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【日本一周 京都・滋賀編16】 天龍寺の新しすぎるシンボル

 7時起床で7時半には宿を出発する予定だったが、目を覚まして時計を見ると7時半。やばし。てんやわんやで支度をすませ、10分ほどで宿を出た。

 なんとか7時50分のバスには乗ろうと近くのバス停へ急いでいると、尾道が財布と携帯を宿に置いてきたことに気がついた。現代における三種の神器を2つも忘れるとは。僕はリュックを預かり、尾道ははる家へとダッシュした。

(今思うとここまで急ぐ必要はなかったような気もするが、結果として充実した午後を過ごせたため英断だったと言えるだろう。)

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 結局50分のバスには間に合わなかったが、遅延を10分程度に抑えて天龍寺に到着することができた。天龍寺は世界遺産の一つであり、境内に造られた日本庭園がなんとも美しいらしい。今まで嵐山に来たことは何度かあったが、拝観時間やスケジュールの関係で一度も入ったことはなかった。そのため、天龍寺に対する期待値は自然と高くなっていた。


 とりあえず、かねてより耳に聞く庭園を一目見るために奥の受付へ進むと、庭園のみの500円のチケットと、庭園と本堂のどちらも入れる800円のチケットが売られていた。少々迷ったが、+300円でなにか面白いものが見られるならばと800円のチケットを購入した。旅行におけるこういった局面においては、少し渋ったためにあとあと後悔することが多い(松島の瑞巌寺のように)。と、この時点では、我々は正解を選んだように思っていた。

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 本堂に入ると、正面に達磨大師の肖像画が置いてあった。誰か名のある画家の作品かと思いきや、前住職が描いたものらしい。この時点で本堂から軽いジャブを入れられた気がした。俺たちゃ一言も宝物館とは言ってないぞ、と。

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 本堂を進んでいくと、鄙びた渡り廊下が現れた。庭園の合間を縫って敷かれるその道からは、四季折々の草花が見渡せるはずだったが、季節が季節だけに一面枯れ木色であった。

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不思議な位置にある梵鐘。突こうにも突けない。


 四阿のようなスペースや、誰が叩くことができようかという変な位置に吊るされた小さな梵鐘を経て多宝殿に到着した。外からも参拝できる造りになっているこの建物の中には、戯れる獅子の姿の描かれた鮮やかな襖絵があった。きれいだなぁと小並な感想を抱きつつ、その襖絵は比較的最近描かれたもののようで、果たして歴史の淘汰に耐えうる魅力があるのかは計りかねた。

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 渡り廊下をひきかえして大方丈へ向かうと、そこからは庭園を一望することができてしまった。庭園はあとにとっておこうと思って本堂を見学した矢先、なんの前触れもなく現れてしまったためにうっかり感動しそびれてしまった。曹源池は広々としていて、三尊をあしらった庭石や、背後に迫る山々をとりいれた借景は庭園として優れているのだろう。紅葉の季節なんかに来たもんなら、水面に写る山々が綺麗だったろうなぁ。このときの曹源池は晴天にも恵まれていい景色ではあったけれど、心に訴えかけるようなものはなかった。

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 大方丈の中には、鈴木松年によって描かれたという旧雲龍図が展示されていた。劣化が激しく、絵の構図を正確に理解するのは困難だったが、恐ろしく巨大で奇怪な龍の瞳には、おだやかではない気迫があった。この絵が天井を飾られている時代を見てみたかったなぁ。庭園に関しては、本堂から鑑賞してしまったために足早に見て回った。曹源池の隅には高そうな鯉が集まり、水底でじっとしていた。

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天龍寺のもうひとつの「見所」である雲龍図を見に行くと、受付で「500円になります」と告げられた。中に入って天井を見上げると、そこには巨大な龍の姿が描かれていた。ん?なにか妙にデフォルメされていないか。水墨画というのは墨の濃淡によって幻惑的な魅力を持つものだが、天龍寺の雲龍図は小学生の習字セットや裁縫セットのバッグのデザインに見られるような、「龍らしさ」に寄った姿や背景に感じられた。龍の目にしても、白目が妙に白くのっぺりとしていて迫力がない。全体としてかっこいい絵だとは思うけど、何か物足りないように感じられた。平成になって描かれたこの絵のキャッチコピーとして、パンフレットには「天龍寺の新しいシンボル」と記されている。私には新しすぎるように思えてならない。


余談だが、天龍寺の観光に支払った額は1300円。1枚目のチケットは、庭園オンリーの500円のでよかったなぁ。それだけで300円が浮いた。雲龍図に関しては、絵一枚見るのに500円は少しやりすぎではないだろうか。また、お寺、ことさら京都にあるものとなれば古美術を期待してしまう。その心持ちで見る新しい美術品には、貫禄がなく、どことなく白けてしまうのだ。(場違いな現代美術であれば、そのとりあわせにおもしろさが生まれるけど、、)

 こういった金銭的、精神的な不満も相まって、我々にとって「天龍寺」という名は意味深長なニュアンスを持つものになってしまった。 


明石

・メンバー
明石。尾道

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