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①組織づくりbook #2~苦しすぎた意思決定と私の名前~

今日はなぜ私が組織づくり・組織改革をしようという思いに至ったかを振り返りたいと思います。これから投稿する全ての記事の中で、おそらく最も重要な投稿になります。

私は生まれも育ちも神奈川県の横須賀市で、32年間を大好きな横須賀の地で過ごしました。両親も健在で、思い出を共にしてきた友や仲間も多く、今でも私の大切な場所が故郷・横須賀です。

現在の住まいである岩手県に移住したのは、奥さんに出会ったから。私が養子となる事を自己決定して、2年半前に岩手県民となりました。

物語の始まりはここから。

婿養子である私は名字が変わり、住む場所が変わり、家族が変わり、環境が変わり、職場も変わりました。横須賀時代の最後は大学院生として、社会人兼学生をしていたものが、不妊治療(私の原因)の末に子供を授かり、学生から一気に親となりました。

つまり、「全て」が変わったのです。

まず、住む場所が変わったことで土地勘はゼロになりました。何がどこにあるのかさっぱり分かりません。息抜きをしようにも、行きたいと思える場所もありません。

家族が変わり、戸惑いの連続でした。家族は大変よくしてくれますが、やはり気遣いは少なからずあります(家族が悪いわけではなく)。また親となることが戸惑いに拍車をかけました。疲労困憊の休日でも、遊びたい盛りの子供は容赦なく降りかかってきます。

環境が変わり、岩手の極寒と格闘する毎日となりました。温暖な気候で知られる三浦半島で育った寒がりの私にとって、岩手の冬は想像を絶する寒さでした。家の中でも0℃となることもあり、疲れていても夜、あまりの寒さに寝就くことすら許されませんでした。

婿養子となり名前が変わり、諸手続きに追われました。それだけでなく、名前すらも変わったことで、自分が何者なのかがわからなくなりました。「スガワラさん」と呼ばれても、自分が呼ばれていることに気付かないのです。誰かに相談しようと思っても、知人は周りに誰もいませんでした。

最後に職場が変わりました。同じ「病院」という組織でも、組織を跨ぐとここまで違うものかというのが第一印象でした。通勤手段も電車➡車となり、冬の凍結した道路の運転は神経をすり減らしました。朝、職場に着いただけでも、そのまま帰宅したくなるほどの疲労感を覚えました。

職場には改革が必要でした。一言でいえば、時代の変化に対して、変化しようという機運が足らず、組織全体として変化への意思決定をしようとしても難しい状態でした。このままでは大好きな職場スタッフも家族も守れなくなる、という思いを抱いたことを今でも鮮明に記憶しています。

(今の時代、世間一般で言われている「変化し続けた者だけが生き残る」という定説が、そのような思いに至った根幹です。)


しかし、私には2つの選択肢がありました。

①一つは、組織改革・組織づくりをするという選択肢。

②もう一つは、組織改革・組織づくりなどしないという選択肢。つまり「見て見ぬふりをする」という選択肢です。

では、なぜ①を選択しようと思ったのか。

それは単純に、みんなの笑顔で溢れる、「持続可能な組織」にしたかったからです。

住むべき環境や職場が変わり、家族が変わり、親となり、全てが変わったんだから、「仕事の比重は落とす」というのが通常では懸命な判断です。一番手がかかる1歳児の育児を日中ずっとしてくれている奥さんのサポートをしなければならないという気持ちも勿論ありました。加えて、2年間にわたる〆切に追われた大学院生活修了直後で、無理を強いた体はボロボロになっており、正直しばらく休息したい気持ちでいっぱいでした。

けれど、まずは職場と組織を持続可能な組織にしなければ、大好きなスタッフの笑顔も生活も、一番大切な家族も守れないことが分かっていました。

家族も仲間も守るために、最優先でやらなければならないことが、組織づくりだったのです。

それに組織における課題も、どうすれば良いのかの改善策も、自分には全て分かっていました。問題が分かっていて、対策も分かっていて、(決して天狗ではなく)自分にはそれを実行する能力があることも分かっていて、そこまで分かっていて、人として倫理的に「見て見ぬふり」など出来なかったのです。そんな事をするくらいなら、「療法士」として以前に、「人」として失格だと思いました。

そして最後に背中を押してくれたのは、親がくれた「優帆」という名前に託された思いでした。昔、一度だけ親に自分の名前の意味を聞いた時、親はこう答えました。

「どんなに困難な大海原であっても、『優』れた『帆』を張って、渡り歩いていける人間になってほしい」と。

苦しかった。本当に苦しかった。仲間も知人も誰もいないたった一人の航海だけど、これは自分に課せられた使命なんだと、唯一変わらずに残った「優帆」という名前が自分の進むべき航路を指し示してくれたのです。

それからというもの、組織づくりのみならず、慣れない岩手という土地で幾多の困難がありましたが、信念に基づき必死に航路を突き進んだことで、状況は一変しました。

今では、組織スタッフは自らの意思によって進んで「変化」を楽しむようになり、「何か組織にできる事はないか」という他者利益の精神で個人個人が組織にコミットしています。相当程度、持続可能な組織に近づいたことは疑いの余地がありません。

どこの馬の骨かも分からない私を受け入れ、耳を傾け、力を貸してくれた組織のスタッフには本当に感謝の気持ちでいっぱいで、今はこれ以上ない大切な「仲間」です。このスタッフの笑顔を、いつまでも守り抜きたい。

そうすることが、結果的に一番大切な家族を守ることにもつながるから。

あの一番苦しかった最中に、判断を誤らなくて良かった。

進んで苦しい航路を選択して、本当に良かった。。



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