真っ白な人間を見せ付けられると、黒い染みを探したくなる。
今年は今まで以上にクリスマスのクの字も意識しなかった、アラサー女子の唯です(父・母・兄とチキンやクリスマスケーキを食したイブでした。ケンタッキーを予約しそびれた。イブ当日って、店頭販売していないのね)。
さて、秋ドラマについては、過去2つの記事を書きましたが、
今日はフジテレビ火曜9時の『姉ちゃんの恋人』について。
何というかねー、余りにも真っ白な作品でした。今時NHKでもこんなドラマやってねえぞ、という位に。
私が斜に構えた人間なので、きらっきらした人間や曇りのない善人ばかりの物語はね、正直見るのが辛い。初めの内はね、有村架純ちゃんと林遣都くんの爽やかさを好意的に受け止めていたのだけれど、段々と自分の中での白け度合いの方が増してしまって、うん、共感度は非常に低い作品としてフィニッシュしました。
有村架純演じる桃子は、18歳の時に両親を交通事故で亡くして以来、3人の弟を女手一つで育てる肝っ玉姉ちゃん。で、どこまでも良い人。良い人過ぎる。
まあ、それは許せるのだけれど、最終回に向けて、登場人物の全てをハッピーエンドにしてしまえというか、どのキャラクターもどの事柄も大団円に持って行ってしまえという、無理矢理な舵取りに、もはや呆然としてしまった。上手く行かないことやこれからどうなるのか分からないことを一つや二つ残しておいてくれた方が、こちらとしても息が吐けた。
もちろんね、桃子には弟達を育てるという自分にしか出来ない使命があるし、その人柄故、職場の皆も幸せにしなくてはならないと、そんな役割を自らに勝手に課している。故に、彼女が本当の意味で自分の人生を歩み、自分本位の幸せを手にする為には、周囲の幸福の結実を見届ける必要があった。だから、全員を幸せにしなくてはならなかった、のでしょう。
でも、それにしても、息が詰まったの、このドラマ。
家族のクリスマスパーティーで、それぞれが今抱えている悩みや気になっていることを打ち明けるしきたりがある、のも良いよ。良いけど、それを聞いて胸に手を当てて「受け止めた(こっくん)」って!それを中学生や高校生の男子が何の疑問も持たずに素直に従っているって!小学校3年にもなったら、そんなことやらないよ。なのに。そんな話ありますのん。
小池栄子ちゃん演じる日南子さんも、初めは頼れる姉御肌の先輩として見ていたのだけれど、途中からはただのウザキャラに(私の中でね)。そもそも、藤木直人の様なイケメン優男が、あの歳で未婚で売れ残っているなんて。おまけに、いくら栄子ちゃんが良い女でも、40歳女性と初婚で結婚するなんて、そんな可能性は、限りなくゼロに近い。というか、間違いなくゼロ。ドラマってずるい。
そうだ、このドラマはスペシャルドラマとか、2~3話とかの枠で、あっさりさっくり放映すべきだったのではなかろうか。毎週この「私達色々な過去もありましたけど、家族皆で手と手を取り合ってスクラム組んで、毎日笑顔でハッピーに暮らしてます!(きらきら!どや!)」を見せられるのは、もうね、鳥肌が、さぶいぼが止まらなかったのです。
いやー、何だろうな、これはこの素直な作品を素直に受け取れない私の器量の問題かもしれないね。でも、この素直さを受け取れない人間もこの世には居るのだと、声を大にして言いたい。
確かに、私のこれまでの恋愛を振り返ってみても、桃子の様に「本当に素敵な人なんだ」と、彼氏に評された試しが無い気がする。可愛い、面白い、楽しい、おかしい、変、放っておけない、みたいなことは言われていたかもしれないが、きっと、素敵な人と言われてはいないはず。ああ、だからか。
「そばにいて」と、弱音も言える強さを持った林遣都くんも、「キスしても良いですか」って聞く林遣都くんも、その歳で?という突っ込みはぐっと堪えて、まあ、何だかんだ好きだけれどね。でも、真っ白な彼らに一滴の黒いインクを垂らせば、それこそが人間らしさ・人間臭さとなり、より愛されるキャラクターとなっただろうになあ。
私も3人の弟に囲まれたら、オタサーの姫気分で毎日ちやほや気分を味わい、もっと清らかな人間になれたかしら(この思考がまず良くない)。
今作、第6話で観覧車に乗るシーンがあるのだけれど、同じく有村架純主演の『中学聖日記』でも、この葛西臨海公園の観覧車に乗っていたのです(『中学聖日記』は神がかりドラマ。その中でも観覧車の場面はクライマックス)。個人的にはその点が最も胸アツでした。
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