見出し画像

cleave

#1 告白

10/1 (木)

 青いラインの入ったヘッドホンを付けて帰宅のバスを待っている女子高生、一色(いしき) 葵(あおい)に一人の男子高校生が声をかけた。

 「~~~~・・・。」

 葵は気づかずに一人の世界に没入している。

 ブレザーの下に青のカーディガンを着て、スカートの丈は少し短く、胸元には紺色のリボン。学校指定のバッグには、アニメのキャラクターのキーホルダーをいくつもつけている。墨を頭のてっぺんからひっくり返したような漆黒の髪は艶やかで、毛先にかけて外側にはねている。
 
 「一色さん」
 ヘッドホンを取って振り向くと同じクラスの今井(いまい) 凛久(りく)が立っていた。

 背は高めで体は少し細い。整ってはいるが薄く特徴がない顔。制服はボタンを第二ボタンまで外して、ブレザーの下にパーカーを着ていた。
 ブレザーの下にパーカーて。寒い季節にたまに男子がよくやっているスタイルだが、正直これはダサいと葵は思っていた。

 「今井君?なに」
 今井凛久は休み時間によく会話する程度の仲だった。

 「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな」
 ふと周りを見回すとさっきまでいた三人組女子高生の姿がない。まさか、いま目の前で出発しようとしているあのバスはあたしが乗るはずだったバスじゃないだろうか。
 停留所にさっきまでいた人たちはみんなバスに乗り込んでしまったらしく、バス停には葵とこの男しかいなかった。

 「一色さんのこと気になってて・・・その・・・一色さんが良ければだけど、つっ・・付き合ってくれない・・・?」

 ・・・・・・・まじか。

 男子に告白されたら・・・、と葵も一度は考えたことはあるが、いざその立場に立ってみると、嬉しいとか嫌とかいう以前に・・・なんだろこの感じは。

 困惑

 そう、この言葉は一番しっくりくる。

 今井とは、授業の合間によく話す仲ではあるが、彼がどんな人なのか、葵は全然知らない。
 お互い黙ったまま気まずい時間が10秒ほど続く。

 なにか言わなくては

 だが、なんというべきか、
 迷う。

 「あのさ・・・」
 さらに20秒ほどたってからようやく葵が口を開いた。ゆっくりと息をしながら純粋な疑問を告げる。

 「あたしのどこがいいの?」

 なんだその質問は。もっとマシな聞き方があるだろ。
 と自分でツッコミを入れてしまう。

 これでは自分のいいところを言わせて、相手を試すようではないか。
 葵もまんざらではなく、相手の出方によっては告白をOKしてやらんでもないという風な言葉にすら聞こえる。

 「えっ・・っと・・」
 ほら、相手が言葉に詰まっているじゃないか。「ごめんっ・・・・・・あのっ」とっさにさっきの質問を訂正しようとすると、

 「なんか自分を持っているっていうか・・」

 「は?」
 今井から思わぬ返答が返ってきた。

 「周りに流されないところとか・・・・・・、かっこいいなって。そのっ・・素敵だと思ったから。一色さんのそばにいて、一色さんのこといろいろ知りたいと思ったんだ」
 
 「・・・・・・・・」

 嬉しいような、恥ずかしいような。
 いままで味わったことのない感覚が葵の胸にこみあげてきた。

 顔が熱い。
 もう夏は終わってるはずのに。
 自分がいまどんな表情をしているのか絶対に見られたくなくて、思わず下を向いた。

 さっきの言葉が頭をよぎる。
 周りに流されないところが素敵ってなんだよ。

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
 思考が追い付かなくなってきてる。

 葵が黙っていると、答えに悩んでいると思い込んだのか
 「まあ・・・考えておいてよ!んーーー・・・来週、いや、今度の日曜日!どこかでかけようよ。その時にまた聞かせて。」
 と今井が言った。

 え、
 これはまずい。非常にまずい。

 完全に断るチャンスを牽制されてしまった。
 「じゃあ、日曜日の10時にどっか出かけよう!詳しいことはまた連絡するから。じゃあね!」
 「あっ・・・うん。また」

 今井は一方的に約束を取り決め、手を振って学校の方へ戻っていった。残された葵はひたすら困惑するばかりでもはや手を振り返すことしかできなかった。強引な奴だと思う。
 
 男子から告白された。
 初めての体験だった。

 中学生の時、誰と誰が付き合ってるとか、別れたとか、そんな話をただ横目に見ているだけだった葵が、告白される立場になるとは思いもよらなかった。
 初めての体験に恥ずかしいような嫌なような・・

 20分ほど待って次のバスに乗り込んで帰る間、脳みそがふわふわとしていた。
 さっきまでの体験が信じられない。あれは現実だったのだろうか。

 なんだか自分が自分ではないような、不思議な感覚を覚えながら家に帰った。

***

10/2 (金)
 
 葵のいつも通りの日常は一変していた。
 駅へ向かう道中、バスの中、ずっとふわふわとした感覚に襲われていた。

 昨日の出来事が頭から離れない。

 「アオ?」
 クラスの友達、鈴木(すずき) 茉莉(まり)が話しかけてきた。

 「んー?」
 「どしたん?なんかぼーっとしてない?」
 「そーお?」
 「なんかあったん?」
 「う―――ん」

 葵は昨日の出来事を茉莉に話した。男子に告白され、今週末に二人で出かけることになったこと。その出来事が衝撃的過ぎて昨日からふわふわとした感覚に襲われ、授業に集中できないこと。
 
 「え!!告白って・・ま、、じ?」
 茉莉は葵より高いテンションで言った。
 「まじまじ」
 「えー-やばやば・・」

 興奮している茉莉とは裏腹に、葵は告白された衝撃と週末のデートのことで頭がいっぱいだった。

 「どうしたらいいかわかんないんだよね・・・男子ともまともに話したことないのに、二人きりで出かけるなんて・・・」

 「あ―――、確かに・・」
 「服とかなに着てったらいいんかな」
 「いつもアオが着てるやつでいいじゃん」
 「あんなの着てったら引かれるでしょ」
 「そうかなあ」
 「そうですよ」

 とにかくいろいろと準備しなくては。男子ってどんな服が好みなんだろう。髪とか巻いたりしたほうがいいのかな。アイロン、お姉ちゃんから借りるか。

 「男子ってどんな服が好みなのかな」
 「あ―――、確かに。どんなだろ」
 「ちょっと調べてみよ」

 スマホで「女性 服装 男子ウケ」と調べてみる。とにかく勉強だ。

 「あ、そだ。アオ」
 「なに?」
 「昨日新作更新してたね」
 「そう!見てくれた?」
 「見ました。サイコーでした」
 「ふふふ・・ありがとう」

 「相変わらず服のしわ描くのうまいよなー肌の質感もめっちゃ描くの綺麗だし」
 「ありがと、めっちゃ褒めてくれるやん」

 葵は趣味で自分の描いたイラストをSNSに投稿していた。
 といっても全然有名とかではなく、友達数人と、ネットで知り合った同じ絵描きさんと絵を見せ合って「素敵です!」と全肯定しあってる程度である。

 茉莉はそんな葵の数少ないフォロワーの一人で、葵の新作イラストが更新されるといつもその話をしてくれた。
 茉莉は自分で絵は描かないが、見るのが好きらしく、いろんな絵描きさんをフォローしている。茉莉も葵も漫画やアニメが大好きで、最近話題のアニメの話や、お互いが大好きな作品の話をよくしていた。

 「いま、また新しい絵描いてるよ」
 「えー-、どんなやつ?みせてみせて」
 「いいよ」

 葵は写真のアプリを開こうとスマホを開くとさっき調べようとして途中になっていた「女性 服装 男子ウケ」という検索画面が出てきた。

 男子のために服装を変えるなんて。デートって、相手の好みに合わせて、上っ面の自分を演じなくちゃいけないのかな。
 あたしがアニメオタクであることも隠しておいた方がいいだろうか。バッグに括り付けたアニメキャラのキーホルダーを見つめる。

 デートするの大変だな・・・

 「アオ」
 「え?」
 「まーたぼーっとしてるよ」
 「ごめん、今、絵みせるね」

 なんだかうわのそらの親友を、茉莉は心配そうに見ていた。

***

10/2 (金)夜

 今井凛久はパソコンにかじりつきながら「う―――ん」と唸っていた。日曜日のデートに向けてデートプランを練っていたのだ。
 先日、クラスの女子、一色葵に人生初の告白をした。

 今年の4月に高校二年生になり、クラス替えがあった。
 そのとき、葵と初めて出会った。

 二回目の席替えで、彼女の斜め後ろの席になった。
 最初は特になにも意識することはなかったが、斜め前に座った彼女の姿は、自然と今井の視界に入っていた。
 ある時、葵が授業中にノートになにか書いているのを見た。なんだろうと気になってよく見てみると、絵だった。
 とても綺麗な絵だと思ったので、授業が終わったあと話かけた。

 それが葵と初めての会話だった。

 最初はぎごちない会話だったが、絵のことについて今井が質問すると、とても嬉しそうにこの描き方はどうだの、ここの線をこだわっているだのと話してくれた。
 今井は絵のことなどまったくわからなかったが、楽しそうに話す彼女の笑顔はとても可愛らしいと思った。その笑顔が見たくて、今井はその後も、授業の合間に話しかけに言った。

 彼女の描く絵はたいてい女子高生の絵で、アニメ系の可愛いイラストではなく、三次元の人間に近い絵柄で、体の動き、肌や服の質感を繊細に表現していた。
 彼女曰く、自分の中に表現したいものがあり、それを絵で形にしていくのがとても楽しいのだという。

 今井は自分の考えをあまりもたず、他人に合わせてばかりなところがあった。そんな自分に嫌気がさすこともよくあった。
 葵の絵はどこまでの自分らしさを貫いていくような勇敢さを感じた。自分が持っていないない葵のそんな一面に今井は惚れたのかもしれない。

 気づけば彼女を好きになっていた。

 デートプランはいろいろと調べていく中である程度固まってきた。今井の検索履歴は先日から「初デート スポット」だの「女の子 デート」「高校生 デート」といったキーワードで埋め尽くされていた。

 ○○駅に10時に待ち合わせ。駅近くのショッピングモールで映画を見て、そのあとは女子が好きそうなおしゃれなカフェにいくことにする。
 プランがある程度決まり、ほっと一息つこうかと思っていたところで

 電話が鳴った。
 葵からだった。

 昨日学校であった際に電話番号を交換していたのだ。
 好きな人からの突然の電話で少し動揺する。心臓を落ち着かせ、平然を装いながら電話に出る。

 「もしもし」
 「あ、今井君?こんばんは」
 「あ、こんばんは」
 電話で聞く葵の声は少し低く、大人っぽく聞こえた。

 「どうしたの?」
 「急にごめんね。いま時間ダイジョブ?」
 「大丈夫だよ!」
 「日曜日のことだけどさ」
 「あっ、そう!いま集合時間とか連絡しようと思ってて・・・」
 「あっ、いやそのことでさ。日曜日の約束だったと思うんだけど、土曜日にしてもらってもいいかな」

 「いいけど、どうしたの?」
 「あっ・・えー-っと・・その、日曜日に用事ができちゃって」
 「いいよ」
 「ありがと」
 「どこに何時集合にする?」
 「○○駅に10時でどうかな?」
 「わかった。じゃあ、土曜日にね」
 「うん」

 なんだか、このまま電話が終わるのが少し寂しい気がした。もう少し話したくて電話を切らずにいた。だが、なにを話していいのかわからない。
 「今井君?」
 「あっ、えっと・・・」

 くそ、なんか話題、話題話題話題話題

 「土曜日、」
 わだ・・え?
 まさか葵の方から喋ってくれた。

 「楽しみしてるね」
 「あっ・・うん俺も・・」
 「じゃあね」

 すでに電話が切れているスマホの画面を今井はしばらく見つめていた。
 楽しみにしてる、か・・・・

 土曜日のデート、絶対彼女を楽しませなくては。
 その日の夜は興奮でなかなか寝付けなかった。

***

10/3 (土)

 今井凛久は約束の30分前に待ち合わせ場所である○○駅で、そわそわしながら待っていた。
 電話で待ち合わせの時間を伝えてしまったのが少し心配だったので、念のため前日にLINEで「10時に○○駅集合で!よろしくね!楽しみにしてる!!」と送っておいた。

 女の子と二人きりで出かけるのは生まれて初めてだった。昨日の夜までしっかりデートプランを練って、服も妹に頼んで新調してもらった。
 白のTシャツの上に黒のジャケット。茶色のズボンに黒のスニーカーという服装だった。
 ファッションにはとことん疎い今井には、これがデートにふさわしい恰好なのか、不安で仕方なかった。

 妹曰く、
 「結局無難なのが一番だから」
 ということでこの服装になったが。

 まだ待ち合わせ時間まで相当時間がある。スマホでもう一度今日のデートプランを復習しながら、そわそわ待っていると

 「おは。早いね今井君」

 後ろから声をかけられた。
 「え、一色さん?」
 まだ待ち合わせの30分前だというのに、葵はもう来てしまった。

 ピンク色のセーター、その胸元には金色のネックレス。灰色のスカートからは黒のタイツを履いた葵の細長い足が伸びていた。少し赤みがかかった透明感のある髪は毛先に向かってふわりとゆるかなカーブを描いている。
 
 学校とはかなり異なる彼女の雰囲気に、今井はすこし驚いた。初めて見た私服と、メイクをしていることもあるだろうが、学校で会っている葵とはまるで別人のようだった。
 
 「今日はどこいくの?」
 葵にそういわれ、はっと気が付いた。

 「あ、今日はね」
 しまった。つい見惚れていた。今井は練りに練った今日のデートプランについて説明した。近くのショッピングモールにある映画館へ行って映画をみて、その後おしゃれなカフェへ行くというプランだった。
 
 「映画ってどんな映画?」
 「あっ、それはね『君が落とした星空』っていう、いま旬の俳優さんが出てて、人気なんだって!」
 今井は、映画の公式サイトをスマホで見せながら言った。

 今旬の映画を調べて、女の子でも好きそうなタイトルということで選んでみた。
 葵は今井に体を寄せながらスマホを覗き込んで「ふーーーん」とつぶやいた。彼女の白い顔が近くに寄せられる。まぶたに引いたピンクのアイシャドウが彼女の鋭く大きな目をより際立たせていた。葵のつややかな髪からふわりと爽やかなリンゴの香りがした。
 
 「いいね、いこ」
 葵は顔を上げ、嬉しそうににこりと笑った。
 

***

 映画のチケットはすでに二人分買ってあった。もし混んでいて席が空いてないことにならないようにするためだ。
 葵が別の映画を希望する可能性も考えたが、席がなく、映画が観れなくなることの方がリスクの方が大きいと判断した。
 休日ということもあり、映画にはたくさんの人がいた。

 「俺、ポップコーン食べようかな。一色さんは?なんか食べる?」
 「ん――――・・私はいいや。今井君食べたかったら買ってきなよ」

 葵が食べないのに自分だけ食べるわけにはいかないので、「じゃあ、俺もいいや」と言った。

 「なんで?食べたかったんじゃないの?」
 「でも一色さんが食べないのに俺だけ食べるわけにはいかないでしょ」
 「・・・別に気使わなくていいのに」

 葵は少し不服そうに言った。
 映画館はすでに会場していたので、二人で並んでスクリーンに入っていった。

***

 映画の内容はまあ、中の上というか。ベタな恋愛映画という感じだった。ただ主人公の悩み葛藤は共感できる部分が多く、それなりに感動した。

 「映画どうだった?」
 葵の方は楽しんでもらえただろうか。

 「うん、すごく面白かった!今井君は?」
 「全体的なストーリーがよかったかな。最後の展開は結構泣けるし。」
 「あー-、確かにストーリーよかったね」
「一色さんは?どこがいいと思った?」

 「・・・・え?」
 「さっきの映画、どこがいいと思った?」
 「あーーー、私普段恋愛映画とかあんまり見ないからわかんない・・・」
 「えっ、そうだったの?普段はなに観てるの?」

 「普段は・・・んーーー洋画とか?」
 えへへと苦笑いを浮かべながら葵は言った。
 恋愛映画はあまり好みじゃなかったのか。言ってくれれば好きな映画のジャンルにしたのに

 「このあとどうする?」
 葵が聞いてきた。

 「あっ、えー-っと、カフェで少しお茶しない?」
 「いいよ。なんてお店?」
 「あっ、ここなんだけど・・」

 再びスマホの画面で店を紹介する。
 「いいね、いこう」

***

 ショッピングモールの中にあるカフェ。休日ということもあって混んでるかと思ったが、数分程度待って入ることができた。
 葵はパスタ、今井はサンドイッチとコーヒーを頼み、二人で向い合わせに座る。

 「今井君は休みの日はなにしてるの?」
 「俺は、音楽鑑賞が好きで音楽よく聴いてる。」
 「へーー、私、普段音楽あんまり聴かないんだけど、どんなのがおすすめ?」
 「えーーっとね・・・・」
 今井は自分のスマホで音楽アプリを開き、おすすめのプレイリストを葵とイヤホンを片耳づつつけて再生した。

 それにしても今日の葵はどこか普段と違うように思えた。
 雰囲気だけじゃない
 
 いつもの葵なら最近描いた絵の話や好きなイラストレーターさんの話をマシンガンのように話すのに
 今日はあまり自分のことを話さないように思えた。

 どこか他人行儀というか。
 初めてのデートで緊張しているだけだろうか。

***

 何気ない会話を続けて、時刻は15時くらい。今日はこれで解散にする。

 駅に着き、改札に向おうとしている葵に
 「今日はありがとう」
 と言った。

 「いえ、こちらこそ」
 葵はぺこんと頭を下げ、にこりと笑った。これで解散はすこし早い気もするが、また学校で会えるだろう。
 「じゃあ、またね!」

 手を振って改札を通る葵を、今井は見えなくなるまで手を振っていた。あとで告白の返事を聞くのを忘れていたが、また学校であった時でいいかと思った。

***

10/4 (日)

 今井は10時過ぎになってもベッドでゴロゴロとしていた。もともと今日がデートの日だったため、暇である。昨日のデートはなんとなく違和感を感じていた。葵は本当に楽しんでくれていたのだろうか?
 次のデートは葵の好きな場所がいいかな・・・

 そんなことをあれこれ考えながら、暇だし部屋の掃除でもするかとベッドから立ち上がった時、急に電話が鳴った。

 葵からだった。

 「もしもし?」
 「なにやってんの?」
 第一声に声を荒げられて驚いた。なんだかすごい怒ってる。なんだ。

 「え?」
 「待ってるんだけど」
 「なにが?」
 「は?今井君が誘ったんじゃん」
 「ん?」
 「日曜日に二人で出かけようって、今井君が言ったんじゃん。10時に○○駅集合でしょ?待ってるんだけど」

 葵はなにを言ってる。
 「いやいや、昨日でしょ?それ」
 「なに言ってんの」
 「だから昨日デートしたよね、俺たち。」
 「は?まじでなに言ってんの。」

 なに言ってるはどっちだよと思った。しかし葵の口調は冗談をいってるようにも今井をからかっているようも思えなかった。

 「そりゃ、待ち合わせ時間より10分くらい過ぎてたかもしれないけどさ、あたしだって服選んだりとか色々準備してたし・・・」

 ぶつぶつと言っているのを遮るようにして、
 「確認なんだけど、土曜日の10時に○○駅前集合だったよね」

 「日曜日の10時でしょ?バス停で日曜日って言ってたじゃん」
 「いや、最初はそうだったけど一色さんが電話で日曜日に用事ができたから土曜日にしようって・・・・」

 ちょっとまて、
 日付を日曜日から土曜日に変更する会話をしたのは電話。
 土曜日のデート。その前日に送ったLINEは「10時に○○駅集合で!よろしくね!楽しみにしてる!!」という内容で、「土曜日に」という単語は含めていない。

 そんなまさか、

 だって疑うはずもないじゃないか。

 デートの日程を変更した電話。あの電話の主が一色さんじゃない"別人"であることなんて________

 「ちょっと、今井君?」

 じゃあ、俺が土曜日デートしたあの人は・・・・・・・・
 一体、誰なんだ?

 「聞いてんの?」

 今井は自分の疑問が恐ろしくなった。
 自分を呼び掛けている葵の声がすー-っと遠くなるのを感じた。


#2 懐疑

10/5 (月)

 今井は学校で、昨日の出来事について考えていた。授業の内容などとても頭に入ってくるような心情ではなかった。

 昨日ことは何度思い返しても実に不可解な出来事だった。
 今井はクラスメイトの一色葵と出かける約束をした。

 デート前日、葵を名乗る人物から電話があり、約束を日曜から土曜にしてほしいといわれた。
 10/3 (土)、いつもと雰囲気の異なる彼女に戸惑いながらもデートは無事終わった。しかし10/4 (日)、最初にデートの約束した日に葵から電話があり、約束を変更したことも、土曜日に今井とデートしたことも記憶にないという。
 

 これはいったいどういうことだ。

 デート当日に現れたのは別の女性で、俺はその人と葵を間違えてしまったのか。いや、雰囲気は違っていたが、身長も体格も顔立ちも葵とかなり似ていた。声もいつも通りだった。
 
 まるで葵が二人いたようだった。
 二人に分裂してしまったような・・・・

 いや、そんなわけない。人間が二人に分裂するのはお話の世界だけだ。現実でそんなことありえない。

 では、葵が嘘をついてる?
 土曜日には会っていないと?

 なんのために?

 仮に土曜に会ったのが葵ではない、別の人物だとしたら、彼女はいったい何者なのか。わざわざ日程を変更する電話までして、何が目的なのか。

 考えるほど謎が深まっていく。もがけばもがくほど底に引きずり込まれるような不快感。

 だめだ。これ以上自分だけで考えててもしょうがない。
 やはり、彼に相談するしかない。

***

10/5 (月)放課後

 今井は、学校の図書館に訪れていた。
 「波多野、いるか」
 波多野(はたの) 優紀(ゆうき)は図書室の貸し出しカウンターからのそっと顔を上げ、顔にかかった長い前髪をたくし上げて今井をみた。

 「・・・なんの用だ」

 カウンターの椅子で半分寝ていたのか、波多野は眠そうな声で答えた。

 しわくちゃのワイシャツに、首元まで伸びた髪は、ぼさぼさで、高校生のくせに顔には無精ひげを生やしていた。
 波多野は図書委員兼、図書室の主のような存在で、放課後はほとんどこの図書室を陣取っている。2年生にしてこの図書室の本をすべて網羅し、いま2周目だそうだ。

 「今日は相談があってきた」
 「まあ、座れよ。どうせだれも来ないさ」

 今井は土曜、日曜に自分の身に起きたことを話した。波多野は時々考えこんだような表情をしながら話を聞いていた。
 話し終わると、波多野はまたしばし黙ったまま考え込んでいたが、ふと口を開いた。

 「見間違えるほどそっくりな人に騙されてた・・・・ドッペルゲンガー現象の類か。・・・お前がデートしたというその女性はどんな人だったんだ?」

 よかった。こいつなら笑わずに聞いてくれる。そう思ったからここに来たのだ。

 「服装はピンク色のセーターに灰色のスカート。髪は少し赤みがかかった茶色。雰囲気は少し違っていたけど、顔も背丈も一色さんそっくりだったよ」

 「なるほどな。次に、一色さんは兄弟はいるか?」
 「お姉さんがいるぞ。この学校の生徒会長の一色(いしき) 翠(みどり)さんだ」
 「なに、一色ってどっかで聞いたことあると思ったら、あの生徒会長の妹かよ」
 「そうだよ」

 三年の一色翠。この学校の生徒会長をしている。勉強も学年上位で、特に英語の成績は学年トップの座を入学時からキープしている。スポーツも万能でテニス部の主将をしている。
 後輩からはもちろん先生からの支持も厚く、尊敬されている。
 この学校ではまず知らないものはいない、超有名人である。

 「土曜日の女性が、一色翠会長ということはないか」
 たしかに、一色姉妹の顔は良く似ている。背丈もおんなじくらいだった気がする。

 「可能性としてはなくはないけど・・」
 「他に、一色さんの親戚で、彼女と顔がそっくりという人はいないか」
 「いや、親戚のことまでは・・・」

 「今度会ったときにでも聞いておいてくれ」
 「わかった」

 やはり、波多野に相談してよかった。さほど驚いた様子もなく、冷静に現状を分析している。

 波多野とは、高校一年生のころに同じクラスになってからの付き合いだ。席が近いときに少し話して、家が近所だということがわかってからつるむことが多くなった。
 いつも本ばかり読んで、特にSFや推理小説が大好きな奴だった。今回の話を馬鹿にせずに受け入れてくれたのも、彼がこういうジャンルの話に興味があったからかもしれない。
 
 「だが、仮に兄弟や親戚が土曜日に会った女性だったとしても、一つ疑問があるな」
 「なんだよ疑問って」

 「なぜその女性は、お前と一色さんが土曜日の10時に○○駅に集合することを知っていたかだよ」

 確かに、なぜ知っている。今井は葵とデートすることを誰にも言っていない。
 「まあ、お前が言ってなくても一色さんが言ってる可能性もあるがな。一色さんと仲がいい人で日曜日にお前とデートすることを知っている人物がいたかどうかも探った方がよさそうだな。」
 「わかった」

 「それにしても、一色さんと間違えるほど似ている、赤髪の女性か・・・」
 波多野はなにやら考えこみながら、急にニヤニヤとしだした。

 「ピンク系の服も着ていたとのことだし、その人は以後『アカコ』と呼称しよう。」
 「アカコ?」

 「一色"葵"さんだからな。反転してアカコ」
 「どうでもいいよ」

 こいつ
相談に乗ってくれたことはありがたいが、面白半分で乗っかってきてるんじゃないだろうな。

 今井は心配していることを口にした。
 「なんとなくだが、アカコと一色さんを絶対に会わせない方がいい気がするんだ」

 「なるほどな。ドッペルゲンガー現象も会ったら死ぬっていうし。その事態は気を付けるようにしよう」
 波多野はそう肯定してくれた上で続けた。

 「アカコが誰なのか、それを突き止めるには次の3つの条件が必要だ 

 条件1:一色葵さんと間違るほど顔、身長、声が似ていること。
 条件2:今井と土曜日にデートすることを知っていること。
 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。

 この3つの条件を満たせる人となると、かなり限られてくる。さっそく明日から調査を始めてみよう。お前は、一色さんに自分と似てる親戚がいないか、デートのことを誰かに話したかを聞いてみてくれ。俺は生徒会長を当たってみる。」
 「わかった」

***

10/6 (火)昼休み

 「いいかげん機嫌直してよ」
 今井はまだそっぽを向いて頬を膨らませている葵に言った。
 日曜日は葵から怒りの電話があったあと、次の日曜日にデートをやり直させてほしいと言っていた。

 「今週の日曜日は必ず行くから!ほんっとごめんね」
 葵には、今井がデートの日を勘違いしていたということにしてある。
 仮に土曜日に会った女性、アカコが葵ではない別人だった場合、葵を他の人と間違えるなんて彼女に知られたくなかった。

 今井は手を合わせてお願いした。葵は眼だけをちらりと今井のほうに寄せ、

 「次すっぽかしたらコロス」
 と言った。

 それにしても10/4 (日)の怒りの電話といい、今日のこの感じといい、葵は本当に怒っているようだった。
 葵が「土曜日は今井に会ってない」と嘘をついているのではという疑惑もあったが、本当になにも知らないのだろう。

 葵はおそらくシロだ。
 バス停であんな強引に誘ったにも関わらずデートに来てくれたことは嬉しかった。
 だからこそ申し訳ないことをしたと思った。

 「一色さんて、親戚に顔が似てる人とかいる?」
 今井は波多野から聞いておいてほしいといわれていた質問をした。

 「親戚?顔が似てる人はいないかな・・・いとこはみんな男だし」
 「そっかありがとう。それと、俺と出かけることって誰かに話したりしてる?」

 「なんでそんなこと聞くの?」
 「あっ・・えーー--っと一色さんって誰と仲がいいのかなって思って」
 「ああ」
 葵は納得したように答えた。

 「仲いいのはマリかな」
 「マリ?」
 「鈴木茉莉。今教室の後ろの方で喋ってるあの子」
 「おっけー、ありがとう」

***

 「鈴木さん、ちょっといいかな」
 今井は女子グループで固まって話している中に入り込み、輪の中の鈴木茉莉に話しかけた。女子グループの中に割って入るのは少し勇気が必要だったが、そんな悠長なことも言ってられなかった。
 「え、私?」
 茉莉は自分を指さして言った。

 学校指定ではない茶色のカーディガンを羽織り、ピンクのシュシュで束ねた少し赤みのある髪は毛先に向かって緩いカールを描いていた。長い爪にはピンク色のジェルネイル (多分校則違反) 短いスカートの丈から、健康的な太ももが伸びていた。
 
 今井が茉莉に話かけるのは初めてだった。女子グループは空気を察したように自然とばらけていった。

 葵によれば、茉莉は今井と葵が土曜日にデートに行くことを知っていた。
 つまり茉莉は土曜日に葵のふりをして今井の前に現れることが可能な人物ということになる。

 「アオにこくったんでしょ?」
 茉莉のほうから話を切り出した。
 「知ってたんだ」
 「うん」

 茉莉は目をキラキラさせながら今井に聞いてきた。
 「で?どうだった??」
 「なにが」
 「デート、いったんでしょ?どうだった???」

 「それが約束の日を俺が勘違いしててね。今週埋め合わせすることになったんだよ」
 「なーんだ。」
 茉莉はせっかく面白い話が聞けるを思ったのに・・とても言いたげな顔で口を尖らせた。しかし今井にはデートの話よりも茉莉から聞きたいことがあった。

 「ちなみに土曜日ってなにしてた?」
 「私?家にいたけど。なんでそんなこと聞くの?」
 「家でなにしてたの?」
 「テレビ見たりゴロゴロしたり。私インドア派だから」

 「家には鈴木さん以外誰かいた?」
 「私一人だけだよ。両親は出かけてたし。私一人っ子だから」
 「そっか、ありがとう」

 茉莉にアリバイはない。これで波多野が言っていた、
 条件2:土曜日にデートすることを知っていること。
 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。

 この二つの条件は満たされた。あとは茉莉が葵に近い容姿をしているかだ。今井は怪しまれない程度に茉莉の容姿を確認する。

 体形はまあ・・・同じくらいか。一色さんのほうが少し細いかも。身長も大体同じくらい。顔立ちは・・・あまり似てない。でも女子はメイクで化けるとか聞くし、一色さんの顔に寄せることもできるのか・・?髪色はアカコと似てる。鈴木さんがアカコなのか?俺は鈴木さんを一色さんと間違えるだろうか?

 茉莉が急に今井から目線をそらした。その目には教室の隅で、一人でもくもくと絵を描いている親友の姿が映っていることが今井にはわかった。

 「アオはさ」
 茉莉は今井の耳に顔を近づけ、こっそりと語り掛けるように言った。

 「きっとね、いろいろ考えすぎちゃう子だから。なんでも自分のせいにしちゃう。自分が頑張って人のために尽くしちゃうんだよ」
 「どういうこと?」

 「でもね。そんなことしたら自分の身が持たないでしょ?だから、アオのこと今井君が理解して守ってあげて」

 今井は、茉莉の言っていることはさっぱりわからなかった。
 この時はまだ______

***

10/6 (火)放課後

 波多野は一色翠のいる生徒会室を訪れていた。
 生徒会室の戸をトントンと叩くと、

 「どうぞ」
 すこし低く、はきはきとした声が中から聞こえた。
 中に入ると、

 首元まで切り揃えた綺麗な黒髪。日焼けした肌に誠実そうな顔立ち。生徒会室の一色翠が黒光したソファに座ってなにやら書類を描いていた。

 「失礼します」

 普段は礼儀もへったくれもない波多野だったが、この時ばかりは自分のしわしわのワイシャツを恥ずかしいと思った。

 「こんにちは、あなたは2年4組の波多野優紀くんね」
 「え、俺・・・いや僕のこと知ってるんですか?」

 「まあ、生徒会長だからね。全校生徒の顔と名前くらい覚えてるわよ」

 すごい。波多野は自分のクラスメイトすら全員覚えてないというのに。

 「なにか用があるの?」
 「ああ、はい」
 翠の存在感に圧倒されて本来の目的を忘れるところだった。まさにカリスマ性の塊。後輩からも尊敬されるわけだ。

 「妹さんのことで色々聞きたいと思いまして」
 翠の表情が一瞬少し曇った。波多野はその表情を見逃さなかった。

 「アオが・・妹がなにか?」
 「いえ、大したことではないんですが」
 「ちょっと待って。いまお茶でもいれるわ」

 翠はショーケースを開けてポットとカップと取り出しながら「紅茶でいい?」と聞いてきた。

 「あ、お構いなく」
 普段使わない言葉を使って答えた。

 波多野はその間に翠の容姿を確認する。顔をよく見ると、さすが姉妹というだけあって葵とよく似ている。

 背が高くすらりとした長くて細い脚。翠は姿勢がとてもいいせいか、身長が高く見える。体形もスポーツをしていることもあってか引き締まっている。
 多少違いはあれど、姿勢を葵に寄せたりオーバーサイズの服を着ればほとんど違いは判らない。翠と葵を見間違えることは充分考えられる。

 「どうぞ」
 翠が紅茶を入れてくれた。
 「ありがとうございます。」
 「なにか妹が、クラスメイトに迷惑をかけてるのかと思ったけど、そういうことではないのよね?」
 「いえいえ、そういうことではありません」
 「そう・・・・」

 ほっとしたように翠は紅茶を一口飲んだ。
 妹のことをかなり心配しているようだった。

 「妹さんが、先週の土曜日、クラスメイトとどこかに出かけたのは知っていますか?」
 「土曜日?」
 翠はすこし考え込みながら言った。

 「どこかに出かけるとは言ってた気がするけど、どこに行ったのか、誰と出かけるのかとかは知らいないわね」
 「そうですか」

 「では先週の土曜日、10時~15時ごろどこでなにをしていましたか?」
 翠はクスっと笑った。
 「なにか?」
 「いえ、なんだか推理小説みたいだなって」
 「いいから答えてください」

 「はいはい。土曜日は9時~16時まで部活があって、あっ私テニス部に所属しているのだけれど、その時間も練習してたわ。部活のメンバーに聞けば私が練習に参加していたという証明になるはずよ。」
 「そうですか。ありがとうございます。」
 容姿が葵と似ていると思ったが、今井とのデートの件も知らなそうだし、なにより土曜日10時~15時にアリバイがある。あとでテニス部にも確認してみるが、おそらく本当だろう。
 
 翠はシロか。

 「質問は以上かしら?」
 「ええ」
 「じゃあ、私からも質問していい?」
 「どうぞ」

 「葵になにかあったの?」

 翠は真剣な表情で聞いてきた。姉として妹が心配なのだろう。アカコの件を話すか。しかしこんな話、本当に信じてくれるだろうか。
 でも、翠は葵の姉。なにか情報が得られるかもしれない。翠の協力を得られるのはこちらとしても好都合だ。
 「実はですね・・・」

 波多野はアカコの件を話した。翠は耳を疑いながらも信じて聞いてくれた。

 「そんなことが・・・」
 「それを踏まえて少し聞きたいのですが、葵さんは小さいころどんな感じだったんですか?」

 「そうね・・・とても大人しい子だったわ。自分の意見がないみたいで、玩具もこれが欲しいとかあまり言わなかった。だから私たち姉妹はあんまり喧嘩もしなかったのよね。学校でも大人しかったみたいで休み時間は校庭でドッチボールするよりも図書室で本を読んでるようなタイプだった。」

 「なるほど」
 波多野は翠からの話をメモした。あとでなにか使えるかもしれない。 

 「そのニセ葵、『アカコ』さんが着ていた服装をもう一度教えてもらってもいいかしら」
 「はい、ピンク色のセータに金のネックレス、灰色のスカートだったみたいです」

 「ピンク色のセータに金のネックレス・・・・・」
 「なにか気づいたことでも?」
 「いえ、ほんと些細なことかもしれないのだけれど、その服装、葵が好きだった外国の童話に出てくる女の子の服装に似てるなと思ったの」
 「外国の童話?」

 「そう。ある貧しい家に赤い髪の女の子がいた。ある時お友達の誕生日会に呼ばれたの。でも女の子はボロボロの服しか持っていなかった。女の子は誕生日会に行って、周りの女の子と比較されるのが嫌だった。そんな彼女のもとに悪い魔女が現れとてもかわいい服を与えた。その服がピンク色のセーターに金色のネックレス、灰色のスカートという服だった。女の子はとても喜んで、無事に誕生日会に行くことができたの」
 
 「そんなお話しが」
 「ただこの話、すごく悲しい結末だった気がするの。私も小さいころに読んだ話だったから思い出せなくて・・・なんだったかしら」
 「その童話はなんというタイトルです?」
 「んー---っ・・・ごめんなさい。タイトルも思い出せないわ。」
 「わかりました、色々と教えていただきありがとうございます。ほかになにかわかったことがあったらこの電話番号に連絡してもらえませんか」
 「わかったわ」

***

 「翠先輩?確かに土曜日は9時から練習に参加してたけど」
 波多野は次に翠が所属しているテニス部に来ていた。ちょうど同じクラスの西田(にしだ) 果穂子(かほこ)がいたので彼女から話を聞いていた。

 「あの人まじめだからね。部長なのに8時くらいから来てグラウンドの整備してるよ。三年が早いとうちら二年がもっと早く来なきゃいけないから困るんだよ・・くそ」
 「翠先輩は何時ごろまで練習に参加してた?」
 「練習終わった後も一年の自主練とかに付き合ってたからね。帰ったの何時だろ。私が帰ったの16時半くらいだけどそんときまだ練習してからなー17時くらいじゃね?」

 「途中で練習を抜け出したりした時間はあった?」
 「あの人が用事もないのにそんなことするわけないじゃん。くそ真面目の堅物だよ」

 翠は後輩から慕われてると聞いたが、西田からは鬱陶しい存在になっているように感じられた。あれだけ有名で存在感のある人のことだ。慕う人がいる反面、一部の人からは嫌われているのかも知れない。
 
 「あんた、そんなこと聞いてどうすんの?」
 「まあ、ちょっと調べもの」
 「よくわかんないけどさ、一色翠にはあんま関わんないほうがいいと思うよ」

 「なんで?」
 「あの人変な噂あるから。」
 「変な噂?」
 「中学の時いじめにあってたとか」
 「いじめ?」
 「私も詳しいとこはわかんないけどいじめにあって病んで自殺未遂までしたとかどうとかって・・噂があるよ」

 「自殺未遂・・・あの翠会長が・・・」

 翠がいじめに遭ったうえ自殺未遂までしていたとは。あの自信に満ち溢れて堂々とした佇まいの翠からは想像もできない・・・果たして本当なのだろうか。
 スポーツ万能な上に成績優秀。おまけに容姿端麗。疎まれる可能性は充分あり得る。

 表向きは尊敬される超優等生。しかし、その仮面の下では周囲からの言葉の攻撃に必死で耐えているのかもしれない。  

 そのとき波多野の電話が鳴った。翠からだった。
 「うわっ、ちょっと本人登場かよ」
 西田はびくっとして足早に練習に戻っていった。

 「もしもし」
 「翠です。さっきの件で思い出したことがあったんだけれど、波多野君、いま大丈夫かしら」
 「はい、問題ありません」

 「さっきの童話の結末なんだけどね、誕生日会に参加した女の子はみんなからとてもちやほやされた。可愛い可愛いって。とても嬉しかったけど、本来の自分が好かれたわけじゃないことに気づいたの。どんなにおめかししても、貧乏な自分は変わらない。そこで魔女に服を返すといった。でも魔女は一度渡したものは受けとれないと言った。数日後に女の子の体に異変が起きた。おめかしした自分と貧乏な自分、どちらが本当の自分がわからなくなってしまったの。そう、魔女が女の子に与えたのは可愛い服ではなく、可愛い服が似合う別の人格だった。最後にはおめかししている自分と、もとの貧乏な自分が裂けて二人に分裂していまうというちょっと怖いお話なのよ」
 
 「分裂・・・・」
 「それで思い出したのよ、童話のタイトル」
 「なんです?」

 「“cleave(クリーヴ)” 日本語で二つに割れる、分裂するって意味ね」

***

10/11 (日)

 今井凛久はそわそわしながら一色葵を待っていた。
 女の子とデートをするのはこれで二回目だった。先週、女性とデートとして、今日は違う女性とデートをするなんて、なんか浮気者みたいな感じがした。
 いままで全く女っ気のなかった今井が、急にこんな女ったらしのようになったことに自分でも驚いていた。

 やはり、約束の一時間前にきて、今日のデートプランを復習していた。といっても、前回のデートプランとほとんど一緒だが。あれはもともと葵とデートするために今井が考案したデータプランだった。
 前回はデートプランも抜かりなくセッティングしていたが、映画のチケットを買い忘れてしまった。
 先週来たときも満員ではなかったし、まあ大丈夫だろう。

 約束の時間に少し遅れて、葵がやってきた。
 「お待たせ!ごめん、少し遅れちゃった」
 「うん、大丈夫だよ」

 少し青みがかった漆黒の髪は艶やかなストレート。
 胸元に紺色の大きなリボンを付けた青色のシャツには肩にフリルがついている。黒いスカートから伸びた青白い足は、底の厚い靴によってより長くすらりと見えた。
 目元に引いた紫のアイシャドウは葵の青白い肌ととても合っており、口元に引いたピンク色の紅だけが青と黒を主体とする服装の中で唯一、色っぽかった。

 今井はなぜかこの人は葵に違いないと思った。学校で感じていた葵の印象で、私服はこんな感じかなと想像していた。そのイメージ通りの服装だったからかもしれない。

 「今日はどこいくの?」
 今井は練りに練った今日のデートプランについて説明した。
 「映画かー-どんな映画?」
 「『君が落とした星空』っていう、いま旬の俳優さんが出てて、人気なんだって」
 今井はアカコのときと同じようにスマホで映画の公式サイトを開いて見せた。

 「ふーん。今井君こんな映画好きなの?」
 「俺が好きってわけじゃないけど」

 「じゃあなんでこの映画にしたの?」
 「それは・・女の子が好きそうな映画と思って」
 「なるほどね」

 葵は自分のスマホで「『紅蓮の刃』まだやってたかな」とぶつぶつ言いながら上映中の映画を調べた。スマホを触る手には、長い爪に青色のネイルが塗られていた。
 「あっ、まだやってるわ。よかったよかった。これにしよーよ。あたし『君が落とした星空』って映画全然興味ない」

 葵はスマホの画面で別の映画の公式サイトを見せた。「紅蓮の刃」というタイトルのアニメ映画だった。
 今井は、アニメ映画はあまり見ないし、「紅蓮の刃」も読んだことがなかったが、少し話題になっていた作品だったし、映画であればなんでもいいと思っていたので
 「いいけど」
 と答えた。

 チケットを買い忘れていてよかったと思った。

***

 「はぁぁぁ~~~~・・・やっっばい!!まじでやばかった!!!」

 映画館から出た葵は両手を頬にあて、映画の感傷に浸っていた。頬がほんのり赤くなって高揚していることがわかった。映画で泣いていたのか、目元のメイクが少し落ちていた。
 
 「確かに面白かったね」
 「紅蓮の刃」を知らない今井だったが、多少登場人物や物語の設定がわからない部分はあったがストーリーのメインとなるキャラクターは映画が初登場だったようで充分面白かった。
 
 「アニメ映画って俺あんまりみたことないんだけど、作画?かな。絵の表現がめっちゃかっこよくてすごかったね。」

 「そう!そうそうそう!!そうなの!!!」
 葵は「わかってんじゃん今井くん!!」と言いながら今井の肩をぽんぽん叩いた。

 「あの映画の製作会社が『usotable』ってところで、今井君fetaシリーズとかわかるかな・・・あの辺のアニメを作ってるとこで作画がめっちゃ綺麗だし、戦闘シーンは大迫力でさぁ・・・」
 
 映画の興奮が冷めないのか、ぴょんぴょん跳ねながらマシンガンのように話続ける葵。黒いスカートをひらひらさせながら楽しそうに話す姿はとても可愛らしいと思った。
 
 「いや~~~何回見てもいいね『紅蓮の刃』は」
 「え、まさか今見たの初めてじゃないの」
 「うん」
 「何回観たの」

 「んー--ちゃんと数えてはないけど、4,5,・・・・6回くらいじゃん?」
 すごい。今井も映画は好きだが、1回見れば充分だと思っていた。多くても2回程度だが、同じ映画を6回も見るなんて相当この映画が好きなんだと思った。

 「すごいねそんな観てるなんて・・・」

 「いい加減にしろ!!!!!」
 突然怒鳴り声が聞こえ、同時に子供の泣き声が聞こえた。
 その場にいた数人が一斉に声の方を見る。駄々をこねた子供に父親が怒っていたのだ。
 「びっくりしたーーーーー」

 突然の出来事に驚いていた今井に葵がすっと体を寄せてきた。
 ドキッとして葵を見ると顔は青ざめ、今井の服の裾を引っ張る小さな手はカタカタと小刻みに震えていた。

 「一色さん?」

 普通の驚き方じゃない。明らかに様子がおかしい。
 「場所変えようか。ほら行こう」

 場所を変え、人混みの少ないベンチに葵を座らせた。

 「お水いる?」
 「ありがと」
 ベンチでしばらく休むと顔色も良くなってきた。

 水を飲んで少し落ち着いた様子の葵が
 「ごめん、あたし男の人の怒鳴り声って苦手で・・・」
 と言った。

 なんだかそれ以上は聞いてはいけない気がして、「そうなんだ」としか答えられなかった。

 「大丈夫そう?」
 「もう大丈夫!今度はどこ行く?」
 「よかったら、カフェでお昼食べながらもう少し話そうよ」
 今井が誘うと、葵は顔をぱあっと明るくし、

 「いいよ!!あたしまだまだ全然話し足りないもん」
 と答えた。

***

 化粧を直してくると葵がトイレに行ったあとでカフェに入った。カフェでも葵のマシンガントークは続き、今井は相槌を打っていた。アニメの話をしているときの葵は本当に楽しそうで、今井も自然と笑みがこぼれた。
 
 そういえばアニメが好きな人は、アニメのキャラクターを好きになる、「推し」というのがあると聞いたことがあった。葵にもそういうのがあるのだろうか

 「一色さんは『紅蓮の刃』で誰が好きなの?」
 と聞くと葵は両手を口元に添え、「はあ~~~~」とゆっくりと息を吐き、

 「よくぞ聞いてくれました。」
 口元に添えた手をたたいて拍手して見せた。
 「善乃介くんです」
 「あー-、あの黄色い子?」
 「そう!も―――――ねえ・・・めっちゃ可愛いしかっこいいし・・・・んっ・・」

 葵が急に黙ってうつむいた。
 「一色さん?」
 どこか様子がおかしい。
 すぐに葵の隣に駆け寄ると、普段から青白い葵の肌がより一層青白く、血色がなくなっていた。葵は全身から冷や汗をかき、頭を手で押さえていた。

 「ごめん・・・ちょっと頭痛が・・・・」
 と言った。
 「ちょっとまたトイレ行ってくるね・・・」
 トイレに向かう途中、葵が「なんでこんな時に・・・」とつぶやいた気がした。

 取り残された今井は、鈴木茉莉が言っていたことを思い出した。

 (きっとね、いろいろ考えすぎちゃう子だから。なんでも自分のせいにしちゃう。自分が頑張って人のために尽くしちゃうんだよ)
 (でもね。そんなことしたら自分の身が持たないでしょ?だから、アオのこと今井君が理解して守ってあげて)

 もしかして葵は無理をしているのか?
 今井を楽しませようと無理に話しをしている?

 10分程経った後で葵が戻ってきた。
 「ごめんね、さっきなんの話してたっけ?」
 「今日はもう帰ろう」
 今井は言う。

 「どうして?」
 葵は寂しそうな顔をして今井を見た。 
 「さっき頭痛いって言ってたじゃん。一色さん無理してるでしょ」
 「え?あーーーー、あれ?大丈夫大丈夫。たまになるんだけど、すぐ直るし」

 茉莉が言っていたことが頭から離れない。
 「とにかく今日は帰ろう。元気になったらまた来ようよ」

 今井と葵はカフェを出て駅へ向かった。駅の改札前で今井は「じゃあここで」と言った。
 「んー-----・・・・」

 葵は今井の服の裾をつかんでなにか言いたそうにしていた。今井は葵の頭にそっと触れ、
 「今日は楽しかったよ。またアニメの話聞かせてね」
 と言った。

 「うん」
 「じゃあね」
 葵は今井と別れたあと何度も振り返って手を振っていた。

 本当にこれでよかったのか。
 葵は無理してたのか?
 葵の本心はきっと今井との時間を本当に楽しんでいるように感じていた。

 楽しいと思う心に体がついていけてないだけではないのか?
 葵自身それに気づいてないのでは・・・?
 
 葵が見えなくなったので、そろそろ帰ろうかと電車の時間を調べようとしたその時

 ふいに、懐かしいリンゴの香りがして、
 その瞬間にトントンと後ろから肩をたたかれた。
 振り返ると
 ピンク色のセーター、胸元に金色のネックレス。灰色のスカートから伸びた華奢な足。赤みがかかった茶色の髪。

 アカコがそこに
 今井の目の前に立っていた。

 「偶然だね。なにやってんの?」

 あの時感じたさわやかなリンゴの香りは、
 戦慄の記憶と結びつき、鬱陶しく今井の鼻孔を取り巻いていた。


#3 正体

 「偶然だね。なにやってんの?」
 アカコが
 いま目の前にいる。
 やはり顔立ちも体形も葵にそっくりだった。

 「はっ・・・・・つ」
 
 どうすれば
 
 恐怖で息ができない。
 俺はどうすればいい?

 手に
 手に力が入らない。

 さっき電車の時間を調べようと持っていたスマホが手からスルリと落ちた。
 「あれ、スマホ落としたよ」
 アカコが膝を落とし、落としたスマホを拾った。

 「はい」
 拾ったスマホを今井の手に置く。
 触れたアカコの手は恐ろしいほどに冷たかった。 

 考えろ。
 アカコと遭遇できた今がチャンスだ。
 なんとか情報を聞き出せないか

 「君は・・・・なんなんだよ」
 「え?」
 「・・・・・・・・・・・・・何者なんだよ、君は!一色さんと俺のデート邪魔して!なにがしたいんだよ!」
 
 感情が高ぶって大きな声が出てしまった。

 「何者か・・・」

 アカコは
 急に悲しそうな顔をした。何か考えるように下を向いた。

 「何者なんだろうね。私」

 顔を上げてそういったアカコは

 涙を流していた。

 今井はそれ以上なにも言えなくなった。

 「またね」
 アカコはそう言って人混みの中に紛れていった。

***

10/12 (月)放課後

 「今井。今日の放課後、例の件で話したいことがある。図書館までこい。」
 昼休みに波多野からそういわれた今井は放課後、図書室へ訪れていた。

 「まず、お前の調査結果を教えてくれ。昨日一色さんとデートだったんだろ?」
 「デートじゃないよ」
 人にデートといわれると否定したくなるのは何なんだろうと今井は思った。

 今井は波多野から頼まれていた調査結果を報告した。アカコが再び自分の前に現れたことも話した。
 波多野は話を聞きながらノートにメモを取っていた。
 
 「アカコがまた・・・・なにもされなかったか?」
 「うん。少し会話してすぐどこかへ行ってしまったよ」
 「そうか」

 波多野はノートを見返して
 「アカコの正体だがな。俺なりの仮説を立てていたんだ」
 と言った。

 「アカコの正体がわかったのか?」
 「さっきまで仮説だった。ただ、今お前の話を聞いて、確信を得た。この説でほぼ間違いないと思う。」
 「すごいじゃないか!早く教えてくれよ」

 「まあ、落ち着け。順を追って説明する。俺は前回アカコが誰なのか突き止めるための3つの条件について説明したな」
 
 「ああ、 
 条件1:一色葵さんと間違るほど顔、身長、声が似ていること。
 条件2:土曜日にデートすることを知っていること。
 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。
 のことだな。」

 「そう。お前も調査中にわかったと思うが、この条件を満たせる人間はほとんどいない。なにより、仮に満たせたとしても動機がない。一色さんとお前のデートの邪魔をどうしてする必要がある?わざわざ電話して土曜日はお前とのデートに付き合って・・・相当の暇人じゃないとできないことだ。」
 
 「まあ、確かに」
 「つまり、アカコは最初からいなかったということなんだ」
 「ん?どういうことなんだ」
 「アカコの正体は、まぎれもなく一色葵本人だったということだ。」

 「いやいやいや、そんなわけないだろ」
 「どうしてそう思う?」
 「一色さんは土曜日に会ってたことの記憶がないと言ってたんだぜ?それに俺がデートをすっぽかしたことを本気で怒ってた。嘘をついてたとは思えない」
 「そう、一色葵が土曜日にお前と会ってないことは本当だ。そしてデートをすっぽかしたことに怒っていたことも彼女の本心だ」

 「・・・・・言ってることが矛盾してないか?」

 「俺はな、一色さんは、解離性同一性障害の可能性が高いと考えてる」
 「解離性同一性障害?」

 「お前にもわかるようにいうと、二重人格だ。」

 「はぁ!?」
 今井は思わず声を荒げた。そんな馬鹿な。そんなSF小説みたいなことあるわけない、
 
 「二重人格なんて本当にあるのかよ。お話の世界だけの話だろ」
 「二重人格は空想のできごとなんかじゃない。精神障害の一種なんだ。『24人のビリー・ミリガン』の例もあるし、日本でも宮崎勤という連続幼女誘拐殺人事件の犯人が多重人格者として正式に精神鑑定を受けている。」
 
 「そんな・・・」
 全身の力が抜けるようだった。一色さんが二重人格?そんなことがあり得るのか?

 「驚くのも無理ないさ。なにせ国内ではまだ認知がうすいからな。解離性同一性障害は、自分の中に二つかそれ以上のはっきりと区別できる自分とは別の存在がいることだ。そのもう一つの存在は自己の存在について認識しているし、独自の思考を持っているんだ。」
 
 「でも、自分のなかに普段の自分とは違う別の自分がいるのはよくあることなんじゃないのか」

 「そこが解離性同一性障害とそうでない人の大きな違いだな。例えば仕事では部下をしっかりと導くいい上司の顔、でも、家では奥さんの尻に敷かれてる夫の顔。これは解離性同一性障害ではなく、むしろほとんどの人にある状態だ。
 普段温厚な人が酒に酔って大声で怒鳴ったり、暴力を振るったりしても、一見人格が入れ替わったように見えるが二つの行動の記憶が連続している限りは解離性同一性障害とは言えない。酒で自我が開放されたことでいままで心のうちにため込んでいた自分の心情が爆発的に表れただけだ。
 
 解離性同一性障害とはむしろ、その自分をさらけ出す機会がない人が多いんだ。周囲に気を配りすぎて自分はこうあるべきだという周囲の期待に応えるために偽りの自分を演じ続ける。
 しかしはけ口のない自分の感情はため込んでいくばかりで次第に自分から解離して別人格が誕生してしまうんだ。」
 
 「・・・・・・なるほど」
 わかったようなわからないような。

 「解離性同一性障害は、人間関係のストレスから発症することが多い。さっき、デート中に怒鳴り声におびえていたと言っていたな」
 「うん」
 「もしかしたら一色葵は過去に親からの圧力におびえて生活していたことがあるのかもしれない。解離性同一性障害の人は、幼いころに両親から虐待や性暴力にあっているケースも多くある。」
 
 「まじか・・・・」
 一色さんがそんな辛い過去があったかもしれないとは。

 「解離性同一性障害の人の、もともとの人格のことを『ホスト人格』という。一色さんでいうと、一色葵本人だな。別人格はホスト人格にとって憧れの人だったり、自分はこうあるべきという理想を体現した姿だったりする。
 一色翠生徒会長によると、アカコの容姿は"cleave"という海外の童話に出てくる主人公に似ていた。

 一色葵にとって童話の主人公はみんなから好かれる可愛い女の子に見えたのだろう。一色葵にとって自分を偽らなければいけないとき、本来の自分を隠さなければいけない状態のとき、
 童話の主人公になりきってやりすごしてきたわけだ。
 
 そのうち葵のなかにある童話の主人公に自我が芽生え始めた。別人格の方が権力が上になり、葵の許可なく葵の体を乗っ取り葵の体を自由に操作できるようになった。これがアカコの誕生だ。」

 その上で10/3 (土)、第1のデートを振り返ってみる。
 まず10/1 (木)、今井がバス停で告白する。
 おれは正直バス停で告白ってなんだよと思ったが、今井の告白をアカコは聞いていたんじゃないだろうか。
 さっきもいったが、別人格の方がホスト人格より権力が上の場合、葵が見ている、聞いている情報をアカコも取り入れることができるんだ。

 自分はみんなから好かれる可愛い女の子。きっと異性ウケもいいと考えたアカコは、葵の人格を乗っ取った。
 今井に電話をかけ、日曜日のデートを土曜日に変更してほしいと連絡した。
 そしてアカコと今井は10/3 (土)にデートをした。

 10/4 (日)、何も知らない一色葵はデートは予定通り駅に向かうが、当然今井はいない。これで土曜日、日曜日に起きた第1のデートについてはつじつまが合うだろう?」
 
 「なるほど。先日アカコと再度対面した 10/11 (日)の第2のデートについてははどうなるんだよ。」

 「それも同じさ。最初は葵のほうの人格で今井とのデートを楽しんでいたが、アカコの方が主張してきたのだろう。
 お前じゃだめだと、
 素のお前が好かれるわけがない、私に代われと。デートのおわりまで葵は耐えたものの、今井と駅で別れた後でアカコに入れ替わり、
 再度今井の前に現れたというわけだ。」
 
 「いや、それだと辻褄があわない。」
 「なぜだ?」

 「一色さんと駅で別れてからアカコが俺の前に現れるまで1分となかった。1分の間でアカコに入れ替われるものか?」
 「アカコが一色葵の体の支配権を持っている以上、不可能ではないと思うが」

 「うーーーん」
 今井はなにか引っかかっていた。

 「で、現状がある程度把握できた上で解決策だが、解離性同一性障害は素人が立ち入っていい領域じゃない。変に刺激して悪化させる可能性もある。専門家に相談して診断を受けるべきだ。というわけで次あった時に一色さんにしっかり話すべきだ」

***

10/12 (月)夜

 「お姉ちゃん、お風呂空いたよ」
 「うん」

 風呂上がりに髪の毛を乾かしている妹に翠は声をかけた。

 「アオ」
 「なに?」
 葵はドライヤーを止めて翠の方を振り返る。

 翠は迷っていた。波多野から聞いたアカコのこと・・こんな状態の妹になんて声をかければいい?

 「なんなの?」
 「んー---・・・あの、なんか困ってることない?」
 「は?」
 「ほら、学校のこととかさ・・・」

 「なに、急に」
 葵は鏡に向き直り、ドライヤーで再度髪の毛を乾かし始めた。
 
 「まあ、特に理由はないんだけどね。なんか困ってることがあったらお姉ちゃんに言ってね」
 「はいはい」

***

 姉に急に「困っていることはないか」と聞かれた。

 なんだ

 なぜ急にあんなやさしくするのか
 
 姉はいつもあたしの数歩先を歩いていた。
 小さい頃、あたしと姉は母に連れられてよくハイキングに行っていた。姉は歩くペースがとても速く、あたしはいつも姉の背中を追っていた。姉になんとかして追いつこうと上ばかり見ていたら、足元の小石につまずいて転んだ。膝をすりむいてズボンに血が滲んだ。「痛い」とあたしが叫んでも、姉は振り返らずにどんどん先へ行ってしまった。
 
 待って
 いやだよ
 待ってお姉ちゃん
 あたしを置いていかないで
 
 泣きながら姉の背中を追うあたしを、母がおんぶして運んでくれた。

 運動も、
 勉強も、
 食べる速さも、
 トランプも、
 オセロも、
 じゃんけんさえも、
 あたしは姉に勝ったことがなかった。

 あたしはなにをやってもお姉ちゃんに勝てない。

 いつも姉と自分を比較していた。

 あたしはお姉ちゃんより劣っているのかもしれない。
 でも、それでもいいと思っていた。
 
 あたしがお姉さんより勝るものがあったから。

 一つだけ
 たった一つだけ____

 小さいころから絵を描くのが大好きだった。

 小学校から帰れば玄関にランドセルをほっぽりだして夢中で絵を描いていた。といっても幼児向けアニメのキャラクターをボールペンで書きなぐっただけの上手もへったくれもない絵だった。
 ご飯もお風呂のそっちのけで絵を描き続けた。
 絵を描くのは本当に楽しかった。

 これならお姉ちゃんに勝てるかもしれないと思った。

 あたしは小学校を卒業し、姉と同じ中学に入った。姉は生徒会に入っており、運動も勉強もできる有名人だった。
 姉の同級生はあたしを見て、
 「翠の妹?かわいい~」
 「葵ちゃんっていうんだー」
 と、もてはやした。

 あたしより数センチ身長の高い先輩達に囲まれるのは少し怖かった。
 自分に興味を持ってくれるのは悪い気はしなかったが、注目されるのは苦手だった。
 姉の所属するテニス部をはじめ、いろんな部活に誘われたが、あたしは美術部に入った。

 成績はあまり良くなかった。
 あたしの成績を見た先生は、
 「一色さんは、もう少しお姉ちゃんを見習わないとねー」
 「そうだぞ、お姉ちゃんに勉強教えてもらえ」

 くそ
 どいつもこいつもお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん

 この学校であたしの名前を知っているものが果たして何人いるだろうか。
 あたしは「一色葵」ではなく、「一色翠の妹」でしかなかった。
 

 誰かが言った。

 「あいつ、姉に両親のいいもの全部とられてんじゃないの」
 「姉ができたときの残りカスがあいつって?」
 「それはやばすぎw」
 
 あたしはトイレに駆け込んだ。

 扉をバタンと占めて便座に座り、スカートに顔を埋める。

 くっそ、くっそ、くっそ、
 お前に何がわかる、

 お前に、
 お前にお前にお前にお前にお前にお前にお前にお前にお前にお前に

 悔しくて悔しくて、声に出さず泣いた。
 
 その日、家に帰ると姉はいつものように、ソファに寝っころがっていた。
 姉のおしりにはあたしが大切にしていたイラストレーターさんの画集があった。

 「ちょっと!」
 姉をソファの上からひっくり返した。「いたっ」姉がごろんと床に転げ落ちる。
 イラスト集は、表紙の真ん中あたりから折れ曲がり、直してもくっきりとあとが残ってしまっていた。
 「ごめんごめん。でもソファに置いてんの悪くない?」

 は?
 お前のせいだろ
 あたしの成績が悪いもの
 あたしの自信がないもの
 同級生からバカにされるのも
 学校で名前で呼んでもらえないのも
 
 全部
 全部全部全部
 全部全部全部全部全部全部全部
 お前の・・・・っ

 「せいだろうが!!!!」
 声に出して言っていたとは自分でも気づかなかった。
 姉が目を大きく見開いてあたしを見ていた。
 一度言ってしまったことは取り返せない。
 そうだ言ってやればいい
 思ってること全部

 「お前がっ・・お姉ちゃんンっ、、、がっっいなければ・・・・もっとうまくいってた!!」
 自分がこんなに大きい声が出せるのだと初めて気づいた。
 目から大粒の波がこぼれた。
 ひくひくとのどがなり、うなく喋れない。

 涙に滲んで、目の前にいる翠の表情が見えない。
 涙が頬を伝い、口に入る。
 ぐちゃぐちゃの顔で叫び続ける。
 「いなくっッ、、なれ!!あだしのっ前から!!!消えろ!!!!っいいいっ、、いなぐなれよ!!!!!」

 姉が鼻をすする音が聞こえた。「どうしたの?」と母がリビングに入ってくる声が聞こえて、はっと我に返った。
 「お姉ちゃん・・・」
 姉の顔を見ようと、涙を裾で乱暴に拭うと、姉は急にそっぽを向いて自分の部屋に籠ってしまった。

 「なにかあったの?」
 両親が心配して聞いてきたが、あたしはなにも答えず、部屋に籠った。

 しばらく部屋で一人で考えごとをしていると、母の叫び声が聞こえてきた。

 「翠・・・!!翠!!」
 「どうした?!」
 母は高い声を枯らしながら叫んでいた。異常を察した父がすぐに駆け付ける。

 「救急車・・・っ早く救急車呼んで!!翠が!!」
 声のする風呂場に向かうと

 血

 血が
 湯舟が血で真っっ赤に染まっていた。

 母が必死に掬い上げた左手首から血が絶え間なくどくどくと流れていた。
 「翠っ!!!みどり!!!」
 ぬるくなった湯舟にぷかぷかと浮いている姉はぐったりとして肌は青白く血色がない。唇は紫色になっていた。

 姉はすぐに救急車で運ばれた。

 カミソリで手首を切った。
 お風呂で体温が上がった状態で切ったことと、湯舟にだったことで出血が止まらなかったことが原因でとても危険な状態だった。

 あとでわかったことだが、姉は中学校でいじめにあっていた。能力がありすぎると同性からねたまれていたらしい。
 学校で自分が受け入れられないことに合わせて、自分の妹からも拒絶されたことが引き金となって自殺に踏み込んだのではないかと言われた。

 いじめが原因とはいえ、自殺の決意をさせてしまったのは葵の「消えろ」という一言であったことは間違いない。

 父はあたしを怒鳴りつけた。

 お前はお姉ちゃんになんと言ったんだ。
 同じことをお父さんにも言ってみろ。

 父は何度も何度もそういった。
 あたしが何も言わずに黙っていると大声でどなったり、机をダンダンとたたいて罵声を浴びせた。
 そばにあったボールペンを投げられたりもした。

 なにを言われたかはほとんど覚えていない。いや、覚えないようにしてたのだ。
 怒られている間、家の机の木目の形を追っていた。こうしておけば目の前のこの辛すぎる状況から目を背けられると思った。

 その日から父はあたしに対する当たりが強くなった。
 あたしの話を無視するようになった。
 あたしが父の言うことを聞かないと、腕につかみかかってきては大声で怒鳴り散らしてくるようになった。 

 反対に姉には過保護になった。まるであたしに見せつけるように感じられた。

 あたしは我慢できなくなり母に相談した。すると母は
 「この家では、お父さんが一家の長だからね。この家にいる以上はお父さんの言うことに従うしかないよ」

 そんな
 お母さんまで
 お父さんの味方なの

 家に帰るのが億劫になった。
 学校が終わっても、ファミレスで時間をつぶすようになった。
 この家にあたしの居場所はないように感じられた。
 

 あたしが家に帰るのが遅いと、また父が怒鳴った。

 そんな時だった
 あたしの頭に彼女が誕生したのは

 (・・大丈夫・・・・?)
 「・・だれ?」

 (そんなに泣かないで・・・)
 「だけなの?」

 (君はひとりじゃないよ。私が君の身代わりになってあげるよ)
 「どういうこと?」

 (今度父親に怒られるときは私が入れ替わるよ。私は、君自身なんだから。私を信じて・・・私に体を預けて・・・)

 
 「いっった・・・っ」
 まただ。
 最近よく頭痛になる。
 「頭・・・・痛いっ痛いよお・・」
 頭を抱えてベットに横たわる。
 意識が遠くなる。

 頭痛が起こると数時間程度の記憶が曖昧になる。次に目が覚めた時にはあたしは違う場所にいて、
 なんでそこに行ったのか思い出せない。

 なんだか最近変だな。
 

***

10/13 (火)

 今井凛久は教室で斜め前の席の葵を見ていた。
 
 一色葵が二重人格・・・・
 昨日の放課後、波多野とそう結論付けたがいまだに信じられない。

 しかし波多野の言う通り、解決するためにも葵にはちゃんと話さなくては。
 でもどうやって話せばいいのか。
 
 君、二重人格なんじゃない? 
 なんていうのか。
 こんなこと、とても葵に言えない。

 休み時間に話しかけようとしたが、鈴木茉莉と話していたりなかなかタイミングがつかめない。
 
 次の休み時間になったら。
 
 今度こそ、昼休みになったら。
 
 放課後になったら、放課後に葵を呼び出して話そう。
 
  
 
 
***

10/13 (火)放課後
 

 部活の掛け声と吹奏楽部の楽器の音が響く放課後

 学校の校舎裏の薄暗い場所に一人の少女が現れた。
  

 墨を頭のてっぺんからひっくり返したような漆黒の髪。
 ブレザーの下に青のカーディガン。胸元には紺色のリボン。
 
 その少女は前髪を触りながらどこかそわそわとしている。
 まるで気になる男子に呼び出され、告白でもされるのではとドキドキしているような。

 少女のもとに近づく黒い影。

 影は少女の華奢な肩をトンと叩いた。
 少女は笑顔で振り向く
 「今井く・・・」
 

***

 今井凛久は結局、放課後になっても葵に二重人格の件を話せずにいた。

 みんながいなくなった教室に一人、波多野と話した内容について考えていた。
 
 波多野の理論はほとんど辻褄があっている。
 ただ、なんだこの違和感は。

 きっと、アカコ、葵の二人と対面した自分しかわからないことだ。
 二回目のデートで葵と別れたあと、わずか一分足らずでアカコが現れた。
 
葵とアカコは本当に同一人物か?

 今井はノートを取り出し、いままでの推理についてまとめてみた。

 条件1:一色葵さんと間違るほど顔、身長、声が似ていること。
 条件2:土曜日にデートすることを知っていること。
 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。

 波多野はこの条件を満たせる人物はいないと言ったが、別に葵に顔が似ている必要はないのでは?
 葵に似ている人物を別で用意して、本人は会話のすり合わせを行うために遠隔で指示していたとしたら?
 
 となると、
 条件1:一色葵さんと間違るほど顔、身長、声が似ていること。

 は満たせている必要はない。

 そして、
 条件2:土曜日にデートすることを知っていること。
 条件3:土曜日10時~15時にアリバイがないこと。
 を満たせる人物が一人いたではないか。

 鈴木茉莉だ。

 それだけじゃない。茉莉が以前、今井に言った一言
 「きっとね、いろいろ考えすぎちゃう子だから。なんでも自分のせいにしちゃう。自分が頑張って人のために尽くしちゃうんだよ」
 あれは葵のことを心配してのことだと思ったが、今井とのデートを切り上げさせるために言ったのでは?
 現に今井はその一言を思い出し、デートを早めに切り上げている。
 
 茉莉は今井と葵が恋人の関係になることに反対的な意見だった。
 
 友人のツテかなんかで、葵にそっくりの人物を雇い、今井とデートさせた。
 後日、学校で今井に葵とのデートを切り上げさせるような意味ありげな一言を残した。
 
 動機も充分。辻褄も合う。
 黒幕は鈴木茉莉だ。 

 さっそく彼女に突き詰めてみよう。

 今井はすぐに茉莉が所属する吹奏楽部に言った。今日は教室で自主練中とのことだった。
 吹奏楽部員から教わった教室に行くと茉莉が一人でサックスの練習をしていた。

 「鈴木さん、ちょっといい?」
 「今井君?」
 彼女は驚いたように目を見開いた。この反応、ますます怪しい。

 「どうしてここに?」
 「全部わかったよ」
 「ん?なにが?」
 「とぼけないで。君が俺と一色さんとのデートを邪魔した犯人だったんだね」
 「はあ?」
 「葵さんに似た人を雇って、その人と俺をデートさせた。俺に意味深な一言を植え付けて一色さんとの仲を進展させないようにした。そうでしょ?」

 「ちょっ、ちょっとまって?さっきから何の話?」 
 いつまでもとぼける気か。

 「てか、そのアオは?会えなかったの?」
 「話をそらさないでよ」
 「だからその話、まじで意味わかんないんだってば。アオと会う約束してたんじゃないの?またすっぽかす気?」

 何を言ってる。
 ひょっとして、俺はとんでもない勘違いをしていたのか?
 そう今井は思った。

 「・・・・・なんの話?」

 「さっき部活いく途中でアオとすれ違ってさ、なんかご機嫌だからなんかあるのか聞いたら、今井君に呼び出されたって言ってたよ。」
 「俺は一色さんを呼び出したりなんかしてない」
 「え?でもアオはそう言ってたよ」

 そんな。念のため、携帯を取り出して確認してみようとすると、
 「あれ?この携帯、俺のじゃない」

 機種は同じだが
 画面のキズが違う。まるで新品そのものだ。

 昨日まで携帯はあったはずだ。葵とのデートで使ったから覚えてる。

 最後に携帯を使ったのは・・・
 帰るときに電車の時間を調べようと取り出してアカコが現れて驚いて落とした。

 それをアカコが拾った。
 

 「おい、今井!」
 波多野が青ざめた顔で教室に入ってきた。

 「いま、学校に不審な女がいたって噂になっててな。なんでもうちの制服を着てるらしいんだが、見たことない顔で、先生に止められたとたん、走り出したらしい。その人、一色葵に似た、少し赤みがかかった髪の女だったそうだ。」
 「赤い髪・・・まさか・・・・」 

 今井は頭から血の気が引くのを感じた。

 今井に呼び出されたと言っていた、葵
 呼び出した記憶のない、今井。
 そして携帯がない。
 学校に現れたアカコらしき人物

 指がガタガタと震えている。

 最悪

 考えられる最悪のケースを想像してしまった。
 
 とにかく葵と連絡を取る方法はないか。
 「鈴木さん、一色さんに電話かけれる?」
 「う、うん」
 茉莉はスマホで葵に電話を掛けた。
 
 しばらく通知音だけが鳴り続ける。

 ガチャリ

 という音がして、通知音がやんだ。
 今井は茉莉からスマホをひったくった。

 「ちょっと!」
 茉莉がなにか言っているのを無視して

 「一色さん!?いまどこ?」
 だが、返事がない

 「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 「一色さん!!」
 「・・・・・今井君?」

 声が聞こえた
 ・・・・が、

 「お前、アカコだな」
 今井は葵とアカコの声を聴き分けられるようになっていた。

 「なにその名前、だっっさ」
 「一色さんはどこだ?」
 「携帯なくなってるのにいまさら気づくなんて。それに今時スマホにロックかけてないとか」

 「一色さんはどこだ!!」
 「校舎裏に呼び出したよ。間に合うといいね」

 「アカコォ!!!!!」

 ぶつっと電話が切れた。

***

 生まれたときから、自分の存在に疑問を持っていた。

 自分が存在しているという自覚はあったが、自分の名前はないし、自分の姿は自分ではない誰かのものだった。

 だから好きな人に「君は何者なんだ」と言われたときは
 少し悲しかった。

 自分が何者かなんて、私が一番知りたいよ

 
 男の子に初めて告白されたときはとても嬉しかった。
 こんな私を好きになってくれる人がいるなんて。
 
 頑張って、彼に好かれるようにしなければ。
 だから葵はダメだ。

 彼に好かれるためにはもっと女の子らしくおしとやかにしなければ。
 
 お前みたいな派手な服装に濃いメイクじゃだめだ。
 それにお前は自分のことをべらべらしゃべりすぎだ。

 私が彼に好かれるようにふるまってやる。
 男の子との初めてのデートはとても緊張した。
 好かれようと気にしすぎて自分のことはあまり話せなかったけど、自分の話より相手の話を聞く方が大事だろう。 

 でも、10/11 (日)の二回目のデートの時、葵が出てきて驚いた。
 あんなに力ずくで押し込めたのに。

 なにより驚いたのは、今井凛久とそれに楽しそうに話していたことだ。

 ふざけんな。

 せっかく私が好かれるような女の子としてふるまってやったのに

 本当のお前が受け入れられるわけない。

 本当の自分なんか隠して、相手や周りに合わせて無難に取り繕っていればいいんだ。

 葵を消さなくては。

 でないと私の存在意義がなくなる。
 
 そのためにどうすればいいか。
 今井凛久のふりをしてやつをおびき出そう。

 だが電話をかけた時、姉の方が出る可能性があるな。
 いや、今井の携帯から電話がかかってくれば葵の方が出るだろう。
 姉と今井に接点はなかったはずだ。

 そのために今井の携帯からかけよう。
 今井が携帯を落としたときに同じ機種の携帯にすり替えておいた。
 
 電話を掛けると
 「今井君?」

 やはり葵の方が出た
 できるだけ今井に寄せた声でこう言った。
 「放課後、校舎裏に来てくれない?」

 そして今、約束の校舎裏に来ている。
 
 雑草が足に絡みついてくる薄暗い空間に
 胸元には紺色のリボンをつけた漆黒の髪をした女が立っていた。
 
 まるで告白されるのを待つように。
 
 私はその華奢な肩をトンとたたいた。

 「今井く・・・」
 振り返った笑顔は私の顔をみた瞬間、驚きと、絶望に満ち溢れていた。

 なんだその顔は
 そんな醜い顔をするな

 私と同じ顔で
 
 そういうとこだ
 お前のそういうところが心の底から大嫌いだった。

 あんたにはもう消えてもらう。

 一色葵はこの世に二人もいらない。



#4 分裂

 アカコは目の前にいる自分と同じ顔をした少女を睨みつけた。

 「どういうこと・・・あなたは誰?」
 「あなたは私よ。私とあなたは同一人物なの」
 「はぁ‥?なにこれどういうこと‥」

 葵は頭を抱えて地面にうずくまった。
 「なに‥なに怖い、怖いよ‥」
 「なによその反応」

 アカコは自分のちょうど膝下くらいにいる葵を見下すように言った。

 「え‥?」
 顔を上げた葵は少し涙を流していた。

 なんだこいつ。
 なに泣いてんだよ

 まじでなんなんだこいつ。
 自分の気持ちに対して素直に表情に出し過ぎだ。

 イライラする。
 イライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラ

 感情に任せて、ちょうど自分の膝にあるアカコの顔めがけてケリを入れた。

 「いたっ」
 ちょっと膝をあててビビらせてやるつもりが、感情が高ぶって強めになってしまった。
 葵は顔を手で覆いながら地面に倒れこんだ。

 まあいいや。

 「本題にはいるよ」
 アカコはしゃがみ込んで葵の顔を除きこんだ。

 目が合う。
 本当におなじ顔してるな。
 そう思って睨みつけてやると葵が目をそらしたので、髪の毛を引っ張ってこっちを向かせてやった。

 「私はね、あんたが嫌いなの。悲しいときはわーわーわめくし。わがままだし気まぐれだし。
 お姉ちゃんが自殺未遂したときだってそうだよね。あんたが一時的な感情で色々言うから、お姉ちゃんは傷ついた。
 ・・・・・・・あの時のお姉ちゃんの表情見ればわかるでしょ?学校で!なんかあったのかなって!!!わかるだろうが!!!!」

 つかんだ髪の毛ごと葵の顔をフェンスに叩きつけた。
 「いっっ!」
 ガシャンと音が鳴り、フェンスに弾かれた葵は再び地面に倒れ込む

 自分でも驚くぐらい大きな声がでたなとアカコは思った。
 葵が倒れた地面に血がポタポタと垂れていた。フェンスにぶつかった時にどこか切ったのだろう

 「あんたはいなくなればいい。自分の気持ちなんかどうでもいいよ。」
 アカコは靴を葵の頭の上に乗せた。

 「‥‥いっ‥ッ」
 乗せた足に徐々に力を込める

 「消えろ。」

 靴をぐりぐりと葵のこめかみに押し付ける。

 「消えろ、消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ」

 葵を見ていると、自分の嫌いなところを見せつけられているように感じる。
 自分の醜い部分、大嫌いな部分。
 
 それを隠したくて、見たくなくて
 心の奥底の、さらに奥にある金庫に鍵をかけて閉めておいたのに
 
 それを無理やりこじあけて、取り出されて、目の前にみせつけられるような感覚。

 私は、
 いや、私たちは

 少し周りの人と違う。
 それは小さい頃からなんとなく感じてた。

 鬼ごっこが楽しくない。
 かくれんぼが楽しくない。
 みんなが楽しいと思うものが、楽しいと思えない。

 教室の隅でずっと自由帳に絵を描いてると、1人の女の子がこう言った。
 「葵ちゃんって、なんか変わってるよね」

 そんなことない。
 私はみんなと同じだよ。
 鬼ごっこ?いいねやろ
 私もやりたかった。負けないよ。

 その日から、絵を描くのが恥ずかしくなった。

 埃を被った自由帳だけが残った。

 友達は大事だ。
 1人でいるのは怖い。

 みんな影で私の悪口を言っているように思えた。
 大事なことを自分だけ知らされていないように思えた。

 みんなと違うことが怖い。
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 友達みんなで輪になっておてて繋いで
 同じ服着て、
 同じ髪型にして 
 同じ方向向いて歩いていればいいんだ。

 人から嫌われたら終わりだ。
 他人の顔色うかがって、
 嫌われないように、
 嫌われないように嫌われないように。

 これが私の生き方
 これがみんなの生き方
 みんなこう生きるべきなんだ

 それを葵、
 お前はなんだ?

 自分の好きなことばかり言って。
 人の気持ちを読み解こうとしないで自分のことべらべらしゃべって
 
 お前のことなんかみんなそんな興味あるわけないだろ。 
 それなのに
 
 なんで私より、お前が好かれるんだ。
 そう、今井凛久のことだ。
  
 私は必死に自分を押し殺して好かれようと努力しているのに
 好かれようと、なんの努力もせず、だたありのままの自分でいるお前のほうが今井凛久に好かれていることが

 本当に、本当にむかつく。
 
 だから____

 「消えろ!!」
 声が裏返った。
 のどが枯れるぐらい叫んだので、のどの奥が少し痛い。

 その時、
 「・・・・・・・だ」
 葵がなにかぼそぼそと言っているのが聞こえた。

 「は?」

 「嫌だ」

***

 「アカコォ!!!」

 今井凛久は電話越しにそう叫んだ。
 「ちょっと!今井君!!」

 鈴木茉莉に携帯を押しつけ、教室を飛び出す。
 「はあ~?なんなのもう!!」
 茉莉もわけがわからず今井を追いかける。 

 教室に残された波多野優紀は一人、現在の状況について考え込んでいた。
 
 アカコが一色葵を呼び出す?
 ということは一色葵とアカコが同時に存在してるということか?

 こんな

 こんなバカなこと起こるわけない
 一色葵が完全に2人に分裂してる
 これじゃあ翠が話していた童話の再現じゃないか。
 
 一色葵は二重人格じゃなかったのか?
 いや、多くの根拠に基づいてそう結論付けたはずだ。

 落ち着け

 冷静になれ波多野優紀。
 必ず何かのトリックがあるはずだ。
 考えろ。

 全身から冷や汗が止まらない。

 恐怖
 意味不明なもの恐怖だ。これは
 
 くそっ
 考えがまとまらない。
 こんなとき、どうすれば・・・・・

 そうだ、翠
 一色翠に電話してみよう。
 彼女ならなにかわかるかもしれない。

 とにかく自分一人ではどうすることもできなさそうだ。

 波多野は翠に電話をかけたが、通知音が虚しく鳴るだけだった。

 「くそっ!!」

 生徒会の仕事で忙しいのか、部活の最中で電話に出れないのか。
 直接会いに行くしかない。
 波多野は教室を飛び出し、生徒室へ向かった。
 

***

 痛い
 痛い痛い痛い痛い痛い

 赤い髪の女に足蹴にされてる。
 靴をぐりぐりとこめかみに押し付けられる。

 頬に小枝や石が当たって痛い。

 赤い髪の彼女が何者なのか、言っていることからなんとなく予想がついてきた。

 あたしは、自分が嫌いだった。
 本当に本当に大っ嫌いだった。

 周りと違うことは怖かった。
 だから他人に好かれるように努力した。

 人の顔色をうかがって
 つねに神経尖らせて
 流行に敏感になって
 みんなが使う言葉をあたしも使って
 嫌なことがあっても胸の中にぐっと押し込めて

 笑顔を作ってた

 作り笑いは得意だったから______

 そんな自分が大っ嫌いだったから
 だからあんたが出てきちゃったんだよね。

 赤い髪に自然なメイク
 可愛らしい服装
 物腰が柔らかくて
 人当たりがよくて
 人の話をよく聞いて

 自分のことは一切話さないで

 あんたは昔見た外国の童話の主人公に似てるね。
 あの童話、なんてタイトルだっけ。

 あんたみたいになれたら、
 きっとみんなからチヤホヤされて
 いつも周りには友達がたくさんいて・・・・・

 でも、そんな偽りの自分で出来た友達なんて、
 本当の友達なんて言えるの?

 あたしはね、あたしらしくいることを肯定してくれる人と一緒にいたいよ。

 あたしは消えたくないよ。
 だから、あたしはあんたにこう言う。

 「‥嫌だ」

 「‥は?」

 そう、そうだよ

 「こんなあたしを受け入れてくれる人がいる」
 茉莉の顔が浮かんだ。

 「素のあたしのままで、そのままのあたしでいいと言ってくれる人がいる」 
 いつの日か、今井凛久が自分に言った言葉が頭に浮かんだ。

 「こんなあたしのことを」

 _____一色さんの絵、すごい綺麗だね。もっと見せてよ。_____

 「好きと言ってくれる人がいる」
 赤毛の女のくるぶしを右手で掴む。

 「だから、消えない」

 「‥いっった!」

 力を込め、ついでに爪をたててやる

 「いっっってぇぇなぁ!!」

 足を振り上げガンガンとあたしの顔を踏みつけてくる。

 「い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ああああああああああああああああああっっ!!!!!」
 
 右手に思いっきり力をこめる。
 赤毛の女のくるぶしから血が出てくる。
 左手も追加してやる。

 「いいいっっ痛い!やめろ、離れろ!!」
 足を左右に振って手を振りほどこうとする。
 その隙に足から手を放し、素早く立ち上がる。

 「てめえ!!!」

 赤毛の女があたしの髪を引っ張ってフェンスに押し付ける。
 あたしも負けじと髪を引っ張り返す。
 
 頭皮が引っ張られ、髪の毛が全部抜けるんじゃないかと思う。

 「あんたはあたしが大っ嫌いだろうね」
 あたしは赤毛の女を睨みながら言った。

 「あたりめーだろ」
 「それでもいいよ。あんたがあたしを嫌いでも。でもね」
 髪を引っ張っていた手をゆっくりと赤毛の女の頬に添える。

 「でも、あたしはあなたを受け入れる。」

 あたしもあなたが大っ嫌いだった。
 だから、こうなっちゃった。
 分裂しちゃった。

 だから、あたしはあんたを受け入れる。

 だってあんたは、あたしが
 学校で
 この社会で
 安全に生きていくために作り出した女の子なんだもん
 
 あんたがいたからあたしはこれまで生きてこれた。
 
 あたしが嫌いでもいい。
 でも、あたしはあんたを否定しない。
 
 自分で自分を否定したら、誰が自分を肯定すんのよ。
 
 「だから____」
 ふらりと視界がぼやけた
 取っ組み合いの喧嘩なんていままでしたことなかったし、頭を蹴られた衝撃で気を失いかけていた。
 
 その時_____

 「一色さん!!!」
 「アオ!!!」

 親友と、

 好きな人が現れた。

***

 そうか____
 私は葵のかわり。
 葵が作り出した、別人格・・・・
 
 でも私は評判よかったよね。

 葵が出ているときは
 「もうちょっと落ち着いた格好の方がいいんじゃない?」
 「もっと女の子らしい髪型にしなさい」
 「なにこのキーホルダー。アニメ?葵ちゃんこんなの好きなの?もしかしてオタク?」
 こんな風に回りから言われてた。

 私がでてくると
 「似合うね、その髪型」
 「女の子らしくていいね」
 「かわいい!」
 そう、これが望まれた私

 私はきっと____
 葵、あなたが羨ましかった。
 
 気なんか使わないで
 ありのままでいられて。
 ありのままのあなたを好きになってくれる人がいて
 
 私が頑張ってきたことが否定された気がしたんだよ。

 だからムカついた。
 大嫌いだった。

 でも、あんたはそんな私も受け入れてくれるんだね。

 やっぱり葵、あんたはそのままでいるのがいいよ。
 私はもう必要ない。

 ボロボロと涙が溢れた。

 涙が頬をつたい、口の中に入る。

 少し、しょっぱい味がする。

 ああ____

 もう、  消えるみたい

 「さようなら、 今井くん」

***

 「一色さん!!!」
 「アオ!!!」
 
 校舎裏に行くと、ボロボロのアカコと葵が倒れていた。

 制服は土と草にまみれ、ところどころ血がついていた。
 髪はぼさぼさで、顔はフェンスに引っ掛けたのか血が垂れていた。

 茉莉が葵を抱き寄せ、
 今井はアカコの方を抱きかかえた。
 
 すると、アカコの体が徐々に変化していった。

 赤色の髪が、青みがかった黒髪になり、肌は色白へ、
 まるで葵の体からアカコが消滅したようだった。
 
 完全に体が戻った葵は今井の腕の中でスースーと吐息をたて
 長いまつ毛を伏せて眠っていた。

 やはり、アカコの正体は一色葵だったのか・・・

 では、さっきまで葵だった人は?
 一体どうなってるんだ?

 茉莉が抱きかかえていた葵の方を見るとアカコと同じような変化を見せていた。
 体つきが徐々に変化していたのだ。

 まさか、この女性も二重人格なのか?
 だとすればアカコが元の人格である葵に戻ったのと同じく、この女性も元の人格に変化しているということだ。

 女性は日焼けした肌に誠実そうな顔立ちへと変化していった。
 すらりとした長くて細い脚。引き締まった体形・・・・・・・・・
 

 まさか
 あの人がどうしてここに

 その人物は今井も茉莉も波多野も、ひいてはこの高校の、ほぼ全員が良く知る人物だった。
 
 波多野も校舎裏に駆け付け、
 「今井・・・・っ!」
 現場をみて状況を察した。やっぱりそうか。とでも言いたげな顔をしていた。
 その顔はひどく困惑し、ショックを受けているように見えた。

 その時、眠っていた葵が目を覚まし、目の前にいる女性をみた。

 「え・・・・・っ」
 葵は蚊の鳴くような震える声でその人物の名を口にした

 「・・・お姉ちゃん・・・・・?」

***

 2日振りに来た学校はなんだかよそよそしく感じられた。
 今井を見てヒソヒソと噂話をする声が聞こえた。
 噂話するなら、もっと聞こえないようにしろよと思った。

 アカコと葵が取っ組み合いをした出来事は学校でちょっとした騒ぎになっていた。

 というのも、あの後鈴木茉莉が先生を呼びに行き、土まみれの葵たちを見た先生が教頭を呼びに行き、騒ぎを聞きつけた野次馬たちがこぞって校舎裏に集まり、救急車まで来たからだ。

 その場にいた今井、波多野、茉莉は先生に呼び出され、事情聴取された。今井はこれまでのこと、知ってることを全て話した。

 その日は事情聴取だけで済んだが、次の日、病院の先生が聞きたいことがあると今井と波多野を呼び出した。学校は公欠となり、病院の先生と話をした。

 今井は2日で解放されたが、波多野はまだ話があると残された。
 波多野が学校に来たのは今井が学校に復帰したさらに次の日だった。

 病院にいる間、波多野とはほとんど会話出来なかったため、なんだか久しぶりな感じがした。
 放課後、示し合わせたかのように自然と図書室に集まった。

 「なんだか大変なことになったな」
 「確かにそうだな。でも一番大変なのは一色さんだ。こんな大騒ぎになってちゃ、学校にも戻って来づらいだろう。あることないこと噂されてるかもしれないし。」

 「確かに‥それで、結局、なにがどうなってたんだ?アカコの正体は結局、一色さん‥葵さんなのか?でも、葵さんが一色翠会長になって‥なにがどうなったのかさっぱりわからなかったよ」

 「あの時現れた一色葵は、姉の一色翠が葵のフリをしてた。」
 「ということはやはり‥」

 「そう、一色翠もまた、解離性同一性障害、二重人格だったと言うことだ。」

***

 あとで分かったことだが、病院の先生は波多野の話を受け、精神科医の先生に診断を依頼した。その結果、一色葵、一色翠、2人とも二重人格だったと正式に鑑定を受けた。

 波多野は続けた
 「二重人格は、ホスト人格にとって憧れの人、こうなりたいという人になりきるうちにその人格の自我が芽生えるというものだ。

 一色翠は中学生の時にいじめにあっていた。
 原因はおそらく、スポーツ万能な上に成績優秀、容姿端麗。周囲から疎まれていたんだろう。
 それ以降、なにかと自分を主張することが出来なかったのかもしれない。

 一色翠にとって妹の葵は、自分の好きなことがあって、それに夢中になれる憧れの存在だった。
 葵のまねをしているうちに翠の中で葵の別人格が生まれてしまったというわけだ。

 それを踏まえ、これまでの出来事をもう一度、振り返ってみよう

 10/3 (土)第一のデートについては俺が以前解説した論で間違いないだろう。
 アカコが一色葵の人格を乗っ取り、今井に電話で日程変更。アカコと今井がデート。10/4 (日)に一色葵が今井に怒りの電話という流れだ。

 問題は俺たちが調査を始めた10/5 (月)だ。
 俺は一色翠に今井と葵のデートの件を話した。それを一色翠の中にいる別人格、ここでは“アオイ“と呼称することとするが、アオイは俺が一色翠に話した内容を聞いていたと考える。
 アオイはアカコと同じでホスト人格、つまり翠より権力が上なんじゃないだろうか。
 デートの件を聞いたアオイは、デートしてくれた今井に興味をもったのか、それともただ自分のことだと勘違いしたのか10/10 (日)のデートに参加することにした。

 10/10 (日)、今井と本物の一色葵がデートする。その様子をおそらく翠の体を乗っ取ったアオイはつけていたんじゃないだろうか。
 デート中に一色葵の中のアカコが主張しだした。葵は頭痛を起こしてトイレへ行った。
 その隙にアオイは今井の前に現れ、葵のフリをしてデートする。

 トイレでは葵とアカコが体の持ち主を巡って激しく争っていた。
 結果、権力が上のアカコが葵の体を乗っ取った。アカコは今井の元へ戻ったが、今井の姿はない。
 今井は鈴木茉莉に言われたことが気がかりでデートを早く切り上げたからだ。

 慌てて今井の後を追いかけると、今井とアオイ (翠) が2人で歩いている姿が目に入った。

 アカコは自分が体を乗っ取ったはずの葵がまだ性懲りもなく現れたように見えた。

 そんな
 あんなに強く押し込めたのに、また出て来やがった。

 アオイを今度こそ消滅させるためにどうすればいいか考えたアカコは、今井を利用することを考えた。
 今井のふりをして電話をかけてアオイを誘き出すことにしたんだ。

 アカコは駅で今井とアオイ (翠) が別れたタイミングで今井の前に現れた。
 今井の携帯を全く同じ機種とすり替えた。

 電話でアオイを呼び出しても、翠の人格で電話に出られてしまうと元も子もない。
 でも今井の携帯から電話すれば必ずアオイの人格を引き出せると考えた。

 アカコはすでに葵の体を自由に乗っ取れる状態になっていた。
 
 学校に登校する前か・・・それよりも前、前日の夜のうちかに葵の体を再度乗っ取った。
 クラスメイトに不審がられないよう葵の姿に寄せて登校し、電話でアオイ (翠) を呼び出す。

 そしてアカコの状態でアオイ (翠) との待ち合わせの場所である校舎裏に向かう。
 この場面を先生に見つかって少し騒ぎになっていた。
 アカコの状態になったのは翠が既にアオイになっている場合、葵のままだと同じ人間が2人いるように見え、周囲から不振がられると思ったからだろう。

 そしてアカコ (葵) 、アオイ (翠) が対面してしまうという事態になった。

 これが今回の出来事の真相だ」

 「なるほどな・・・お前すごいな。」
 「まあな。状況と知識で推測を立てただけだが。だが今回、俺たちが変に一色葵や翠のことをかぎ回ったせいで一色翠の中のアオイを目覚めさせてしまったわけだし、責任は感じてるよ」

 「まあな。それでもお前の推理はすごいよ。お前がいなかったらなにもわからないままだったし」
 波多野はぼさぼさの髪をぽりぽりとかいた。

 「それにしても、一色葵の気持ちもわかるよな。」
 波多野は話をそらすように続けた。

 「自分はこうあるべき、こうすればみんな喜ぶ。そうやって自分を演じてる。そういう人は決して少なくないはずだ。 
 別に悪いことではない。相手のために自分を変えるなんてよくあることさ。でも、そのために自分を犠牲にして、嫌なことがあっても我慢して、
 そんなこと続けてたら持たないよな。そういう意味では、俺たちはみんな二重人格なのかもしれないな」

***
 
 アカコ (葵) 、アオイ (翠) の取っ組み合いから3週間ほどがたった。
 葵はまだ学校に戻ってきていない。
 葵に会いたい。
今井はそう思った。

 今井は担任の先生に葵の容体について聞いてみると回復傾向にあるとのことだった。
 葵に会わせてもらえないか何度か直談判したが、答えはノーだった。

 別人格を引き出す原因となってしまった今井と会わせるのは危険だと病院の先生が判断したのだ。

 それからさらに数日後、

 「突然ですが、一色葵さんはしばらくの間休学することになりました」
 担任からの突然の報告に今井は頭が真っ白になった。

 次の日、葵の母親らしき人が葵の荷物を取りに来た。
 もう二度と葵には会えないのか。
 荷物をまとめる母親の姿は、残酷な現実をまじまじと突きつけていた。

 葵の母親の手にはもう1人分の荷物も抱えていて、とても重そうだった。

 「お持ちします」
 今井は翠の荷物らしき方を抱えた。

 「あら、ありがとう」
 葵の母親は初めて見たが、見るからに疲れ切っていた。
 娘二人が二重人格だったともなれば相当のショックだったろう。

 昇降口まで運んだところで葵の母親は
 「ここまででいいわ。ありがとう」
 と言った。

 「いいえ」
 「あなた、名前は?」
 「今井です。今井凛久」
 「今井‥あなたが‥」

 葵の母親は言った。
 「葵がね、会いたがってるの。あなたに」

***

 「病院の先生は別人格が発生した原因となった今井君に会うのはよくないっていうんだけど、
 迷惑をかけたから、巻き込んでごめんって、謝りたいって何度も言ってて・・・・
 症状はだいぶ良くなって来たからもう大丈夫だろうって先生もおっしゃっててね
 都合のいい時にこの病院まで来てもらえないかしら」

 葵の母親から渡されたメモに書いてあった病院に今井凛久は訪れた。

 受付に向かうと病院の外に広い芝生があり、そこで待っているように言われた。
 芝生ではリハビリをしている人や車椅子に乗って散歩している老人がいた。

 「今井君・・・・!」
 1ヶ月後ぶりに会った葵は少し痩せていたが、顔は以前よりも明るくなっていた。

 近くのベンチに腰かけ、二人で話をした。
 「あたし、ずっと今井くんに謝らないとと思ってて。あんなことになっちゃって本当ごめんね。」
 「そんな、俺のほうこそごめん。」

 久しぶりに会ったからか、うまく会話が進まない。話したいことは沢山あるが何から話せばいいのかわからない。

 「実はね、茉莉とは何度か会ってたんだ。学校のこととかいろいろ話聞いた。」
 「そうなんだ」
 葵は遠くを見つめながら、ポツリぽつりと語りだした。

 「あたしね。今井君と出かけるのはすごい楽しかった。でも今井君に気に入られるためにいろいろがんばっちゃってさ・・・・・、それであんなことになっちゃったんだと思う」
 「うん」
 「だからその‥ごめんうまく伝えられなくて。正直、自分でも今の気持ちがわからなくて。あたしがその・・・今井君とどうなりたいかとか・・・・」
 
 「ごめんね、気づかなくて」
 今井が口を開いた。

 「俺、一色さんが楽しいと思えることをしたかった。俺は一色さんと一緒にいれるだけでよかったから。
 俺、一色さんは強い人だと思ってたんだよ。自分を持ってて、周りを気にしないで。でも本当はありのままでいることに悩んでて、俺の気づかないところで沢山気を使ってて・・
 俺一色さんのこと、なんにも知らなかった。ほんとごめん。一色さんのこと、教えてよ」

 違うよ、それは違う。あたしがあなたの言葉に何度助けられたか・・
 葵はそう言おうとしてやめた。今は自分のことを話すべきだと思ったからだ。

 「あたしはね・・・・絵を描くことが大好きなの」
 「知ってる」
 なんだかおかしくなってきて、二人でクスクスと笑い出した。

 ああ
 もっと早くこうしていればよかった。
 そう葵は思った。

 今井には鈴木茉莉のような友情とは違うものが芽生えていた。
 
 信頼___
 彼ならそのままのあたしをぶつけてもいいと思えた。

 もし、受け入れてもらえなくてもそれでもいいと思えた。
 この人の前ではありのままの自分でいたい。そう思えた。

 これが恋愛というものなのだろうか。

 今井の手がそっと葵の手に触れた。
 「・・・っつ!」
 葵は反射で思わず手を引いてしまう。
 「ごめん、嫌だった?」
 「いや・・・っっ」

 やはりこの感情の正体は今のあたしにはわからない。触れられたもう片方の手で顔を隠してしまう。
 いまの顔を絶対に見られたくない。そう思った。

 「嫌じゃない・・・・・嫌じゃないから」
 葵が手を差し出すと今井が優しく握ってくれた。葵はその手をそっと握り返した。

***

 仕上げている絵がひと段落つき、ほっと息をついて大きく伸びをした。
 ココアでも飲んで少し休憩しようかと席をたったとき、電話が鳴った。

 「もしもし」
 「アオちゃん?おいっす」
 「おいっす。どうしたの?」
 「いや、なにしてんのかなーって思って」
 「なにそれw」

 凛久からの電話はいつも唐突で、でもそれを嬉しいと感じ、受け止めてしまっている自分がいる。
 もちろんあたしから電話することもある。そういえばあたしが電話するときもいつも唐突だったかもといま気づく。
 なにか進展があるわけでもなく、イチャイチャするわけでもない何気ない会話が続く。

 「お姉ちゃん、来週誕生日なんだよね」
 「へー、そうなんだ。なんかプレゼントするの」
 「それ、どうしようか悩んでんだよね」
 「確かに悩むね。よかったね。お姉さんとまた仲良くなれて。」
 「まあね。そんなすぐ元通りってわけにもいかないし、過去のことがなかったことになるわけでもないけど
 ゆっくりでもいいから仲良くなれたらいいなって思うよ」

 話しながらコップにお湯を注いでスプーンでココアを溶かす。

 「アオちゃん?」
 「ん?」
 「来月の1日空いてる?」
 「空いてるけど。なんで?」
 「どっかご飯行こうよ」
 「いいよ。どこ」
 「そのへんはまた後で連絡する。とりあえず開けといてね!お腹もすかせといて」
 「わかった」
 「じゃあ、また」
 「うん」

 電話は切れた。行く店も決めてないのに日にちだけしっかり決めてお腹もすかせて・・
 明らかに不自然な約束だった。

 しかしあたしはこの不自然さの意味を理解することができた。
 この世界でたった一人、あたしだけがこの言葉の意図を知ることができる。

 来月の1日、10月1日はあたしたちが付き合って2年の記念日なのだ。行く予定の店をここで言わないのもたぶんそういうことだろう。
言わなくても分かり合える関係に魅力を感じていたころもあった。
 しかしそれが話し合うのが苦手な人間の逃げ道であることに気づいた。

 あたしはある事件から解離性同一性障害と診断され、2か月ほど入院した。通院しながら高校に戻り、欠席も多かったがなんとか卒業できた。
 両親にお願いして大学入学と同時に一人暮らしをさせてもらった。
 現在、大学1年生。授業の課題に追われながら大好きな絵を描いて毎日を過ごしている。

「よーし、やるか!」
 ココアを飲み終わり、再び気合を入れ直す。
 今描いてる絵は来週末には投稿したい。

 例え多くの人に見られなくとも、

 理解されなくても、

 お姉ちゃんでも、
 かつてあたしの中にいたあの人でもない。

 あたしだけが描ける。あたしだけの創造を
 自分を表現して、それを形にしていくんだ。

 あたしの描く色は、決して色あせることはないのだから___

 

ー完ー

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?