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インナーチャイルドと向き合って、孵化する。

皆さんの幼少期の家族との記憶は、どんな想い出であふれていますか?

家族で旅行や遊びに行ったり、家でのんびり過ごしたり。
時にぶつかりながらも、なんでも相談できる存在だったかもしれません。

家族のかたちは人それぞれだけれど、だからこそ隣の芝生は青く見えるものです。

私は、隣の芝生が青く見えて仕方なくて、とてつもなく心が苦しかった。

今回は、そんな話をしてみましょうか。




インナーチャイルドを持つ自分がいやだった

皆さんは、インナーチャイルドという言葉をご存知ですか?

インナーチャイルドとは、大人になってもなお心の内にいる子どものような自分のことです。
幼少期のつらい体験や精神的なショックなどによって形成されると言われています。

私にも少なからず、インナーチャイルドが存在していました。

他人は誰も私を助けてくれやしないと拗ねていて
誰も私のことは分かってくれないからと諦めていて
仲の良い家族の家庭で育った人と私は違うと思っていて

そんな「現実に味方なんていないから、ひとりで生きていくわ」という子どもが、私の心の中にずっと鎮座し続けていて。

だからこそ、人に素直に頼ることができなくて、助けを求めることができなくて、なにより人と関わることが嫌いでした。

いつどんなときもひとりで抱え込んで、どうにかしなきゃと奮闘して、5本くらい歯をすり減らして。笑(これは本当の話。)

どこかで「今のままの自分ではだめだ」とも思っていましたが、どのように変わっていけばいいのかも分からなかったし、変わることが怖かった。

そんな臆病すぎる自分が嫌すぎて、ずっと目をそらし続けていたのです。


自分の弱さが作り出した存在

ずっと、何が嫌だったのか、何がつらかったのかを考えていました。

何かと長女としての振る舞いを強要され、妹たちの面倒を見ないことを怒られ
それゆえに、いかに母の機嫌を損なわないようにするかを考え
家事をしない父の姿に怒る母を見ながらハラハラして
自分が手伝いをしないことにいつ怒りを向けられるかに不安を覚えて
いつの間にか、人の顔色を伺ってばかりの人間になっていました。

そうして過ごす毎日の中で私は、どんどんと「子どもでいることを許されない子ども」になっていき、「子どもでいることを諦めた子ども」になったように思います。

私がしっかりしなくちゃいけない
私が妹たちの面倒を見なくちゃいけない
私がどうにかしなくちゃいけない

そんな強迫感に、常に追われていた。

母は真面目な人だったので、何かと厳しいところもあって。
直接的に言われることはなかったものの、

成績がよくなければならない
人に迷惑をかけてはいけない

そんな風に私は「形づくられてきた」ように感じています。

母の思う子どもにならなければならない
そんなプレッシャーが、ずっとあったのだと思います。

子どもにとっての親は絶対的な存在であり、家庭は唯一の社会。
だから、そこが不穏になっては困る。
なんとかなんとか、それなりに安心して過ごせる場所であってほしいと子どもながらに願うものです。

そうして自分自身が頑張ってきてしまったがゆえに、人よりすこしだけ多く傷ついてしまったように感じてしまって、私の中の「子どもでいたかった」というインナーチャイルドが生まれたのかもしれません。


自分の中の幼い自分を自覚して

友人と話していると、常々感じることがあります。

親が自分のやりたいことに「いいね」って言ってくれる。
それがあなたの考えたことなら、思うようにやってみたらいいよって言ってくれる。

そもそも、何かを親に相談しようと思える。

それがとてつもなくうらやましくて、なんて軽やかですがすがしい関係で、素敵な親子なのだろうと。


そう思っている自分にふと気づき、今まで普通だと思っていた家庭環境が実は不穏なものだったのかもしれないと思い始めてから。

私は自分のつらかったことを自分自身で受け止め、なだめることを始めました。

誰にも分かってもらえない。
それは当たり前だったんです。だって誰にも言ってなかったから。言ってもわかってくれないと諦めていたんです。

正直、そんな自分が自分の中にいるということに向き合うのは、とてつもなくつらかったです。
ここにきてもなお、つらい思いをしなければいけないのかと心底生きづらさを感じて心が痛かった。

どうして私は普通に生きられないのだろうと、自分が嫌いにもなりました。

それでも私は最終的に、自分自身にこんな言葉をかけました。

本当につらかったし苦しかったよね、そんな自分でいさせてごめんね。
誰にも頼らないで生きていこうと思わせてごめんね。
こんなにも頑張らせてしまって、ごめんね。

心の中の自分へ

まるで自分の「内なる子どもの母親」になったかのように。
他でもない自分自身が、自分にやさしく寄り添ってくれる、味方でいてくれる存在となれるように。

もちろん、受け入れることはおろか、そんな幼くて拙い自分がいることを自覚するのにも時間がかかったし、「偏屈な自分」がいることも認めたくありませんでした。願わくば私には、純粋で心から輝いた素直な人間でいてほしかった。

でも、生まれながらにそんな”きれいな”人間でいる必要なんてまったくないことも、同時に知りました。
今までの私は「偏屈な自分を抱えた私」だったかもしれないけれど、今は違います。
自分の弱さやつらかったことを知って受け入れてあげて、母のようにやさしく包み込んであげることができて。そうしてやっと、「素直な私」のスタートラインに立てました。

そうしてあらためて見る周りの景色や人々は、前よりずっとやさしさや愛であふれていて、安心できる世界にも見えたのです。


誰しも、自分を好きになれる

そうして見える世界が変わったことをきっかけに、これまでどこか親に思考を支配されつづけて、何をやるにも親の許しを乞うていた自分が選んできた道を捨て、1から自分の道を切り開きなおすことに踏み出してみたんです。

そうしたら、驚くほど自分のことが好きになれました。

これまで何に対してもおびえて、型にはまった自分でこれからも変わらず生きていくんだと窮屈に思っていた殻を破ったことで、私は孵化した私になれた気がしています。

私と同じような経験をしている人がもし、近くにいるならば。自分を責めずに、自分を赦して、もっと自由に気楽に考えて生きていいんだよって伝えたい。

私はこれから、自分と同じように過ごしてきたり同じ思いを経験した人の気持ちに寄り添いたいとも思っています。

何よりも、ずっと幼いころの経験や痛みで苦しむことってつらすぎることです。それが癒せたら、もっと素敵な景色が見えてくるよ!そんなことも伝えたい。

明日が見えなくなって、人を信じることが怖くなった自分になってしまっても、自分を好きになることは必ずできます。だって自分自身はいちばん自分の近くにいて、気持ちが分かる存在だから。

悩まなくていい。もっと素直になっていい。

そんな許しは、勝手に自分で自分に与えていい。誰の許可もいりません。

もっともっと、人生楽しく軽やかに生きていけたら。今より輝いた明日があって、明日よりもっと輝いた未来が見える日がくるから。


もう、ひとりで抱え込んで悩むのはやめた。




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