という人種による問題は関係無いので、「しかたがない」といった言葉は不適切。

良くある「今後の日本について」と題する討論の場では、保守派と改革派の意見が飛び交い、最初からお互いの論点がズレているので平行線をたどって結論が出せず、見ている側は昔で言う「テレビの中の話」と感じているのが現状なのかもしれない。
ここでいう「保守派」が、現状のまま進んだ未来に起こる問題点を解決しようと語り、「改革派」は、現時点でできる事を実行しながら生じる問題を解決していこうと語る人達である。
どちらが正しいのかはその政策の中で暮らす国民が決定すれば良いとは思うものの、その国民自体に意志決定の勇気が無いのも問題。
個人的にはこれからの時代はどちらの利点も活用して、本当の意味で選択が可能な環境を創り上げる(個人が進む道は1つではない)事が、個人の意志決定責任も生まれて良い方向に進むと考えている。
何事も、制度が良くても実行者の意志が入っていなければ環境は良くならない。

段階を踏んだ解決策
『個人的見解』

人口減少
国の将来といった議題の中で多くの場合、最終的問題となるのが人口の問題。
現制度では人口が減ってしまうと成り立たない社会保障制度が存在し、個人の負担が大きくなることで生活苦による出生率の低下、負担が少ない国への海外流出も増え、さらに人口減少が進むといった問題。

この問題においても最初から「人口は減るので・・・」といった言葉から始まるのが、いつもなぜそこからのはじまりなのか疑問で仕方ない。
人口が減ることが大前提で、減った未来の問題を解決しようとする。
人間の寿命が300年くらいあって、既に段階を経て人口が減少傾向にあるのであれば、人口の増加を考えた場合はこの先100年以上かかるのかもしれない。
しかし、現状の寿命は80年程で、20年間出生数が増加すればあっという間に逆転現象が起こっていく。
まずはこの問題から取り組んでいこうという、根本的問題の抽出と未来を考えた中長期的考察が必要。

人口が増えるには、収入、結婚、出産、生活環境、といった部分に注力して、国全体で支えることや保障すること、将来的にも成り立つ制度を導入していくこと、これができるかどうかが重要。
短期的な支援金であったり、特措法等というのはなしに、人が一生を送る中で、どういった生活スタイルを「個人が選択」できるかを念頭に置いた政策や環境を整えていくかが重要。
個人の選択には責任が生じるので、選択する個人はその自由選択と責任を負うことになり、統一的な思考は減少し多様的な行動が生まれる。

現状の若者は「お金が全て」的な発想は弱く、自分のライフスタイルが維持できるのであれば苦労も承知している人も多い。
もちろん、バリバリ稼いで自由にお金を使えるように努力する人もいるし、家族との時間を大切にした人生を送りたい人もいる。
ここで共通しているのが「みんな同じが良い」といった古風な考え方が減ってきていること。
つまり、国が取る政策も、全員を同じステージに乗せる必要性が低くなってきているということ。
これを有効的に考えれば、選択に応じた社会保障を考えればいいということ。
困っている人を全員助けることに違いは無いが、その助ける度合いが個人の選択によって変わる、その為個人は責任を持って自分の選択したライフスタイルを送ってもらうというもの。

一つの考え方
全ての段階で個人が選択でき、その選択は自身で責任を負い、認められる状態であればいつでも変更することができる自由と義務の共存。
◆20年間の義務教育と飛び級制度
義務教育の先には大企業のような年功序列と安定収入があり、飛び級できる人材は早い段階から社会貢献できる機会がある。
途中で選択を変えることもできるが、今でいう同期といったような年齢的統一感はなく、できるできないの優劣は存在する。

◆国家プロジェクト遂行企業と技術開発担当ベンチャー企業
国家プロジェクトを含むような大規模な事業を展開するNPO的企業が存在すれば、年功序列と生涯補償を提供できる可能性が上がる。
個人の能力に応じた仕事内容と給与が存在し、選択の責任の下に内容が変化すれば企業としての存続も可能。
常に新しいものを生み出す事を目指すベンチャー企業は、大企業への技術の提供が主体となり、その技術を導入する会社の成長は大企業に任せる事で常にクリエーターであり続ける事ができる。
もちろん、大企業からの案件もあるので、発想段階からのクリエイティブ能力が必須という事も無く、単発で終了するといった懸念も減る。

◆一次産業の保護
食物に関する事業は保護される制度を導入。
常に一次産業従事者以外の国民は、その一次産業従事者を保護する事で、安定した食物確保や非常時の安定を図る。

ここで一番重要なのが、安定度が高い状態ほど、いわゆる贅沢はでず、安定度が低い状態の人は、その能力に応じて責任を持ちながら、いわゆる贅沢も可能であるという点。
これが個人の選択と責任に繋がる。
・20年間の義務教育を受け、大企業に就職し、会社の指示のもとに仕事をこなしていけば、いわゆる終身雇用と老後の保障が与えられる。
贅沢はできないものの、安定した生活の中で家庭を持ち、自分の趣味を持ちながら人生を送ることができる。
・飛び級制度を活用して、空いた時間に海外留学、自身の経験や知識を最大限取得することで、常に新しい分野の追求を行いながら仕事を進める。
収入はその内容に応じた報酬を得ることで充実感を得たり、失敗による挫折感も時には味わいながら自由な人生を送る事ができる
・一次産業に携わる事で、保障は充実した状態で仕事ができる。
気候的問題、生物的問題、労働力的問題、といった部分では保障されるが、基本的には肉体労働者として健康を害さない程度の統一的仕事内容を行ってもらう。
伝統的な技術や文化が関わる職業もこの分野に含まれ、日本の伝統を維持するという重要性も含まれる。
安定性と贅沢は中程度となる事が多い。

もし、このような状態が生まれれば、家庭を持つことや、子供を持つことを主体とする人生設計を行う事も可能となり、そこに対する保障も加われば、人口が減っていくという減少はなくならないだろうか。

経済力低下と教育システム
人口問題を解決していく中で、昔から続いてきているような教育制度や就職問題を同時に解消することが一つのキーポイントであり、それには抜本的な改革が必要である事も事実。
上記した中でも教育や企業の在り方とライフスタイルを整えることで、教育の在り方であったり、経済力の向上は可能。
単純な義務教育で済ませるのではなく、基礎学力勝負の就職活動を斡旋するのではなく、選択と義務を理解させた状態で必要な教育や必要な就職を提供できる状態が重要。
但し、国が取るような保障とは違い、教育であったり仕事は本人の意志と能力が関係してくるので問題の根は深い。
どこまで介入するのか、どこから責任を負わせるのかといった境界が定まらないが、日本に生まれて良かった、自分の思うことができて、充実した人生が送れたと感じられる環境を整備することが一番なのかもしれない。

まずはこういったように、現状の社会状況や社会保障といった考え方の枠組みの中で根本的問題を抜本的方法で解決することが必要。
その先にはまた違った未来が待っていて、社会制度自体の変更や世界的環境変化による国家概念の再構築などという事も考える必要があるのかもしれない。
しかし、そんな事を考えて問題解決するのではなく、現時点で最適もしくは有力な方法で問題を解決することが一番有効ではないか。


一個人の意見なので、正しいかどうかは分からない。
しかし、こういった意見を自分のような地位も権力も無い国民が考えるということがとても重要であるように思えて仕方が無い。
なぜ考えないのか、なぜ良いと思ったことを有言実行できないのか、自分ではなく、みんなの幸せを真剣に考える事ができないのか、こちらの問題の方が根本的かつ、原点である生物的問題なのかもしれない。

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