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年度末に、学校の先生とSNSについて考えてみる

先生とSNSの関係性について、ちょっとした気づきがあったので綴ります。

「やってるけど見るだけなんですよー」の意味

地域の面白そうなイベントやワークショップに参加すると、「実は教員をしていまして」という方に出会うことがあります。
楽しくおしゃべりをしたあと「インスタとかFacebookされてますか?」と水を向けると返答はこのどちらか。

A「あります、繋がりましょー!」
B「いやーあるはあるけど、見るだけなんですよねー」

Bについては「アカウントあるけど繋がるのまではちょっと…」という意味だなと判断し、「じゃあまたどこかでお目にかかれたら、よろしくお願いいたしますー」と切り上げています。

個人的なつながりに消極的な理由

学校の先生がなぜ個人的なつながりに消極的なのか。
もし私が同じ立場だったらこう考えるな、という想像をいくつか挙げてみます。

いま繋がった相手が、いつ「保護者」になるか分からない

学校の先生というのは、子どもや保護者と平等に接することが求めらるお仕事です。
個人的に親しくなった人があとから「保護者」になった場合、色々やりずらいことがありそう。万が一、相手が「モンスターペアレンツ」になるリスクを考えると、私ならちょっと二の足を踏むなと思います。

「同僚」とのコミュニケーションで満たされている

学校の先生は、同じ仕事をしている仲間が多く、人事異動で定期的に新たなつながりも生まれます。
しかも私が知る限り、皆さん熱心で魅力的な人ばかり。

同じ文化を共有する人の母数が多いので、人間関係をその中で完結しても、十分満たされる気がします。
先生同士なら、保護者と担任の関係性になっても互いの立場が分かる分、トラブルに発展するリスクも低く安心感があります。

「先生」への目が厳しいから息苦しい

今あげた2点は表面的な理由です。
もう少し深堀したところには、先生は正しくあらねばならないという「世間の常識」があるのではないかと思います。

先生だって人間です、息抜きしたいときも、ちょっと間違っちゃうときもあるでしょう。でも世間の目がそれを許さない。
そんな状況では、外と繋がることに消極的にならざるを得ないのかなと感じます。

「つながる権利」が阻害されてない?

私たちは、互いに連絡先を交換したりSNSで「つながる権利」を持ってます。でも、学校の先生は、前述の理由から外部の人と繋がることへの心理的ハードルがあるんじゃないかと思うのです。

SNSが好きじゃないというならよいですが、「職業上繋がらないでおこう」と自主規制しているなら、つながる権利の阻害です。

SNSは様々な問題を孕んでいますが、社会のインフラになっていることは事実です。
それを活用できる先生が先生が少ないことによる、社会的損失も大きいのではないかなと思いました。

出会った先生方がシンプルに私と繋がりたくなかった、という可能性も全然あります 笑
また、私は教員ではないため、繋がらない理由は想像の域を出ません。

「私はこう感じたよ」とか、「いやいや実はこういう理由なんですよー」など、感想やお知恵をコメントでいただけたら嬉しいです。

「不登校」や「ホームスクーリング」など様々なテーマで連載をしているため、全体をまとめたページを作っています。
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