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ひょんなことから看護学生

幼稚園の時、人形劇を観てお芝居の世界にのめり込んだ。

小学校では演劇クラブ。中学校では演劇部。高校になると、部活だけではもの足りず、仲間と劇団を作って活動をしていた。
そんなにも演劇が好きだった私は、将来、舞台にたずさわる仕事をしようと心に決めていた。

なので、高校2年の進路相談の時、進路について聞かれた私は胸を張って『舞台音響か照明の仕事につきたいです』と答えた。

しかし、その言葉を母が一喝した。
『そんなこと、自分で食べられるようになってから言いなさい!』

今振り返っても納得のいかない言葉だ。
でも、当時、私にはそれを跳ね返す勇気はなかった。なので、泣く泣くその言葉を受け入れた。
でも、芝居の道を諦めた訳ではない。親を言う通り、自分で稼げるようになったら自分の力で専門学校に行ってやる。そう心に誓っていた。

親が言う通り、自分で食べていければ職場はどこでも良かった。なので、たまたま家に来ていた生命保険のおばさんが『○○病院で職員を募集していたよ』という言葉で、ろくに就職活動もせずに就職先を決めたのだ。

思えば、これが私の人生の転機だったのかも知れない…

お芝居をしたくて、とりあえず病院に就職した私。そんな私の仕事は看護助手という、いわゆる看護師の雑務の手伝いのようなもの。患者さんの過ごす環境の掃除をしたり、食事の時にはお茶を配ったり、検査に連れていったり…。演劇とは程遠い仕事だった。
そんな仕事をしながら、劇団の仲間と芝居の稽古に明け暮れる毎日を過ごしていた。

そんなある日、事務長から『看護学校を受けないか?』と声をかけられた。
看護師になるなどということは、頭の片隅にもなかった私は『ないです』と即答をした。にもかかわらず、事務長は私の姿を見るたびに『看護学校にいけ』と声をかけ続けた。
『いきませんよ』と笑って返事をする私に、笑って『行けばいいのに』と言う事務長の姿を見るたびに、『事務長、冗談がしつこ過ぎだよ…』と内心思っていた。しかし、事務長の言葉は冗談でも何でもなく、本気で私を看護学校に行かせたかったのだということがわかったのは、それから1~2ヶ月後のことだった。

劇団の公演を翌月に控え、休みをもらうために勤務希望を所属長に出すと、いつもはそのまま受けてくれる所属長が、なぜか看護部長の所へ行き勤務希望を出すように言ってきた。なぜだろう?そう思いながら看護部長に休みの希望を伝えると、思いがけない返事がきた。

『看護学校を受けるならお休みをあげます』

一瞬、何を言われたのかわからず、しばしの沈黙が続いた。すると、看護部長は再び『お休みがほしいんでしょう?じゃあ、看護学校を受けてみて。受けてくれるなら長めにお休みをあげるから』と優しい微笑みを浮かべながら繰り返した。

看護学校を受ける…
看護師になる気もないのに…
でも休みはほしい…
公演を前に、長めの休みは嬉しい…
でも、看護学校…

頭の中でしばし自問自答を繰り返した結果、私は看護学校の受験を容認した・・・・・

< 次に続く >

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